カッペリーニと王子
小道の先に見つけた小さなイタリア料理店『sogno』は、周りの自然と一体化するかのように建っていて、優しい色のレンガ造りの壁には鮮やかな緑の蔦が巻き付いていた。街の喧騒から離れてぽつんと建つそれは、なんだかおとぎ話に出てきそうで……私としてはまるでヘンゼルとグレーテルがお菓子の家を見つけたような気分。
と、素直な感動を告げたら目の前に座る観月さんに笑われてしまった。
「んふ、それはまた、独創的ですねぇ」
「そうですか……? というか笑いながら言われましても……」
若干不貞腐れたように言うと、「違うんですよ」と相変わらずにこにことしながら観月さんは続けた。
「面白くて笑っているわけではないんです。女の子らしくて可愛らしいなと思って」
「え、そんな可愛らしい発言でしたっけ?」
「僕にはそう感じたんですよ」
お、王子様みたいな台詞をサラッと……!
イケメンとは恐ろしいものである。この人は演劇でもやっているんじゃないかと思わず見つめた。個人的にはシンデレラの王子かロミオが似合うと思います。
「まぁ、とにかく……このお店本当に良い雰囲気ですよね」
「気に入ってくれましたか?」
「もちろんです!」
お店の中は木の素材を基調にセンスよくまとめられているし、ソファーの椅子はふかふかで気持ちがいい。もう言うことなしですっかりくつろいでしまっている。
「この店は雰囲気も良いですけど、それ以上に料理も良い感じなんですよ」
そう言いいながら観月さんはメニューを渡してきたので、受け取って机に広げる。色とりどりのメニューはどれも美味しそうだ。
「わぁ……意外と沢山の種類のお料理があるんですね」
「基本はイタリア料理ですけど何故か親子丼まで置いてありますからねえ」
「ほ、本当だ……! しかも他人丼まで……何故……」
「不思議な店ですよね」
「でもこれはこれで魅力ですよね」
なんだかおかしくて思わず笑うと、観月さんもおかしそうに笑った。
「僕も同感です」
「それにしても、これだけメニューがあると迷いますね……」
「好き嫌いとかはありますか?」
「お豆腐が、ちょっと苦手です。それくらいですかねぇ。あ、そうだ観月さん、オススメとかありませんか?」
「僕のオススメ、ですか。それならやはり……」
パラパラとメニューのページを開きつつ、観月さんは考えるように視線を落とした。やがてパスタのページで手を止め、指を差す。
「カッペリーニですね」
「カッペリーニ?」
「簡単に言えばすごく細いパスタですよ。冷製パスタなどによく使われます」
「へぇ、初めて聞きました」
メニューを見ると確かに細いパスタがトマトと絡まりあっていた。外は暑かったし、ちょうど良さそうというか美味しそうなことこの上ない。これにしよう。
「じゃあ私、このトマトとバジルの冷製カッペリーニにします」
「僕は大根とツナのカッペリーニにしようかな」
決まったところで店員さんを呼んでオーダーをした。
いやはや、楽しみである。
*****
「あ、美味しい」
無意識にそう呟くぐらいにはその味は絶妙だった。トマトとバジルが良い具合にマッチしている。冷製だから食べたときにひんやりするのも気持ちがいい。美味しいなーと、もぐもぐと食べ進める。
「んふ、気に入ってもらえて何よりです」
「さすが観月さんオススメですね!」
「それはよかった」
「観月さんのは何味なんですか?」
「大根とツナですよ。食べます?」
「良いんですか?」
「ええ、一口ずつ交換ということで」
そう言って観月さんは、くるくるとフォークに巻いたカッペリーニを差し出してきたのでぱくっと食いつく。大根とツナとカッペリーニがマッチしていてこちらもとても美味しい。
「これもすごく美味しいですね! あ、私のもどうぞ」
さっきは差し出されたので思わず食いついたが、さすがに私からの「あーん」は嫌だろう。気を遣ってお皿ごと観月さんに差し出したら、彼は何とも言えないような、歯に物つまったような顔をしつつも私のパスタを一口食べる。
「……ああ、トマトとバジルが爽やかで良い味ですねぇ」
でしょう! と、にこっとすると観月さんは曖昧な笑顔で頷いて、ぽそりと何か呟こうとした。
「本当にかわ、……あ、いや何でもないです」
「観月さん?」
「あ、いえ、気にしないでください。そういえば、一条さんのお話を伺っても?」
「私の……あ、テニスのことですよね?」
「はい、もちろん話したくなければ全然構いませんが……」
「いいえ、話させてください」
同じ、テニスをやる人として聞いてもらいたかった。これから関わるにつれて知っていてほしかった。ただ、そんな思いで私は言葉を続けた。
「私は……今、テニスを "すること" が怖いんです」
前の世界では親友なんて人はいなかった。
よく話す相手という意味での友達ならいたけれど、休日に一緒に遊びに行ったり、恋の話とか悩み事を語り合うような友達なんていなかった。部活で部長や副部長とはよく話したりしたけれど、かと言ってそれ以上でもそれ以下でもなかった。
それだけ勉強のことしか考えられない生活をずっとしてきた。
だから、要するに、羨ましいのだ。
こっちの世界の『わたし』には話しかけて構ってくれる友達がいて、一緒に汗や涙を流したであろう部活のチームメイトがいて。好きなことができる、そんな環境に生きている……と、思っていた。
でもそう考えれば考えるほど、私の心の底で疼く黒い感情。
もう一人の『わたし』が心の奥底から違うと叫んでいる。
叫んでいるのだ。
苦しい。助けてって。
誰にどんな風に話せばいいの?
こんなこと、誰にもどうにも相談なんかできない。
私は私で『わたし』ではないのに。でも、この体は『わたし』のものだから。感情が心がそっちに引っ張られてしまうのだ。
ねえ、助けて。私も、『わたし』も、話を聞いてほしいの。
そんな思いで通りすがりの、今日出会ったばかりの観月さんを頼るのなんて、なんて、卑怯なんだろう。
私は彼の優しさに付け込もうとしているのだ。
そんな私の心の内を露知らず、
「テニスを、"すること" が怖い……?」
と、観月さんは私が切り出した言葉を不思議そうに繰り返した。
「はい」
「それは……ラフプレーをしてしまう恐れがあるからとかラフプレーを受ける恐れがあるから怖い、とかそういうことですか?」
「あ、いえ、そういうことじゃないんです」
残念ながら前の『わたし』の記憶が完全にあるわけではないので、自分がどんなプレーヤーだったのか解らない状況だったりする。が、ラフプレーはしていなかったように思う。その単語に別に心がざわざわしたりしないし。
観月さんが首を傾げたので、私は補足の為に口を開く。
「私が怖いのは……思い出してしまいそうだからです」
「思い出す?」
「はい。少し長くなりますが、話を聞いていただけますか?」
心配気に問うと「もちろんです」と了承が返ってきたので、ここ数日で思い出しつつあるこっちの『わたし』の記憶を引っ張り出しながら話し出した。
「私は、ご存知の通り中学女子テニス界の女神と呼ばれ、スポーツ特待で入った今の学校の女子テニス部のエースでした。厳しい練習に耐え、優勝をもぎ取り……今年も、私が中心の体制が出来上がって全国連覇を狙っていました。……でも、地区予選が始まった矢先に足を怪我してしまって」
ツキン、と心の奥が痛む。
目の前のレモネードを飲んで紛らわした。
「では、一条さんはその怪我が原因でテニスをお休みに……?」
「それは、少しハズレです。怪我はもう治っていて、テニスをしても支障はないんですよ」
「では何故……」
「怪我がきっかけで、見たくないものが見えてしまったんです」
ああ、心が暗くなっていくのを感じる。
もうレモネードでは紛らわせられないほど、暗く、沈んでいく感覚がした。なんとか一呼吸置いて、続ける。
「怪我をした私は当然、試合から外されました。大した怪我ではなかったんですが、みんなが休むことを勧めたので……。心配してくれたんだと、嬉しくなりました。でも、そうじゃなかったんです。私が戦線離脱した瞬間、補欠の子が物凄く嬉々としてコートに駆けていって……、もちろんその子は試合に勝ちました。なんか、それを見た瞬間、 "私なんか要らないんじゃないか" って漠然と思っちゃって」
「そんな、こと、」
「あるんです。それから暫く、部活を休みました。今まで突っ走ってきたから……一回ゆっくり考えてみようって思って。でも、休んでも誰も心配してくれないんですよね。私のいなくなった枠に入ることしか考えていない。私がいないことで、自分が試合に出られるかもしれないということしか考えていない……」
「……」
「挙げ句の果てに、部活に帰ってこなくていいって言われちゃいました。あなたが来なくても、充分試合に勝てるから、今年で引退するからあなたの枠を譲りなさいよ……って」
無理に、笑ってみる。ああだめだ、たぶん口角を上げることしかできていない。
ちらりと観月さんに視線を向けると、彼は唖然とした表情だった。
「それから、何も信じられなくなっちゃって。私が今まで一心不乱に築き上げてきたものが崩れていくようで……全てを投げ捨てまでしがみついてきたものが否定された、みたいで。仲間だと思っていた人達は何者でもなくて、私は、私……っ、は、独りぼっちなんじゃないか……って……」
「………」
「だから、怖いんです。テニスをしたら、その感覚に、その感情に、縛られてしまいそうで……っ」
喋っているうちに、思いが溢れた。
どんどん流れ込んでくるのはこっちの『わたし』の叫び。
でもそれは一緒だ。
私も、一緒なんだ。
私も……独りは怖いから。
だからテニスをするとその感覚に捉われそうで、せっかくこっちの世界で素敵なものを沢山見つけたのに、壊れてしまいそうで怖かった。誰が好き好んで負の感情なんて背負いたいというのだ。
結局……こっちの『わたし』がやりたくないからと理由をつけて、自分の保身の為に私はテニスをやらないんだ。
自嘲気味に笑おうとしたけれど、上手く笑えず、かわりにぽろっと涙が目から落ちた。
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