ハンカチと紳士




まさかこの歳になって派手に転ぶだなんて思いもしなかった。
いっそ集中力散漫だと笑ってくれるとありがたい。どういったわけか、とある植物園の片隅で私は地面に限りなく近づいている。それはもう、ゼロ距離というやつである。せっかく久々にお洒落をして、植物園に来て気分が良かったというのにこの仕打ち。泣きたい。既に帰りたい気持ちが芽生えたのは言うまでもない。

でも膝下まであるワンピース着てて良かった……あんまり擦りむいてはいないみたいね。

身体を起こして手についた土を払う。手は少し擦りむいているみたいだけどそこまで痛くはない。ちなみに植物園の地面を這うツタに引っ掛かって見事に膝から地面に突っ込んでいったらこうなった。恥ずかしいことこの上なくて、しゃがみこんだ状態でしばらく色んな痛み(主に精神的苦痛)に耐えていると、「お怪我はありませんか?」と落ち着いた優しい声とともに綺麗に折り畳まれたハンカチが差し出された。

あれ、昨日もこんなことなかったっけ?

「怪我は大丈夫……です、多分」
「しかし手を少し擦りむいていらっしゃいますね……失礼」

そう言って急に手をとられたので、思わず顔を挙げて声の主を見ると、そこにはきらりと光るメガネがナイスなお兄さんがいた。

「あ、あの……?」
「ああ、すみません。手の土を拭わせてもらいました」

あ……手をきれいにしてくれたんだ……。

「えっと、ありがとうございます」
「しかしまだ少々血がにじんでいますね……今、お時間はありますか?」
「全然、大丈夫です」
「でしたら私が手当てをしましょう。あの噴水の近くに水道があったはずですので、そこまで歩けますか?」
「あ、歩けます、けど、良いんですか? お手を煩わせてしまって……」

そう困ったように告げると、眼鏡のハンカチ王子は優しげに微笑んでくれた。

「困っている女性を助けるのが、紳士ですから」

そう言われてつい、顔をまじまじと見つめてしまう。

ああ、やっぱりこの顔は、立海の紳士……ってなんだろうこの微妙な圧力……断れないんですが……。

「……じゃあ、すみませんがよろしくお願いします。ありがとうございます」
「お気になさらず。では、行きましょうか」

彼に手をとられて、歩き出す。
水道まではまるでエスコートでもされているかのようだった。さすが紳士である。


*****


あれから手を洗い消毒をしてもらったあと、私が持っていた絆創膏を貼ったところ、この手は血を止めてくれた。これで一安心。お礼を言おうとハンカチ王子の方を向いたら、まだ名前を訊いてないことに気がついた。

例によってこの人がだれかは薄々気づいてはいるんですけどね……。

「あ、ところで、お名前訊いてもいいですか……?」

そう言うと彼は私の方にきちんと向き直り、紳士スマイルとともに名前を告げる。

「申し遅れましたが、柳生です。柳生比呂士と申します」

ああ、ほらどんぴしゃじゃなか。

「あなたのお名前もお伺いしても?」
「私は、一条美里です。手当てしていただき本当にありがとうございました、柳生さん」

にっこりと返しておく。すると柳生さんは少し考え込むような顔になった。この訝しげな感じは宍戸さんのときと一緒だ。この人も私のことを知っていたりするのだろうか。しかし面と向かって聞けるはずもない。

「あの……柳生さん?」
「ああ、失礼しました。何でしょう?」
「あーえっと、何か、お礼をさせてくださいませんか?」
「お礼……ですか?」
「はい、手当てをしてもらえて本当に嬉しかったので……」

おそらく、私一人じゃ血をそのままにしていた。
一人に慣れ始めてたからこそ、柳生さんの手当てが嬉しかった。

「…………」
「……柳生、さん?」

黙り込んでしまった……あ、しまった、こういうの苦手だったかな……。

「……えっと、すみません、突然変なこと言って。無理に、とは言いませんので何か頼み事とかあったら気軽に言ってほしいなというか……なんというか」
「あ、ええ、すみません。少々驚きまして」
「はあ」
「頼み事、ですか……そうですねぇ、今日はお一人ですか?」
「えーと、一人、ですが」
「では私も一人なので一緒に回りませんか?」
「はい、……って、えぇえ!?」

思わず柳生さんを2度見してしまった。突然なんてことを言いだすのだ、この人は。

「お礼だと思って今日1日、冴えない私に付き合っていただけませんか?」

落ち着こう、私。この場合の付き合うは買い物に付き合う的な意味でつまり一緒に植物園を回りましょうみたいな感じで……。え、これはどう答えるのが正解なの!!?

「……一条さん? やはり駄目でしょうか……今さっき出会った仲ですし……」

迷っている間になんだか柳生さんがしょんぼりし始めてしまった。なんてことだ、恩人にそんな顔をさせてはならぬと私の中の何かが吹っ切れた。

「い、いえ、そんなことないです! 私も柳生さんと一緒に植物園回ってみたいです!」
「それは良かったです!」
「ですけど、私で良いんですか? それこそさっき会ったばかりですが……」
「インスピレーションです」
「はい?」
「私は貴女に、興味があるんですよ」

意味深に紳士は呟いた。眼鏡が光っている。

「それに休日に一人で植物園は寂しいですからね。ともに草花の美しさを語る人がほしかったのです。さあ、行きましょうか」

そう言って、手が差し出された。それを見つめながら少し考えてしまう。

この人……「一条美里」を知っている……?

さっき一瞬眼鏡の奥に見えた目は、確かに興味を語っていた。

面白いじゃないですか……!

こっちの私についての情報を少し知れるかもしれないという期待と、一緒に花について語ってみたいという興味で私はしっかりと柳生さんの手をとった。

「今日1日、よろしくお願いします、柳生さん」
「こちらこそ、お願いします」

こうして、まるでエスコートされるかのように、私と柳生さんの植物園デートは始まったのだった。



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