女神と都大会10




観月さんと別れて青学に帰る途中、何となく通りかかったコートを覗くと、氷帝学園と不動峰の試合が大詰めを迎えているところだった。

思わずコートに足を向け近寄ると、不動峰のみんながフェンスの周りにいる姿が目に入る。話しかけようかと思ったけど、神尾くんと伊武くんが汗を拭いながら真剣な眼差しで試合を見つめていることに気づき、さすがに邪魔しちゃいけないよね……という気持ちになったので少し離れたところから見つめることにした。2人の視界に入らないようにこそっと試合に目を向けると、橘さんが宍戸さんと戦っている。

おぉう……グッドタイミング、私。

「宍戸さんのライジングのせいで橘さんはベースライン上に釘付け、かぁ……」

試合を観つつポロッと言葉がこぼれたが、明らかにプラス評価しすぎな意見に自分で思わず苦笑してしまった。正直、どう見ても橘さんが手を抜いているからそんな状況が成り立っているようにしか見えない。宍戸さんは気付いていないのだろうか。いや、そもそも宍戸さんは油断が拭えなかったのね、と少し寂しい気分になる。この試合はきっと橘さんが本気を出したら、あっさり勝ってしまうのだろうと予想できてしまうのが悲しい。

とは思うものの宍戸さんの自業自得と言ってしまえばそれまでよね……。

ううん、私にはどうすることもできないし……と漠然と思いながらコートから一歩離れた。これ以上試合を観ていても結果が手に取るように分かるしあまり楽しくないから、素直に青学に戻ろうかと考える。というか正直、宍戸さんの試合、楽しくない。

なんて我が儘なんだ、私。

足をくるりと回転させて離れようとしたところで、突然横から延びてきた黒い腕に、肩を掴まれた。

「なに、俺達が勝つの見届けてくれないの? 一条さん」

驚いてそちらを向けば、そこにはよく見知った姿が。あ、見つかったということですね。

「い、伊武くん……っ!」
「どーも」
「深司ちょっと待っ……あっ、一条さん、観に来てくれてたんだ!」
「神尾くんも! あ、試合お疲れさまです」

ありがとー! と笑顔の神尾くんの隣で伊武くんは少しムスっとしている。

「で、何で帰ろうとしたのさ」
「あー……えっと、橘さんが勝つのが目に見えてるというか?」
「じゃあ実際に見ていけば良いじゃん。帰ることないだろ」
「まあ、それもそっか」

この2人と一緒なら楽しく観れるかもしれないよね、と私は二人についていき、試合が見えやすい位置まで移動した。

「一条さんは橘さんが勝つと思ってるんだよな!」
「そうだよー、でも神尾くんもでしょう?」
「あったりまえだぜ!」
「ふふ、例え氷帝が相手でも君達の前だと一瞬の油断が命取りだね」
「当たり前だろ、勝負ってそういうもんだし」
「……うん、そうだよね」

だから油断は禁物だって言ったのに、なんて私は言いませんよ、宍戸さん……。

宍戸さんの方を静かに見つめ少し黙り込んだ私に、伊武くんは訝しげに問いかけてきた。

「あの宍戸って奴、一条さんの知り合い?」
「へ? あ、うん。でも何で?」
「……ちょっと浮かない顔、してるから。橘さんが勝つのが嫌なのかなと思っただけ」

拗ねたように視線をそらしながらそう告げる伊武くん。その言葉に虚を突かれたけれど、私は慌てて否定した。

「そんなんじゃないしそれはないよ。不動峰が勝つのは、っていうか橘さんが勝つのは、それは普通に嬉しい事だよ」
「でも知り合い負けるよ?」
「そんなの関係ない。試合の結果で嫌だとかなんだとかないし、これから気まずくなったりもしないよ。ましてや、それで誰かを嫌いになったりなんて、有り得ないし」

伊武くんと神尾くんはスパッと言い切る私をじっと見つめたあと、そっかと呟き軽く微笑んだ。

「あ、でも無意味にラフプレーしたりとかはちょっとないかな。あと、知り合いが負けたら何だかんだで少し寂しさはあるかもしれない」
「結局寂しいの!?」
「ていうかちょっと我が儘だと思うんだけど、いや女子ってそういう感じだよな面倒くさ」
「仕方ないでしょ、乙女心は複雑なの!」

「でもやっぱ、不動峰が勝つのは嬉しいよ」と微笑むとやっと2人は納得してくれた。


「は〜、一条さんは反則だよね、本当」
「伊武くんそれどういう意味」
「なんでもない」





*****





その負けはあまりにあっさりで。その後ろ姿はあまりに悔しげで、寂しげで。私は試合を観終わって青学に帰る途中、たまたま見つけた宍戸さんに駆け寄り、声をかけていた。ほぼ無意識で。

「宍戸さん……!」
「……一条……?」

宍戸さんは驚いたような表情で振り向き一瞬だけ私の顔を見つめた後、ふっと視線を地面に逸らした。

「観に来てたんだな」
「はい、知り合いの方に誘われて……」

そう言うと、宍戸さんは少し黙った後、ぽつりと訊いた。

「…………俺の試合、観たか?」
「観ました」
「……そっか」
「……あの、」

何か言葉を発しなければ……! と思った瞬間、急に宍戸さんは顔をバッと上げて、笑った。

「なっさけねぇよなぁー。負けちまったぜ! せっかくお前に、忠告してもらったのにな!」

わりィな、と言う宍戸さんの目はきちんと笑えてなんていなくて。口角を無理やり上げただけのその笑顔に、私は思わず詰め寄った。

「そんなこと、言わないでください! 無理に笑わないでくださいよ……っ」
「……わりー、な……」
「ッ、確かに、悪かったです、宍戸さんは油断してたように見えました。でも、気づけたじゃないですか! だったら次からは、」
「次はねぇんだよ」
「え……」
「だから、次はねぇんだ。氷帝は実力主義だから負けたらレギュラー落ち。2度とレギュラーには戻ってこれねぇ」
「そんなの……っ。じゃあ宍戸さんは、もうレギュラーを狙わないんですか……?」
「狙えねぇんだ」
「やってみなくちゃ分からないじゃないですか!」
「過去にレギュラー復帰した奴なんか誰もいねぇんだよ」
「前例がないだけで諦めるんですか!?」
「…………」
「それに、負けっぱなしで良いんですか……?」

私の言葉を聞いた宍戸さんは、やっと無理な笑顔を止めてくれたけれど依然としてその表情は晴れない。焦点の定まらないような不安定な瞳で、彼に見つめられる。

「でも、負けちまったんだ。無様にな」
「じゃあ今度はっ」
「今度なんてのはねぇよ。……俺はもう、駄目なんだ」
「……っ、本当に、もう無理だと言うほど、宍戸さんは失敗したんですか!?」
「……ああ、したさ」
「じゃあ本当に諦めつくほど、努力したんですかっ!?」
「…………」

言葉が途切れて沈黙が訪れる。根強く見つめると、さらりと流れる長い髪の間から、一瞬だけ宍戸さんと視線が交わった。かと思うとすぐに彼はさっきの無理な笑顔に戻ってしまう。そして、私の髪をくしゃっと軽く撫で、静かに呟く。


「……わりぃ、な」


その、全てを押し殺したような諦めたような声色に咄嗟に反応できず、固まった。もはや言葉すらもうまく出ないし胸が痛い。

その隙に宍戸さんは私の頭から手を離し、「じゃあな」と踵を返して行ってしまおうとする。まるで、はぐらかすかのように。呼び止めるかのように私は思わず声を出していた。

「宍戸さんっ! らしくないです! そんなの私の知ってる優しくて強くて……テニスが大好きな宍戸さんらしくないです!」

宍戸さんの背中にぶつけた言葉は、届かず消えてしまったのだろう。彼はそのまま遠ざかってしまい、私には追いかける術も、言葉もない。宍戸さんには色々助けてもらったのに、結局私は彼を助けられないのだ。歯がゆい。悔しい。自分に対して唇を噛む。でも私が言える事はちゃんと伝えたから、もう私が出来ることはきっとない。

後は、宍戸さん次第だ。そして私は、宍戸さんなら這い上がると信じている。

信じることしか出来ないけど、だったらとことん信じてやるんだから、と少し前を向いた。私が落ち込んでいたってしょうがない。こんな表情で青学に帰ったら心配される。軽く深呼吸をして、笑ってみた。大丈夫、もう上手く笑える。

私は待ってますよ……、宍戸さん。


時は夕暮れ、もうすぐ都大会の前半戦が終わってしまう。早く青学と合流しなきゃと歩を進めた。



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