「今年はちゃんと休み取ったで!」
突然の俺の宣言に、振り返った名前は目をまあるくしてぱちぱちと瞬かせた。
「……何が?」
「10月31日!土曜やったら名前も休みやろ?」
「まあ、うん」
そんな適当な返事をしながら、名前は再び背中を向け、皿洗いに戻った。そっけない背中に歩み寄り、背後からお腹のあたりに手を回すと「邪魔すんねやったら代わってや」と相変わらず可愛くない言葉。
「え、ちょお待って、何の日ぃか分かってる?」
「ハロウィンやろ」
「絶対言うと思った!」
視界の下のほうでくつくつと肩が揺れる。一応、正解は分かったうえでこんな意地悪をしているらしい。
……ま、去年の意地悪と比べたら可愛いもんか。
「なあ、どこ行く?あ、でも一日中家おんのも悪くないなあ」
「一日中家おって何する気やねん」
「何も言うてへんやん、名前チャンのえっち」
「こっちの台詞やろ、スケベ」
両手が塞がっているからか、俺のお腹にぐりぐりと肘を押し付けて、目線は手元に向けたまま名前が言う。そんな期待されてるんやったらしっかり応えなアカンなあ、なんて口に出したら本気の肘鉄が飛んできそうなのでぐっと飲み込んだ。
「……ん?ハロウィン……?」
ふと名前は手を止め、ぽつりと呟く。それから手に残っていた泡を洗い流して、さっとタオルで拭くと、未だくっついたままの俺の存在などまるでないように、くるりと身を翻してテーブルのほうへ向かった。充電器に繋がれたスマホを操作して「あ」と漏れる声に嫌な予感がする。
「やっぱり、私その日、会社の近くのハロウィンイベントのお手伝いやわ」
「え!?」
「会社の近くの商店街のイベント手伝っててな、毎年何人か交代で手伝いに行ってんねん」
手当も出るし半分仕事みたいなもんで……とまで言われてしまったら、行かんとってなんて口が裂けても言えなくて、しかし見るからに肩を落とす俺に、名前はさすがに申し訳なさそうな顔をした。
「なんかごめん……でも夕方には終わるから」
「いや、俺も確認せんかったしな……迎えに行くから晩飯でも行こ」
「う、うん、どっか予約しとくな」
……一日休みにしてもらうの、結構大変やったのにな。仕事なら仕方がないとは思うのだが、そう簡単には切り替えられそうにない。しかし、その後数日は申し訳なさからか名前がずいぶん優しかったので、それは素直に受け取っておいた。
* * *
待ちに待った誕生日当日、名前の仕事が終わるのを待つ間、帰ってからも存分に構ってもらうため家じゅうの家事を片付けた。久しぶりのオフでもあったので早めに家を出て自分の買い物を済ませ、名前を迎えに向かう。ハロウィンのイベントをやっているだけあって、商店街の中は大人も子供も仮装をした人がちらほらといて、ずいぶん浮かれた様子だった。
(名前の仕事ぶり見たろーと思ってんけど……)
待ち合わせよりだいぶ早く来たものの、名前がどこで何をしているのか聞いていなかった。とりあえず運営事務局とやらがあるところへ向かってみると、仮装をした子供たちが集まって列を作っている。どうやらお菓子を配っているらしい。その行列の先に探し人の姿があった。
(……あ、おった)
後ろ姿なのに、どうして分かってしまうのだろう。しかも黒い三角帽子とマントというまるで見慣れないはずの恰好なのに。
女の子にお菓子を手渡すと、名前がふとこちらを向く。さすがにこの人混みの中では気づかれないかと思ったが、名前は俺と目が合うなり、みるみる赤くなってわなわなと震えだした。その口の動きは「なんでおんの!」だろうか。
しかし、お菓子をせがむ子供たちに長いマントの裾を引かれ、名前はすぐにまた背中を向ける。
――どないしよ。写真撮りたいけど、あんま機嫌損ねるんもなあ……。
先ほどのリアクションを見るに相当恥ずかしがっているようだし、あまり嫌がることはしたくない。仕方なく「終わったら脱ぐ前に写真撮ってな」とメッセージを残して待ち合わせ場所に向かい歩き出したが、期待はできないだろう。
* * *
「なんでおんの自分!」
十分ほどすると、手伝いが終わったらしい名前が小走りで現れた。もちろん写真は送られてきちゃいない。
「お疲れちゃーん」
抗議の声は聞こえないふりをして、近くのカフェで買っておいたミルクティーのカップを差し出すと、名前は一瞬明らかに目を輝かせて、それからまた思い出したように唇を尖らせた。カップはしっかり受け取っていた。
「いやー、みんな仮装して楽しそうやなあ。名前もしてきてよかってんで?」
「もうええわ」
「なあ、写真は?あれ持ってこんかったん?」
「撮るわけないし、あれは借り物!」
そう言うとぷいとそっぽを向く名前に「ごめんごめん」とまるで心のこもっていない謝罪を口にして、鞄を奪い取り空いた手を握る。名前は少し悩んだあと、何も言わずに歩き出した。先ほどまで尖らされていた唇は、今はミルクティーを啜ることに忙しいらしい。
「レストランの予約までまだ時間あるから買い物していっていい?」
あ、と声を上げてから名前が言った。ちらりとこちらを見上げる顔には、もう怒りの色なんて微塵も浮かんじゃいない。
「ええよ、どこ行くん?」
「簓のプレゼント買いに」
「本人の前で買うんかい」
「意見を尊重したろーと思って」
別にサプライズなんて求めちゃいないが、多少のわくわく感くらいは味わいたいというのが本音ではある。しかし名前はおそらく純粋な善意で言っているのだろうし、何も文句はつけられなかった。ただ、来年は、名前の選んだものが欲しいと言おうと密かに決意した。
そんなわけで、目的地は俺が欲しいものを買える場所なのだが、つい先ほど買い物を済ませてしまったばかりだし、急に言われてもなかなか思いつかない。どないしよ、を繰り返す俺を急かすでもなく、名前は黙って隣を歩いている。
「わ、」
すると突然、名前が足を止めた。何事かと思いその視線の先を見てみると、小学生になるかならないかくらいの幼い女の子が名前の服の裾をちょんと握っている。その小さな身体には既視感のある黒い三角帽子とマントが纏われていた。
迷子かと思ったが、少女の顔に不安や焦りの色はなく、むしろきらきらと何か期待するような眼差しで名前を見上げている。名前は不思議そうな表情でこちらを一瞥すると、手を塞いでいたカップを俺に手渡し、すっとしゃがみこんで少女と目線を合わせた。
「どないしたん?」
……うわ、何やろ、今めっちゃドキッとした。
ふと顔を上げると、少女の母親らしき女性がこちらへ駆け寄りながら、申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げているのが見えた。やはり迷子ではなかったようだ。名前に伝えようと再び視線を落とすと、まさに少女が「トリックオアトリート!」と名前を脅迫するところだった。
「えーと……飴ちゃんでもいい?」
名前は一瞬きょとんとしたあと、微かに笑い声を漏らすと、ポケットから数粒の飴玉を取り出し、少女に手渡した。俺が口寂しいと言えばどこからか出てくる見覚えのあるソーダ味の袋が二粒と、いくらかの見慣れない袋は今日配っていた残りだろうか。
飴玉を受け取った少女は「ありがとう!」と元気いっぱい答え、母親のもとへ駆けていった。名前は少女にひらひらと手を振り、申し訳なさそうに頭を下げる母親と目が合うと、にこりと微笑んで小さく頭を下げた。
「ふふ、びっくりしたなぁ」
そう言う名前は満面の笑みで、至極楽しそうだった。俺がミルクティーのカップを返すと、黙って受け取り一口煽る。
「……子供欲しいなあ」
母親と手を繋ぎ去っていく少女の背中を見ながら、深くは考えずぽつりと呟けば、隣で名前がブフッと飲み物を噴き出す音がした。
「な、な、」
「あ、誕生日プレゼントの話ちゃうで」
「当たり前やッ」
珍しく本気のパンチが背中にお見舞いされた。本気を出したところで可愛いものなのだが。
「ていうかあれ俺の飴ちゃんやん」
「簓のやないし、あんなちいちゃい子相手に何言うてんの」
言いながら歩き出した名前に慌ててついていこうとすると、名前は少し振り返ってちらりと俺のほうを見て、
「そんなんで子供欲しいなんて、先が思いやられるわ」
――それは、思いやられるような先があることを喜んでもいいのだろうか。
再び前を向いてしまった名前の真意は分からないが、たとえ一瞬でも自分との未来を想像してくれたのだとしたら、それだけで幸せで、思わず頬が緩んだ。
「なあ、名前、俺な、来年は名前の選んだプレゼント欲しい」
「……今年のも決まってへんのにもう来年の話すんの?」
俺の言葉に名前は怪訝な顔をしながらも「ええけど」と続けた。来年も一緒にいることに何の疑いも持たないことに、胸の奥がじんと熱くなる心地がした。
それから名前は「あ」と声を上げて、じっとこちらを見つめる。
「まだ言うてへんかった。誕生日おめでと」
「遅っ!」
思わずツッコむと、名前はカラカラと楽しそうに笑った。