植物園と紳士




「この花は空木ですね」
「空木……? 雪見草じゃないんですか?」
「雪見草は別名なんです。白くて雪を被ったように見えるのでそう呼ばれていますが、正式名は空木というんですよ」
「そうだったんですか……、初めて知りました」

柳生さんの説明を受けつつ、私はもう一度その白くて可愛らしい花を見つめた。

「雪見草も良いですけど、空木もこの花に似合ってる気がして素敵ですね。教えてくださってありがとうございます、柳生さん」
「どういたしまして。ちなみにこの花の花言葉をご存知ですか?」
「雪見草は確か……謙虚、でしたっけ?」
「正解です」

柳生さんは紳士らしく優しく微笑んでくれた。その表情に嬉しくなって、同じように私も微笑む。

「『謙虚』って、植物園の片隅でこっそりと、でも綺麗に咲くこの花にぴったりな言葉ですよね」
「そうですね、私もそう思います。それにしても花言葉もお詳しいんですね、一条さん」
「ありがとうございます。先輩が、花言葉とか詳しかったんです」
「それは素敵な先輩ですね」
「ええ、とても素敵でした!」

元々の世界の柳川先輩の事を思い出しつつそう告げると、柳生さんは歯に物がつまったような微妙な表情をした。何か変なことを言ってしまっただろうか。

「……あの、柳生さん……?」
「っ、ええ、次はあちらの方へ行ってみませんか?」
「あ、はい」

そう言われてしまったので、何事もなかったかのように並んで歩き出す。何か言いたくても言いづらいことがあったのかもしれないし、そっとしておこう。ちなみに柳生さんは歩幅を合わせて歩いてくれるから、私が早歩きになることとかは絶対なく、こういうところは本当に紳士だと感じる。あれから2時間ほど一緒にいるけど、柳生さんが花に関する博識を披露してくれたり花言葉について話してくれるので、私としては本当に楽しくて飽きがこない。

最初は戸惑ったけど、柳生さんと一緒に植物園回れてラッキーだったなぁ……。

基本的に元々の世界でもこっちの家でも独りだったので、誰かが隣にいるという安心感は凄く心地好い。お陰さまで私はにこにこしながら柳生さんの隣を歩いていられる。

紳士って冷たいイメージあったけど、意外と優しい……のかも。


*****


――ところで、一条さんは部活は入っていらっしゃるんですか?

お昼ご飯を一緒に食べているいま、唐突に柳生さんにそう訊かれ、私は思わずもっていたフォーク(パスタ付き)をカシャンと落としそうになった。ギリギリで落とさなかったけど。動揺がやばい。とりあえず落ち着こうと軽く深呼吸してみた。

「部活は、入ってますが……いま、少し怪我をしていて休部中なんです」
「怪我、ということは運動部でしょうか?」
「……文化部でも、怪我くらいしますよ」
「では、文化部なのですか?」
「それは……えっと……」

別に言ってもいいんだけれど、非常に言いづらい。私がテニスすごい強い人だって気づかれても残念ながらそれは「もう一人のわたし」であって、私ではない。つまり私自身はテニスの知識もなにもないし、掘り下げようがないのだ。困ったものだ。
少し言葉に詰まると、柳生さんは探り探りといったように話をつづけた。

「……一条さん」
「は、はい……?」
「私が貴女の部活を予想してみてもいいでしょうか?」
「はあ……どうぞ……」

柳生さんの眼鏡が光った。あ、これバレてるわ。

「テニス部、ではないでしょうか?」
「正解です。でも、どうして……?」
「手ですよ」
「手?」
「はい。さっき貴女の手を引いていたときに、手の皮が硬いことに気がつきまして」

触ってみたら、確かに手の平がちょっと硬くて驚いた。そうか、こっちの私はテニスやってたからか。ハッとした私の顔を見て、柳生さんは微笑んだ。

「貴女の手はたくさんラケットを握り締めてきた手です。私もテニス部なので、よく分かります」
「そうです、私は女子テニス部に入ってます」

一応、ですけどね……いまテニスのこととか全然分かんないし。

私がテニス部だと告げると柳生さんは少し戸惑ったような顔をした。

「柳生さん?」
「……あの、一条さん」
「はい」
「貴女は……昨年の全国大会に出ていた、『中学女子テニス界の女神』の一条さん、なのでしょうか?」

ああ、訊かれてしまった〜。やっぱり立海テニス部だし知ってますよね……。

さてどうしたものか。確かにそうだけれど、深追いされるとちょっと困るので、いっそ記憶喪失にでもしておこうか。そう考え込んで黙った私を落ち込んだと勘違いしたのか、柳生さんは慌てたようにフォローし始めた。

「すみません……やはり訊くべきではなかったでしょうか」

あれ、落ち込ませた!?

「いっ、いえ良いんです。そうです、私、去年の全国大会に出ていました」

勢いで言ってしまったけど、でも、と続ける。

「今は、戦線離脱中で……休部してるので……」

深追いはされたくないというか……とか言えないけどなんて言ったらいいのだろう。

「やはりつかぬことを伺ってしまいました。すみません」
「あ、そんな頭下げないでください! 大したことないのでっ」
「……はい」
「ところで、どうして私のことを知っていたんですか?」
「昨年の全国大会、それとこの前テレビの特集を見ましたので。雰囲気が違っていて驚きましたが、もしかしたらと」

そりゃあ中身は別人ですからね……。

「そうだったんですか」
「ええ……」

そう言って柳生さんは黙り込んでしまったので、カシャン、とお昼ご飯を食べる音が静かに響く。そこには会話は生まれない。ぱったりと途切れしまったそれをどうしたらいいのか、私にはわからない。


そうしているうちに食べ終わって、また植物園へ繰り出し、ベンチで少し休憩していたときに柳生さんは躊躇いながら私に問いかけた。

「……あの。少し、私の部の部長の話を聞いていただけませんか?」

立海の部長さんは……確か幸村さん、だっけ?

「はい」
「部長はいま、大きな病気にかかって入院しています。……一時期は、命も危ないと言われていました」

思わず、息を呑んだ私をおいて、柳生さんの言葉は続く。
彼の目線は段々と下がっていく。

「ですが奇跡的に回復しつつあります。しかしまだテニスをできる状態ではなく、またいつ病気が発症するかもわからない……そんな中、彼は戦っているのです」

柳生さんは本当に悔しそうに呟く。

「はい……」
「……最近、彼が焦っているのをたまに感じます。部活のメンバーでお見舞いに訪れているときも、一瞬浮かない顔をしていたり……すぐに、穏やかな笑みに戻るのですがそれがどうも引っ掛かってしまいまして」

焦り……辛さ……色々抱えてるんだろうな……。

「一条さんは、いま怪我で休部中でしたよね?」
「ええ」
「失礼かもしれませんが、どんな気持ちなのか教えてもらえないでしょうか……?」

柳生さんと言えど私と同じ、まだ中学生。部長さんの気持ちを察することはできても、どうしたら良いのかはいまいち掴めていないんだろう。

「私は……」

私は、どうだろう。
テニス部を休部中だと知ったとき、誰もその事に触れてくれないのが少し悲しかった。例えば、学校を休みまくって勉強に置いていかれたら辛い。でもそれ以上に。

忘れられたら、辛い。

そこにいたことを、まだそこにいることを忘れられるのが一番悲しい。

「私は、辛い、です。……怪我でテニスを出来ないこともですけどそれ以上に、忘れられちゃうんじゃないかってことが、凄く怖くて、焦ります」
「…………」
「特別何かをしてほしい訳ではなくて、自分も必要なんだと思いたいんです。忘れてほしく、ないんです。……部長さんも、きっとそうなんじゃないでしょうか……?」
「忘れてほしくない……ですか」
「確証はありませんが……」

少しの沈黙が流れた。ふわ、と花の香りが2人の間を過る。
しばらくして柳生さんは、ほっとしたように微笑んでくれた。

「ありがとうございました、一条さん。少し、彼の気持ちがわかった気がします」
「いえ、私の主観ばかりで申し訳ないです」
「そんなことありません。彼と同じような立場の一条さんだからこその意見ですから」
「……じゃあ、素直にお力になれたと喜んでおきます」

誰かの為になったならそれは凄く嬉しいと、私はふわりと笑顔になった。
そんな私をみて、柳生さんは握手するみたいに私の手を握って、微笑みながら言葉をくれた。

「貴女は、きっと必要な人です。間違っても自分が必要ないだなんて、思わないでくださいね」

小細工のない真っ直ぐなその言葉が嬉しくて、私が泣きそうな笑顔になったのは言うまでもない。

「さあ、それでは行きましょうか」

柳生さんがまた手を差し出してくれたので、私はその手をとって軽く握る。

「次はどこを回ります?」
「いま咲き頃なのは……あ、じゃあカキツバタとかどうでしょうか?」
「ああ、良いですね、ではそこへ行きましょう」

そう言って並んで歩き出す。
植物園はまだまだ見所満載の模様です。



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