たかが一泊二日。そもそも自分たちは週末にしか会わないのであるから、一泊会えなかったところで何だと思うのだが、いや、しかし、本来は平日を五日乗り越えれば会えるところを十二日に延ばされているのだと思うと腹が立つ。彼女にではなく、社員旅行を取り入れた会社とその上層部にだ。
……と思っていたが、そんな苛立ちも彼女からのメール一通で収まってしまった。
『日曜日の夕方に都内に戻りますので、夜からお邪魔して、月曜日はそちらから出勤してもいいですか?』
通知欄で全文読めたので、もちろんですと即答したくなったが、暇だとかがっついているだとか思われるのは嫌なので、数分置いてから既読を付け『構いませんよ』と返事をした。
金曜の定時まで仕事をして、土曜の朝から――何処だっただろうか、聞いたはずなのだが苛立ちで忘れてしまった、とりあえず温泉街だった気がする――旅行先へ向かい、一泊して日曜の夕方に帰ってきて、また月曜から仕事。そんな旅行に何の意味があるのか。ちょっと温泉に浸かったところで、そんなスケジュールでは全然癒やされやしないだろう。それならまだ俺のほうがよほど彼女を癒せる自信がある、と温泉に謎の対抗意識を燃やす。いや、温泉は悪くないのだ。悪いのはこのスケジュールを組んだ会社と以下略。
とにかく、そんなハードスケジュールのなか、わずかな時間でも彼女は自分に会いにきてくれると言う。こんなに嬉しいことがあろうか。いや、そもそも社員旅行なんぞがなければいつも通り二日間一緒に過ごせたわけだが。
不安定な情緒を落ち着かせるため、マグカップに手を伸ばす。すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含み、時計を見上げると、今は土曜の夜八時。食事が終わって一息ついたところで連絡をくれたのだろうか、などと再び彼女に思いを馳せる。
……明日彼女が来るのなら、もう少し原稿を進めておくか。
* * *
「ただいま戻りましたぁ」
いつもはお邪魔しますと言って上がってくる彼女が、今日はただいまと言う。旅行から帰ってきたばかりだから、ということは分かっているが、どこか嬉しい自分がいる。
一度帰宅して明日出勤するための服を着てきたらしい彼女は、いつもよりどこか小綺麗で大人っぽい。いつもは靴紐を解いたりストラップを外したりでのんびりとやってくるのが、今日はパンプスをするんと脱いでさっさと上がってきた。
お土産ですと言って渡してきた紙袋を覗くと、パッケージに伊豆の文字。あぁ、そうだ、伊豆だった。
「旅行はどうでしたか」
「楽しかったです!露天風呂なんて初めてで!あ、えっと、一日目はですね」
順を追って説明する彼女の表情は、その瞬間を思い出してかころころと変わる。可愛らしいと思う反面、自分の知らないところで彼女が色んな体験をして、こんなふうに笑ったり驚いたりして、それをたかが同じ会社に勤めているというだけの男が視界に入れているのかと思うと苛々する、が、もちろん彼女に悟られるようなことはしない。
「夢野さんは、何してたんですか?」
「小生はずっと仕事ですよ。曜日なんてあってないようなものですから」
あなたのいない週末には何の意味もないですからね、なんて恥ずかしいことは言わない。
すると、彼女は少し悲しそうな顔をした。
「……疲れてないですか?私、お邪魔じゃないですか?」
「邪魔だなんてとんでもない。あなたこそ、せっかくの週末なのに休む暇もなかったでしょう。無理しなくてよかったんですよ」
――あぁ、これは嘘です。本当は顔が見られただけで嬉しい、無理してでも来てほしい。明日休みたければ、小生が得意の嘘で会社に電話をしますから。そんなこと言っても、彼女は「だめです」と一蹴するに決まっているので言いませんが。
「無理じゃないです。疲れてない、と言えば嘘になりますが……いくら温泉に浸かったって、美味しいものを食べたって、夢野さんに会わないと、次の一週間頑張れないんです」
「……あんまり可愛いことを言わないでください」
ぶわっと、顔に熱が集まるのが分かって、赤くなっているのを見られたくなくて、隣に座っていた彼女を抱き締めた。肩口に顔を埋めると、おずおずと背中に手を回される感触があり、耳元では「……えへへ」と幸せそうに笑う声がする。
「これで一週間でも二週間でも頑張れます」
「一週間にしてください。小生は二週間は頑張れません」
そう答えて、(……いや)と思う。
「一週間も我慢する必要があるんでしょうか」
「……え?」
彼女の肩に手をやり、剥がすように身体を離すと、きょとんとした顔が目に入る。
「だって、平日はお仕事」
「あなたが毎日ここへ帰ってくればいいじゃないですか」
「え!?」
幸い、部屋は余っているし、彼女の会社からも遠くはないし、何より、
「次またこんなふうに、会えないかもしれない週末があったら、小生はもう堪えきれません」
再び彼女を抱き締めるが、今度は背中に手が回される感触はない。その代わり、先程とは比べ物にならないくらい早い彼女の鼓動が伝わってきた。肩口に触れている頬もじわじわと熱くなる。
「……いやですか?」
耳元で囁くように問えば、彼女の手がずるずると背中を這ったあと、肩甲骨の辺りで服をきゅっと握り、彼女は
「いやじゃ、ないです」
と蚊の鳴くような声で答えた。
「じゃあ、そうしましょう。毎日、行ってらっしゃいとおかえりなさいを言わせてください」
「私も、毎日、行ってきますとただいま、言いたいです」
「おはようと、おやすみも」
「……はい」
さすがにそろそろ彼女の心臓がどうかしそうだな、と苦笑して身体を離そうとすると、逆に背中に回った腕の力がぎゅっと強くなって、こちらの心臓が止まるんじゃないかと思った。
あぁ、こんなに愛おしい存在ができるなんて、少し前までは思いもしなかった。
こんなに幸せでいいんでしょうか、と独り言のように呟けば、
「もっともっと幸せになってもらうので、これくらいで音を上げられちゃ困ります」
と言って笑う声がした。
Fin.