慰めと王子
一粒零れると、堪えていたものが決壊して、次々と涙があふれてきた。でもまだ、まだ言い足りない。
涙を流す私にぎょっとする観月さんを置いて、私は話し続ける。
「だ、から、テニスをお休みするんです……っ。もう、怖い思いしたくなくて、……っでも、すごい自己中ですよね……!」
ああ、だめだ……涙、止まんない。観月さん困ってるだろうなぁ……。
どうしようもなく、ぼろぼろと涙を流しながら顔を上げると、頬を伝う涙に観月さんがそっとハンカチを当てた。
私の頬にあてられたハンカチが、とても温かい。
あててくれている観月さんを見ると、困ったように、でも優しく微笑んでいた。
「もう、良いんですよ」
「み、観月さん……?」
「一条さんは、もう、ゆっくり休んで良いんです」
そう言って、優しく頭を撫でられる。
あやすように、ゆっくり、優しく。
「で……っでも、私が休むのはエゴのようなもので……っ」
「たまには、エゴイストになっても良いんです。だって貴女は今まで、一生懸命テニスに生きてきたんですから……」
「……ッ」
― もう、休んでも良いんですか?
テニスを、勉強を、休んでも ―……
「良いんですか……?」
「良いんです。怖いなら、ゆっくり向き合っていけば良いんですよ」
いつの間にか私の隣に座った観月さんが優しく抱き寄せてくれた。
目の前が観月さんの白いシャツでいっぱいになる。
温かくて、涙がまたでる。
「ふぅえっ。ごめ、なさ……っ、シャツ、濡れちゃいます……っ」
「んふ、シャツぐらいどうってことありません。好きなだけ泣いていいですよ」
お言葉に甘えて暫く泣きました。
暫くして時間がたっても、相変わらず観月さんは優しく頭を撫でてくれていて、私は若干泣き疲れてもたれ掛かっていた。
……いや、よく考えてみよう、観月さんは初対面の人だ。
初対面の人に何て事してしまったんだ私は。
今さらながらに再認識して私はピシリと固まった。
「一条さん……? もう、落ち着きましか?」
「お、おおお落ち着きましたっ」
「……」
「…………」
「落ち着いてませんよね?」
「落ち着いてます! さっきよりは、多分」
「どもってませんでした?」
「そ、それは……その……」
私は、不思議そうに手を止めた観月さんを見上げて言葉を続ける。
「初対面の観月さんに、色々お恥ずかしいところを見せてしまったというか……ご迷惑をおかけしてしまったと、今更ながらに思いましてですね」
「取り乱してしまってすみませんでした」とぺこっと頭を下げると、観月さんからは「ははは」と軽やかな笑い声が返ってきた。
「良いんですよ、たまには捌け口も必要でしょう。僕は一条さんの新たな一面を見れたので少し嬉しいですし、気になさらないでください。そんなに律儀に謝らなくても」
「あ、じゃあ、ありがとうございました。……ならいいですか?」
「お礼なら受けとります。どういたしまして」
窓辺の光を浴びて綺麗に笑うその人を、本当にどこまでも優しい人だと思った。
*****
「じゃあ、私はこっちの道ですので」
「すみません、今日は用事があって家まで送れなくて」
「え、そんな全然良いですよ。この後はテニススクールなんですよね? 頑張ってください!」
「ええ、ありがとうございます」
『sogno』をでた私たちは駅で別れることになった。観月さんはこのあと部活だそうで。……シャツびちゃびちゃにしてしまって本当にすみません。
「今日は本当にありがとうございました。また今度、何かお礼をさせてください」
「いいですよ、そんな」
「でも、散々泣きじゃくって慰めてもらいましたし……」
「ああ、それなら、連絡先を教えてもらえませんか?」
「へ?」
「もう一度、とは言わず、何度でも貴女に逢うために。駄目ですか? 美里さん」
「は、え、いっ良いです、けど」
「それなら、早速」
言うが早いが観月さんは私の携帯を持つ手を握って、連絡先の交換を始めた。ふるふるしている。
「よし、これで大丈夫。また逢えますね、美里さん」
「あの……名前……」
「お礼の一環で」
「り、了解です」
別に名前で呼ばれることは嫌じゃないので了承しておく。
ふと、観月さんの方を向いたらわりと近くにいてびっくりした。私の顔と観月さんのシャツが近い、近い。そのまま顔をあげると、彼の綺麗な目と視線がかち合う。
「では、名残惜しいですが……もう時間なので」
言いながら観月さんは私の頬に手を伸ばし、ひた、と触れた。
温かい手に包まれた頬が、熱を帯びた。気がした。
「み、観月さん……?」
「また、必ず」
「は、はい。また逢えると良いですね」
「…………」
「あ、えっと、観月さんもう時間じゃ……?」
「……ああ、本当ですね。それでは、」
いつの間にか後頭部に移動していた観月さんの手に、頭が引き寄せられて、その勢いで体も引き寄せられて、一瞬だけ キュ と観月さんに抱き締められた。うわ、いいにおいする。
「あまり色々溜め込む前に、僕に吐き出してくださいね」
「あ……ありがとう、ございます」
初対面なのに、完全に私の都合よく吐き出す相手に選んでしまったのに、どこまでも優しい観月さんにただただ嬉しい気持ちがあふれた。嬉しさをそのままにふわっと微笑むと、観月さんも、んふ、と笑い返してくれて、自然とそのまま別れた。
優しい……本当に王子様のようだった……! でも感覚的にはお兄ちゃんが増えたみたいな……。
橘さん然り、宍戸さん然り。私の周りは私の心配をしてくれる人が多いみたいで嬉しいやら、申し訳ないやら。いや、素直にとても嬉しいな。
でも、流石に駅での抱擁は恥ずかしかったのだった。
*****
やはり、もう一押し足らなかったですかねぇ。
最後に微笑んだ少女を見る辺り、照れたりはしていなかったからまだ恋愛対象には入れてないなと漠然と思う。
思いながら、球を打ち返す。
それにしても……今日『sogno』に行ったのは大正解でしたね。
機嫌よく「んふ」と笑ってから、スクールで同じく練習する部員に声をかけて休憩にすると、柳沢と木更津に話しかけられた。
「観月今日はすごい集中力だーね」
「そう見えますか?」
「くす……何かあったの?」
「何か……そうですね、強いて言うなら、憧れの天使に逢いました」
「「……は?」」
「だから、天使に逢ったんですよ」
「それってどういう意味だーね?」
「そのままの意味です。……ほら、さっさと休憩とって練習に戻りなさい」
「くす、なんか上手く追い払われた気分だな」
「とりあえず退散するだーね」
「そうだね」
去っていった2人を見つつ、ふぅと息をついた。
頭を占めるのは、さっき別れた少女のこと。絶対的な力を持つ『女神』ではなく、実際に会ってみた少女はもっと可憐な……そう、まるで天使のようだったと思う。
僕より年下なのに……あんな気持ちを抱えていたなんて。
初対面で泣かれたのには驚いたが、あの華奢な体で、一生懸命テニスをしてきた彼女を支えたいと素直に思った。
だから、だから僕は、もっと強くならなければ。
頂点に立つ、少女を支えるため。
僕はキリ、と前を向いた。
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