あの人と電話と井上さん




−『氷帝学園の跡部ですが……』−

そう電話から響いた声がぐわんぐわんと、途方に暮れる脳内にこだまする。

「あとべ」ってやっぱりあの「跡部さん」……ですか……!?

しばらく言葉が出なかった。まさかパラレルワールドに「テニスの王子様」の跡部さんがいるだなんて予想もしなかった。そもそもここは本当に「テニスの王子様」の世界なんだろうか。いや、多分そうなんだろうけれど。

「テニスの王子様」は勉強尽くしの毎日の中で唯一読んだことのある漫画だ。元々の世界の桃香ちゃんが半強制的に貸してくれたからとりあえず全巻読んだけど、そんなに詳しくはない。あれだ、あの、イケメンたちがものすごいテニスを繰り広げる内容だったはず。

いや、でもむしろそんなに詳しくない方がいいのかな? 試合の結果とか知ってたら思いっきり不審者だし……。

そう考えつつしばらく黙り込んでいると、電話の向こうから不機嫌そうな声が聞こえてきた。

『アーン? ちゃんとつながってんのか、この電話?』

しまった……私、跡部さん放置で考え事を……!
というかさっきの「井上」って誰!?

軽く混乱してはいるものの、いい加減話さなければならない。跡部さんを怒らせるとめんどくさ……大変そうな気がするのをひしひしと感じるからだ。とりあえず言葉を発するしかないと、恐る恐る話しかけてみる。

「あ、あの、もしもし」
『……誰だ、てめえ』

待って怖い跡部さんすごく怖い。
とても不機嫌なんですが何故ですか。

冷や冷やしつつも、誰だと言われたからには名乗らざるを得ない。

「あー……一条美里、です」
『……井上さんじゃねぇのか』
「すみません、残念ながら井上ではなく一条です」
『……そうか。間違い電話だ……悪い』
「……えっと、こちらこそごめんなさい……?」

ものすごく、居心地が悪い。
針のむしろに座らされているというか、跡部さんの言葉の端々が刺々しいというか。とにかく、息が詰まる思いだ。一刻も早く切りたい。いやもう切ろう。

「じゃあその、き、切りますね?」
『ちょっと待て、お前一条って言ったな?』
「……? はい、言いましたが……?」
『井上さんの姪、か?』

その瞬間、思い出した。というか、脳に浮かんだ。

そうか、私を引き取ってくれたおじさんは、井上守さんだ! 守おじさんだ!

そして井上守といえば「テニスの王子様」の登場人物で、確か月刊プロテニスだかなんだかの雑誌の編集とかやってる人のはず。もしかしたらそのインタビューか何かで用事があったのかもしれない。話がつながった……だから跡部さんから電話が来たんだ。

「そうです、私が井う……守おじさんの姪の美里です」
『苗字は違うんだな』
「おじさんの考慮です。多分」
『ということは井上さんが間違えて同居している姪の番号を俺に教えたってわけか……チッ、俺としたことが』
「あの……」
『何だ』
「どうして同居のこととか知っているんですか?」
『井上さんがあちこちで自慢してんだよ。可愛くて良くできた姪と暮らしてるってな』
「そう、ですか……」

とても親バカなんですね分かります。照れたらいいのか何なのか、ただもどかしい気持ちになる。

『まあ、気にするな』
「……はあ」

跡部さんにこのもどかしさを見抜かれてしまったようだ。なんて察しのいい人なんだ。

『ところで姪ということは井上さんの連絡先も知ってるよな?』
「ああ、えっと……」

そう言われて携帯の電話帳を探すと守おじさんの連絡先はしっかり登録されていた。いつの間にか。

良かった……って、アレ? これ本当に私の携帯だよね??

「……分かります。お伝えするのでメモの準備とか大丈夫ですか?」
『ああ、大丈夫だ』
「090××××です」
『090の……っと、メモできた。すまなかったな』
「いえ、もともとおじさんのミスでご迷惑をおかけしてしまいましたから。こちらこそ、すみませんでした」

そう告げると跡部さんは電話口でふっと笑ってくれた。電話越しの雰囲気が、少し柔らかくなった気がする。

『確かによく出来たお嬢ちゃんだ』
「え、ありがとうございます……?」
『じゃあ、井上さんによろしくな』

その時ふと、引っかかった。

跡部さんは何ではじめの方、あんなに機嫌が悪そうだったんだろう……?

引っかかったら気になって、終わりかけの会話なのに何となく引き留めてしまった。

「あ、あのっ跡部さん!」
『……アーン?』

ど、どうしよう、何か……何か言わなくては……!!

「つ、疲れたときは、甘いものが良いですよ!」
『…………は?』

言うに事欠いてそれ!? 私!?

「で、ですから、えっと……その……甘いものを……」
『そうじゃねえ、……何で俺が疲れてるだなんて思ったんだ?』

ああ、そうだ。引っかかりが、分かった。この人、すごく疲れてたんだ。
自分でとっさに言っておいてアレだけど、いま、ストンと腑に落ちた。

「………舌打ちが、」
『舌打ち?』
「はい、それが疲れているように聞こえました。あと最初のほうで……誰だ、てめえって言いましたよね?」
『ああ』
「少し話したぐらいでって思われるかもしれませんが……跡部さんは、相手のことをきちんと考えて言葉を発しているのに、あの言葉だけがすごく冷たく聞こえて………疲れてるのかなあ、と」
『………』
「あと雰囲気も途中から柔らかくなったので、余計に最初の態度が気になってしまって」
『………』
「あ、跡部さん……?」

先程から跡部さんが黙ってしまった。そのことにより生み出された沈黙が怖い。しまった、地雷踏んだ…? 謝っておくべきなのか、これは。

「あ、あの、えー……、」
『俺は疲れてなんざいねぇ』
「ですよねすみません勘違いでした」
『……ただ……、』
「?」
『うっとうしかっただけだ』
「はあ……?」
『俺は、氷帝学園テニス部の部長だ』
「……そうなんですか」
『……そうだ』
「テニスがお好きなんですね。それだけ夢中になれるものがあってうらやましいです」
『好き……か』
「部長になるくらい、お好きなんですよね? それってすごいです。好きこそ物の上手なれって言うじゃないですか。でも好き以上に努力あってのものだと思うので、跡部さんはとても努力されたんですね」
『……ふ、』
「……?」
『くっ、言ってくれるじゃねえか』
「え、あれ? 私、もしかして失礼なこと言いました……!?」

一瞬ヤベっと思ったけど、跡部さんはその後じわじわと笑い出したので、思ったより失礼なことは言ってなかったのかもしれない。

でもそんな笑わなくても良くないですか……?

私は気になってたことを言っただけだから、そっとしておいて欲しかったんだけれども。ひとしきり笑い終わった跡部さんのタイミングを見計らって声をかけると、随分と明るい声色で返事が返ってきた。

「あの、跡部さん?」
『ふっ、悪い、すっきりした』
「いやあの、私はもやっとしてますが」
『ありがとな、お嬢ちゃん。ちゃんと甘いもの食ってやるよ』
「それはどうも……?」
『あぁ、そろそろ時間だ。まだ仕事が残ってるからこの電話切るぜ』
「突然ですね……。どうぞ、お切り下さって大丈夫ですよ」
『ああ、じゃあまた、な』

そういって電話は切れた。
だめだ、急展開すぎてついていけない。跡部さんは漫画と同じくゴーイングマイウェイな方のようだ。ああ、なんかとても精神力を使った気がする。でもお陰様で考察に追加事項が発生した。


私の保護者は、井上守おじさん。
そして、跡部さんと知り合った。

気づいてないふりをしたが、コレは最初からラスボスクラスに出会ったようなものなのであった。



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