初夏の誘い




何か、明確な何かがあったわけではない。
ただ積もり積もったそれが耐えきれなくなるような、メーターが振り切れるようなそんな衝動に身を任せてしまっただけなのだ。







――それは、初夏の太陽が照りつける暑い暑い夏の日だった。


頭上からは直射日光、足元からは吹き上げてくる蒸し暑い風を感じながら少女は隔りの向こう側へと降り立つ。たかが学校の屋上とはいえ、その高さに足を竦ませつつも少女は口元だけで微笑んだ。

死ねるかどうかは問題ではなく、死ねなくても身体が壊れてしまえばいいと思っているのだ。今更何も、怖いものなどはない。

少女はわずかな間だけ、あの日々に…あの1ヶ月に思いを馳せた。あちらのわたしはこうなった私を笑うのだろうか、と。




*****


あの日、深い眠りから覚めた少女を待っていたのは"いつも通り"の日常だった。
勉強勉強と煩い親、元気な友人、変な先輩と優しい先輩。変わらない…強いて言うならつまらない日常が何事もなかったかのように幕を開けた。
ただそれは、期末テストを境に状況を変えた。見事に成績を落としてしまったのだ。たった…たった、それだけの事。

まず、少女は親に殴られた。喚かれた。情けない、とヒステリックに当たられた。
仲が良かったはずの友人からは、冷たい視線が向けられた。クラス中、学年中からも同じ視線を感じた。教師には呆れられ、見捨てられた。
みんな口を揃えてこう言うのだ。
「失望した、期待していたのに。」
「がっかりだ。勉強しか取り柄がないのに。」
「それを失ったお前に何の価値もない。」

ああ、それだけの事で生きている、存在している価値すら否定されるのかと最初は馬鹿馬鹿しく思えた少女。しかし彼女は時間が経つにつれどんどん怖くなった。沢山の目が、声が、彼女の存在を否定している。


(私は、私は、生きている意味が本当にないのかな…?)


家に帰っても休まらない心と身体。
学校に行けば突き刺さる視線と殺される心。誰にも話せない苦痛が1ヶ月弱続いた中で、彼女の唯一の心の支えだった茶道室で最後の切り札は切られた。



「もう、部活に来なくていいぞ一条。」

静かに響いたいつも優しい部長の声は、かつてないほど鋭かった。曰く、成績が悪いのに来てもらっては困る、この時間を勉強にあてたらどうなんだ、と。ただの正論と言えばそうだろう。しかしその言葉を口にする部長の目つきは鋭く、茶道室にいる人々からも同じ視線が突き刺さった。ああ、ここにも居場所がないのかと少女が思うのは当然の事だった。
極め付けに敬愛していた副部長に「お前には期待していたんだがな、がっかりだ。」と言われてしまった日にはもう。




少女が死を決意するには、十分だった。







*****



――ああ、やっと終わる、やっと解放される。


遠いアスファルトで揺らめく陽炎が、おいでおいでと誘っている。
ふわりと、一歩踏み出して身体が傾く感覚に身を任せれば。

少女の身体はいとも簡単に、屋上から姿を消し、地上へと吸い込まれていった。





――嫌い、嫌い、こんな世界なんて、さようなら…



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