日溜まりの机にて
よいしょ、と自分の身長より少し上の棚に置いてある本に手を伸ばす。あれはさっき手塚さんが言っていたオススメの本のはずなので、ぜひとも読みたい。
大石さんが突如立ち去ってしまってから数十分。手塚さんにどんな本がテニスの勉強をするのに向いているかを教えてもらった私は今、人気の少ない本棚に紛れ込み必死にお目当ての本に手を伸ばしている。
でも……っと、届かない……!
背伸びでも駄目なら、とつま先立ちでギリギリまで指を伸ばすと、カツン、と爪が本に引っ掛かってくれた。よし、いい感じだ。しかし中々抜けないので、ガッと勢いに任せて本を引いてみれば。
「……っわ、」
一冊だけ勢いよく抜けたと思ったが、それに引っ張られるかのようにバラバラと沢山の本が落ちて、私に襲い掛かってきた。
「――ッ!?」
しまった、と思うと同時につま先立ちのバランスが崩れて体が後ろに傾くのを感じる。けれども上からは本が次々と降ってくるので、とっさに顔の前で腕をクロスさせた。まずい、腕が足りない。本が降ってくるのをスローモーションに捉えつつ、このまま後ろに倒れ込み尻餅ついた私の上に本が……と嫌な想像をすること数秒。次の瞬間、私の体は何故かたくましい左腕に後ろから抱き寄せられていた。
「あ……れ……?」
視線を上げれば同じようにたくましい右腕が降りかかる本を払い除けた後で。更に顔を上げればそこにいたのは。
「て……手塚さん……?」
「間一髪か。怪我はないか、一条」
心配そうに私を見つめる手塚さんがいらっしゃった。いつの間に現れたのだろう。
「ふと覗いたら本が一条に降りかかるところで……とっさに抱き寄せてすまなかった」
「いっ、いえ大丈夫です! 助けてくださってありがとうございました!」
あわあわとなりつつもお礼を告げると、手塚さんは「間に合って良かった」とホッとしたように肩の力を抜いた。それと同時に彼の腕の力も抜けたのでスルリと抜け出す。改めて手塚さんを見上げると、彼はなぜか少し不機嫌そうな目をしていた。
「手塚さん?」
「…………」
「あ、あの」
「……一条」
「は、はい」
「どうして手が届かないのに俺を呼ばなかった。近くにいるのは知っていただろう」
「知ってはいましたけど……」
「今回はギリギリ俺が間に合ったから良かったものの、危ないところだったぞ」
「でも……迷惑かけちゃいけないと……思いまして」
たかが本を取ることごときに手塚さん呼ぶなんてそんな……。
私が困ったように言うと、手塚さんは片手を私の肩に優しく置き、私と目線を合わせて柔らかく告げた。
「君はもっと他人を頼って良い」
「…………」
「俺が近くにいるなら助けになる。もっと気軽に頼れば良い。一人で何でもしてしまおうとするな」
「ご迷惑、では……?」
「迷惑なら最初から君にこんなことを言わない」
真剣に見詰められて、私はようやく、彼に心配を掛けたのだとじわりと感じた。だからこそ手塚さんは私を気にかけてくれるんだと思うと、ふっと肩の力が抜けた。
ああ、そうか……。また心配してくれる人ができたんだ。
それはとても嬉しいことだったので、私は ほわっとした締まりのない笑顔で手塚さんを見上げた。
「ありがとう、ございます」
「……解ってくれたならそれで良い」
ふい、と視線を逸らされてしまったが口調は優しかったので私は安心して『お願い』を手塚さんに告げた。
「じゃあ、すみませんが……とりあえず本の片付けを手伝ってもらっても良いでしょうか」
手塚さんは虚をつかれたような表情になったあと、笑うかのように目を細めて快く了承してくれた。
*****
ペラ、と彼女のページを捲る音が途切れて何分経つのだろうか。
大方日溜まりが心地好くて本を読んでいるうちに眠ってしまったのだろうと予測をつけ、俺は読んでいた本に栞を挟み、顔を上げた。すると日光が柔らかく差し込む中で、俺の目の前に座る少女……一条美里のこくりこくりと眠っている、年相応のあどけない表情が目に入る。
……テニスをしている時とは大違いの顔だな。
1年前からそのプレーの完璧さに目を引かれ何度か彼女の試合を見に行ったが、今年は怪我で出ないとテレビで知り少し落胆したのは記憶に新しい。が、何処かそれを嬉しくも感じていた。
いつも苦しそうに、詰まらなさそうにテニスをしていたからな……。
大会で会っても常に無表情。けれども今日久々に会って、初めてまともに話した彼女は表情がコロコロと変わる極めて " 普通の女の子 " だった。テニスから離れることでリフレッシュ出来たのなら、俺はそれで良いと思う。
必死に独りでどうにかしようとする一条に、つい手を伸ばしたのはきっと初めて彼女のテニスを見たときから抱いていた心配からだ。絶対的な力でそこにいるように見えて、実は彼女だって脆いのではないか……と。実際、彼女はとても素直で明るい日溜まりのような子だ。そんな子が全国のトップに居続けるのは、苦しいことではなかったのだろうか。
まあしかし……それでもトップに立ち続けた事は凄いことだ。
もしかしたら俺が想像も出来ないほど、凄いことなのではないかとふと感じる。などと物思いに耽っていると、開け放った窓からふわっと風が吹いて彼女の髪を少し乱した。ほとんど無意識に手を延ばして髪を整えてやる。すると、くすぐったかったのか彼女はわずかに頭を揺らした。
目の前に座る彼女との距離は、意外に近くて、顔がよく見える。良い夢でも見ているのか、穏やかに微笑むその寝顔にこちらの気分もほっこりとなった。
ずっと……こんな風に柔らかい表情でいられると良いな、一条。
例えば君のテニスがもう見られないとしても、君がそんな風に幸せそうならそれが1番良いことで。その手伝いができるのなら俺は喜んで手を貸そうと思うのだ。
手を持ち上げて、一条の小さな頭を優しく撫でてから、俺は読書に戻った。
初対面の強く脆く一生懸命な姿に惹かれたんだろうな。
彼女とは今日初めて話すはずなのについのめり込んでしまう事や、それなのに穏やかな気分の自分に手塚は思わず苦笑した。
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