古武術とテニス
駆けて行った日吉君を見送って、その場に残った師範が苦笑しながら私に謝ってきた。
「すまないね、一条さん。若も普段はもう少し優しいんだが、まだまだ半人前でね」
「いえ、そんな……大丈夫ですから」
「どうも学校の部活でなかなか上にいけないから、最近イライラしているようでね。それが古武術にも影響していたからこの前、基本がなってないと叱ったんだが……。ああ見えて責任感の強い子だから、基本がなってない自分が君を教えても良いのだろうかという不安もあったんだろう。ま、それを見越して頼んだのだけれど」
「日吉君……大変ですね。あっちもこっちも気持ちが追いつかないで……」
「同年代の子と触れ合えば少し変わるかとも思ったんだが……上手くは行かないものだね。この後は私が教えよう」
そう師範は微笑んで提案してきたが、果たして本当にそれでいいのだろうか。私はまだ小一時間程度しか日吉君に教えて貰っていない。それで彼が教えることに向いてる、向いてないを判断することなんてできるのだろうか。そもそも出会って小一時間程度だ。でも、この少ない時間でもイライラされていても、端々に彼の優しさは感じられた。じゃあもう少し、様子を見てみるのもいいんじゃないのだろうか。
「日吉師範、大変ありがたいお申し出なのですが、私はもう少し日吉君に教えて貰いたいと思います」
「だが…………」
「日吉君のイヤなところより、優しいところをもっと知ってみたいんです。それに、日吉君と関わることで私も何か成長出来るかもしれない。暫くは様子を見ていただけないでしょうか」
「まあ、一条さんがそう言うなら」
ありがとう、と師範は目尻を細めた。それに丁寧にお礼を返す。日吉君が半人前なら私を使って一人前になってくれたら嬉しい。図々しいかもしれないけどそう思って、私は日吉君が駆けて行った方向へ足を向けたのだった。
日吉君は大きな扉の影に隠れて項垂れて座っていた。
「日吉君、隣、いいかな」
「……なんだ、お前か」
「うん」
特に会話もなく、沈黙が続く。最初に口を開いたのは日吉君だった。
「……さっきは悪かったな」
「何が?」
「態度、悪かったろ」
「全然いいよ。日吉君は人見知りなのかなってくらいにしか思ってなかったし」
「そうか。……それでも、俺の態度は悪かったと思う。ついお前に当たってしまって」
「謝ってくれたからもういいよ、日吉君も気にしないで。……師範から聞いたよ、部活大変だって」
「ああ、まあな」
「部活に古武術のお稽古に、2足のわらじでしょう? すごいなぁ」
「別に何もすごくなんかない。どっちも中途半端なだけだ」
「でも古武術って一生かかっても極められないものなんでしょう? じゃあみんな中途半端だよ、大丈夫」
師範も中途半端な所にいるのかも、と言うと、失礼なやつだな、と言いつつ日吉君は初めて少し笑ってくれた。
「ところで部活は何をやってるの?」
「テニスだ」
「テニスか〜〜」
え、またテニス? 私の周りみんなテニスしすぎじゃない?
疑問はそっと心の奥に閉まっておいた。
「テニス、どう? 楽しい?」
「楽しい……のか、よく分からない。上が強いし層が厚いから、全然上に行けないもどかしさを感じることの方が多い」
「そっかぁ……部員数が多い部活は大変だよね……。日吉君のテニスはさ、どんなテニスなの?」
「どんなテニス?」
「うん、ほら、パワー系とかテクニック系とか、スピード系とか? イメージだとテクニック系っぽく見えるけど、古武術やってるしパワーのあるショットも打てそうだよね」
「……考えたこともなかった」
「え、もったいない。自分の個性は活かさなくちゃ! 古武術やってるんだし取り入れてみても面白そうなのに」
「はぁ? 古武術を取り入れる??」
「うん、だって日吉君、さっきこの基本の型が一番安定感あって落ち着くって言ってたじゃん。身体にしっくりくるってことでしょ、それそのままテニスに活かせそうじゃない?」
「それはそうだが……古武術の型を披露するテニスプレイヤーなんて見たことないぞ」
「あっ、じゃあ日吉君が一番乗りだね!」
「一番乗りってお前な……」
日吉君は、呆れたというようにタオルで頭をガシガシし始めた。私そんなに変なこと言っただろうか。得意なこととか個性を活かしたら、って話をしたつもりだったんだけど。あれ? とこちらはこちらで頭を悩ませていると、暫くして何か吹っ切れたのか、日吉君が突然立ち上がった。
「仕方ないな、一条に賭けてやる」
「えっ!? なにが!?」
「古武術テニス、だ」
彼の中でどんな葛藤があったか知らないが、やると決めたらしい。古武術テニス、とても興味深い。
「えっ、完成したら教えてね!! 見たことないから見てみたい!!」
「フン、発案者だからな。特別に見せてやるよ」
一番乗りにな、と自信満々に笑う日吉君に、ああやっぱり私この人に古武術の基本を教えて貰いたいなと思った。
*****
その後、再び練習が始まったら日吉君は先程とは別人のように、丁寧に教えてくれるようになった。師範もこちらを見守りながら嬉しそうにしている。あっという間に時間は過ぎ、日吉君の教え方がよかったのか今日だけでそれなりに動けるようになった。古武術楽しい。
「日吉君、教えてくれてありがとう!」
「次来る時に忘れたりするなよ」
「うん! 家で練習しておく。またよろしくね!」
練習終わりにそんな会話をして、礼をして今日のレッスンは終了。師範にも挨拶しているとちょうど守おじさんもやってきて、週に1回は通うという話になった。
「一条さん、古武術はどうだったかい?」
「とても興味深く、奥が深く、洗練されたものだと思いました。でも実際やってみると楽しくて、もっともっと色々と知りたいです!」
「そうか、それは良かった」
「美里ちゃんはいい先生に教えてもらったんだね」
そう言った守おじさんに、師範と2人で顔を合わせて意味ありげに笑ってしまった。そう、本当に、いい先生に出会ったのだ。
これから通うのが楽しみだなぁ、とワクワクする気持ちを抱えて帰路についた。
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