帰り道にて
「すすすすみません、本当ごめんなさい……!」
「大丈夫だ。気にしていないから落ち着け、一条」
「いや、でも……!」
「元々俺は君を家まで送るつもりだった。気にするな」
「う、じゃあ……ありがとうございます」
「それで良い」
満足そうにそう言った手塚さんの隣に並んで、少し暗い帰り道を歩く。どうしてこうなってしまったのかは、言うまでもなく私が寝過ごしたからだ。不覚にも。
だって日溜まりが暖かかったんだもん! すごく!
あれから落下してきた本を一緒に片付けて、手塚さんオススメの本を読みつつ、疑問があれば前の席に座る手塚さんに教えてもらいつつ私は真剣に勉強していたはずだった。……1時間半くらいは。座った席が程好く日が当たるところだったせいで、ぽかぽか温まってしまい気づいたら、寝ていた。なんだか良い夢をみた気さえする。
結構寝ていたみたいで、低い声で名前を呼ばれて起きてみれば「やっと起きた」とホッとしたような手塚さんと薄暗い窓の外が目に入って。閉館時間10分前という状況だったわけだ。本当に申し訳ない。そして「もう暗くて危ないから」と私を家まで送る気満々な手塚さんと図書館を出て、今に至る。
「本当に、付き合わせてしまってすみませんでした……」
「気にするな。それに、君を早く起こさなかった俺も悪い」
「そんな……! 私が寝ちゃったのが1番、」
悪いです! と続けようとしたが後ろからチリンチリンと自転車のベルの音が聞こえて、とっさに手塚さんが右手で私を引き寄せた。
……? 私、手塚さんの左側にいたのに何で右手で……?
左側にいるのだから左手を使った方が明らかに楽なはずだ。けれども手塚さんは右手で私の肩を引き寄せている。抱きしめられているようなポージングになっていて少し気恥ずかしい。
そういえば……本を払い除けた時も右手だったな……。
左手、というよりむしろ左腕を無意識に庇っているのではないだろうか。考えているうちにじっと見つめてしまい、手塚さんに訝しげに「一条?」と呼び掛けられてしまった。
「あ……、えっとすみません。ありがとうございました」
「?」
「自転車……」
「ああ、大したことはない。怪我はないか?」
「引き寄せていただいたので大丈夫です」
私がにこりと笑うと手塚さんは、そうか、と呟き腕を離した。かと思えば、そのまま私の方に向き直りじっと見つめてくる。
「それで、さっき見つめていたのは何故だ?」
「あー、えーと、その……」
なんて伝えればいいのだろう。下手したら盛大に地雷を踏む気がする。
「思っていることを言ってくれて構わない」
「あ、じゃあ……。手塚さんって無意識に左腕を庇うなぁと……思いまして」
「……そうだろうか?」
「ええ。落下する本から助けてくださった時も、右手で本を払い除けてましたし、さっきも右手で引き寄せてくれましたし……」
「…………」
「それだけの事で何を、と言われてしまえばそれまでなんですが……。そう意識してみるとちょっとした仕草にも左腕を気遣う動作が見られて」
と言ってみたものの、手塚さんからは特に反応が得られない。しまった、的外れだっただろうか。「考えすぎですよね、すみません」と苦笑すると、手塚さんは困ったような、それでいてどこか感心するような視線を私に向けた。
「手塚さん……?」
「君は、随分と洞察力があるんだな」
「そう、ですか?」
「そうだ。君が察する通り俺は左腕に怪我をしている……いや、していた」
「ではもう完治したんですね」
「……ああ」
手塚さんにしては珍しく歯切れの悪い返事が返ってきてしまった。
でも……おかしいな。完治してるはずなら、どうして……。
心の中で沸いた疑問はあっさりと口からこぼれた。
「完治しているのなら、どうして庇うんですか?」
じっと目を見つめると、手塚さんは一瞬大きく目を見開いて苦しそうな顔をした。
「恐らく無意識に、庇ってしまっている。……また、怪我をしないように」
「でもそれってもったいなくないですか?」
「勿体ない?」
「ええ、だってせっかく使えるのに使わないなんて、ただの宝の持ち腐れじゃないですか」
「…………!」
「だから、もったいないな……と」
そうあけすけもない言い方をすれば、手塚さんは完全に黙ってしまった。……しまった、また言い過ぎたかもしれない。やらかしたと思い、直ぐに謝罪の言葉を脳内で準備しかけたところで突然、手塚さんはふっと小さく笑った。
笑った…………って笑ったぁぁあ!??
滅多に笑わないイメージのある人なのに、言い過ぎて怒らせたと思ったのに、彼は肩の力を抜いて穏やかに口元を緩めている。流石に唖然として半ば呆然と手塚さんに呼び掛ける。
「て……手塚さん?」
「なるほど、確かにそうだな」
どこから話が繋がっているのだろう。
「 あの、すみません……何がですか?」
「君の言った " 宝の持ち腐れ " についてだ」
「はあ」
「そうだな、使いたければ使えば良い」
「え、はい……自分の体なんですし、好きなように使って良いかと」
戸惑いながらも言葉を返せば、相変わらず穏やかな顔の手塚さんはふわりと私の頭を撫でた。
「ありがとう一条」
「いえ……そんなお礼を言われるようなことしてませんよ……?」
「いや、大分気分が楽になった」
優しくそう告げた手塚さんはおもむろに私の頭をもう一撫でして、くるりと踵を返した。
「さあ、もう行こうか一条。そろそろ日も暮れることだろう」
「あ、え、はい」
歩き出した手塚さんの隣に並び顔を除き込めば、その顔はいつも以上に自信に溢れた表情に感じた。
「手塚さん、も、」
「どうした?」
「テニスが本当にお好きなんですね」
自然と出た言葉に、ふんわりと笑えば。
「そうだな」と、しっかりとした肯定が返ってきて、どこか嬉しくなった。
*****
無事に一条を家まで送り届けた俺は、携帯電話の着信音で早くも彼女から連絡が入ったことに気付いた。
『今日は本当にありがとうございました。凄く楽しかったです』……か。別れ際も散々ありがとうございますを連呼していたのにな。
律儀なことだと目を細めた。心が満たされるようにも感じる。
それにしても、と思い出しながら空を仰げば、月がちょうど雲に覆われるところだった。しかし月は雲に隠れつつも光を失うことなく輝いている。
『宝の持ち腐れ』か……。
俺が上手いこと左腕を使えなくなってしまったのを的確に刺した彼女の言葉は、むしろ心地好いものだった。はっきりと言われた方がスッキリする。
月が雲に隠れても光を発するように、怪我をしたからといって積み上げてきた経験が光を失うわけではないのに。ましてや、怪我はもう治っている。もう使えるということは、自分が1番知っていたはずなのだ。そう、雲はもう、はれている。
結局俺は自分自身を縛り付けていたのか。
他の奴らは気づいていないか……気づいていても敢えて言わなかったのだが。一条はアッサリと言ってくれたな。
でもそうしてくれたお陰でストンと何かが腑に落ちた気もする。彼女のお陰で黒くもやっとしたものが晴れた気がする。俺自身の左腕なんだから、自由に使えば良い。それだけのことだ。無駄に恐れる必要も、出し惜しむ必要も、ない。
気づかせてくれた一条に感謝だな。
今度またゆっくり話せたら良いと思いつつ、返信を打つ自分自身の口元に緩やかな笑みが浮かんでいることには気づかない。少し伏せた視線を、もう一度空に向ければ雲はすっかり行き去り、月が本来の輝きを取り戻したところだった。
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