簓 2021

『なあ、名前、俺な、来年は名前の選んだプレゼント欲しい』

――そんなこと言われてもなぁ……。
カレンダーをめくって、10月に入ってからずっと私は頭を抱えている。
欲しいものは自分で買えて、美味しいお店も楽しいこともたくさん知っていて、日本中にファンがいる簓が今更貰って嬉しいプレゼントなんて、この世に存在するのだろうか。何も考えず承諾した去年の私が憎くて仕方ない。けれどそれ以上に、何も思いつかない自分が情けなかった。
いっそ本人に訊……いたら、だめなのか。訊いたところで、私が選んだものなら何でもいいと言うに決まっているし、そもそも私がこんなに悩んでいるなんて知ったらいらないとさえ言うかもしれない。

「どーしよ……」

* * *


――あー……めっちゃ悩んでんなぁ……。
最近、名前はなんだか元気がない。指摘すれば慌てて「なんでもない」と言うので俺には知られたくないことらしい。しかし、名前が思いつめた顔をして溜息をついているときにはいつも視線の先にカレンダーがあって、今月のカレンダーで印がついているところといえば――九割九分、原因は俺だろう。

(名前がくれるモンなら何でも嬉しいんやけど……)

カウンターキッチンの向こうで食器を洗っている名前の眉間にはわずかに皺が寄っている。名前が選んだプレゼントが欲しいという気持ちに変わりはないが、かと言って名前を苦しめるのは本望ではない。
そもそも、欲しいものを訊かれたところで俺だって特に何も思い浮かばないのに、名前に求めるのは少々酷なのではないだろうか。

(やっぱいらんて言うべきか……)

けれども、去年の話とはいえ自分から言い出した手前、あれだけ真剣な名前に水を差してしまってもいいものかと少し迷う。それに名前は一応隠しているつもりなのだろうし。
やはり、口を挟むならせめてリクエストだ。しかし今これと言って欲しいものはなく、むしろ名前から貰うものなら何でも嬉しい。結局そこに帰りついてしまう。名前もこんな感じなんかな、俺のことで頭いっぱいやな、なんて考えると思わず笑みが溢れた。

「……簓」

いつの間にか作業を終えたらしい名前が、含み笑いをする俺に話しかけてきた。俺がこうやってひとりで笑っているのはさほど珍しくないからか、特に動じる様子はない。
向かいの椅子を引いて腰を下ろすと、名前は気まずそうに視線を彷徨わせたあと、ちらりと上目遣いでこちらを見た。

「あのさ……誕生日、何か欲しいものある?」

どうやら白旗を上げることにしたらしい。まあ、もう一週間切ってるもんな。

「名前がくれるモンやったら何でもええよぉ」

「それは分かってんねん……って言うのもどうかと思うけど」

俺の考えはお見通しだったらしく、名前は喜ぶでも照れるでもなく、呆れたように答えた。

「簓、私よりよっぽどお金持ってるし今更欲しいものなんかなくない?」

「そんなことないけどなぁ……でも確かに、いま何が欲しい言われても答えられへんなぁ」

「答えないもん延々考えてたんか……」

「別にお金かけんでもええやん」

頭を抱えて暗い顔をする名前にそう言うと、名前は怪訝そうにこちらを見る。

「物のプレゼントなんて誰でもできるし、正直自分で()うたほうが早いし……でも名前は名前にしかできひんこといっぱいあるやん」

「……例えば?」

「へっ……プレゼントは私〜とか?」

「しばくで」

名前の冷ややかな視線に縮み上がる。冗談やんか……まあ、それはそれで嬉しいけど。
しかし一応参考にはしているようで、頬杖をつき何か考え込むようなそぶりを見せる。

「そういうことも考えへんかったわけやないけど……それはそれで難しいんよなぁ」

「え、名前チャンえらい積極的やねぇ」

「誰がプレゼントは私する言うてんねん」

さすがに呆れ果てたらしい名前の手刀が俺の額を襲った。痛くはない。

「まあ……でも、その方向で行くしかないよな……それで考えるわ」

名前は突然そう言うと、腰を上げこちらに背を向けた。この時間ならそろそろ風呂に入るのだろうけれど。

「えっ、もうええの?」

あんなに悩んでいた割に、結局答えが出ないまま話を切り上げようとする名前に少し戸惑いつつも引き留める。すると名前はちらりと首だけ振り返り、わずかに唇を尖らせて答えた。

「だって簓、私が選んだプレゼント欲しいって言うてたやん」

もうちょっと頑張る、と言って去る背中は、たぶん俺なんかよりよほど男前だった。

* * *


「ささらぁ」

(きた)る10月31日の朝。俺は名前の声で目を覚ました。聞き慣れない、なんだか甘えるようなその声音に、まだ夢の中なんじゃないかと考え込む。するともそもそと掛け布団が動いて、冷たい空気が一瞬滑り込んできたあと、何か温かいものが身体に触れた。わざわざ視線をやる必要はない。腕に押し付けられたこの柔らかさは名前に違いないからだ。

「おはよ」

「んー……」

……やっぱまだ夢の中なんちゃう?名前こんな可愛げないもん、なんて失礼なことを考えていると、いつまで経っても俺に起きる気配がないからか、名前は俺の顔を両手で抓り、むすっと唇を尖らせた。

「起きひんの?」

「……いま何時?」

「10時」

いつも放っておいたら昼まで寝ている名前が10時に着替えも化粧も済ませて俺を起こしにくるなんて珍しい。驚きでようやく目が覚めてきた。

「……え、名前どないしたん?」

「どないしたんって何よ、今日誕生日やろ」

そういえば、寝る前までめっちゃ楽しみにしてたな。さすがに寝起きじゃ忘れてもうてたけど。

「誕生日おめでと」

「こんなちゃんと祝ってもらえんの初めてやなあ」

「ええ?」

向かい合う名前を抱き締めながら言うと、名前は不思議そうにそう答えた。去年のことも一昨年のことも記憶の彼方らしい。別にええけど、今年も一緒におってくれるんやったら。

「で、なんで早起きなん?」

「早くはなくない?簓が行きたいー言うてたお店、調べてあるから行こ」

「……どれや……」

「お楽しみ、ほら、起きよ」

俺も名前も甘いものに目がないから、行きたい店なんて星の数ほどある。雑誌やスマホ片手に話題にすることも多く、名前の言う店がどれなのかはまるで見当もつかない。
先に起き上がった名前に腕を引かれ身体を起こす。

「朝ご飯できてるけど、お昼お腹いっぱいやったら嫌やから軽めにな」

「……うん」

今日の名前がやたら優しいのは、お誕生日様オプションなんだろうか。いつもの名前も好きやけど、これはこれで定期的に見たいなあ、なんて考えているのが伝わっているのかいないのか、名前は不思議そうに俺を見つめた。

* * *


いつもより深く帽子を被って、印象の変わる大きな伊達眼鏡をかけ、とどめに口元はマスクで覆う。ここまでしたら却って怪しいのではないかと思うが、季節の変わり目や花粉シーズンで意外と目立たない。名前だけ軽装だと互いに浮いてしまうから、同じような帽子に伊達眼鏡。とんだサブカル好きカップルのようだが、この町にはよく馴染む。名前に連れられてやってきたのは、カフェ激戦区の中崎町だった。

「こんなんホンマにどこ行くか分からへんやん」

「だからお楽しみって言うてるやんか」

地下鉄の駅から地上へ出るなり、名前は当然のように俺の手を握った。いつもなら絶対嫌がられるから、思わず素っ頓狂な声を上げて驚く俺に名前は少し嫌そうな顔をしたが、その頬は薄っすらと桃色に染まっていて、つい「抱き締めてええ?」と訊いたらさすがに小突かれた。しかし手は繋いだまま、名前の歩くままに道を進む。
目的地へはほんの数分で到着した。黄色い外壁の小さなカフェは、確かに俺がネットか何かで見て行きたいと言った店だ。
中へ入るなり、先に座っててと言われてしまったので注文は名前任せ。可愛らしい店内を観察していると、注文を終えたらしい名前が戻ってくる。

「ここ、一瞬スマホ見せただけちゃう?よう覚えてたなぁ」

「簓が行きたい言うてたんやから覚えてるよ、まあ、梅田で仕事あるときにひとりで来てへんかなってちょっと不安やったけど」

()んでよかった……」

危なかった。何回か行こうとした。とはいえ梅田からは少し歩くし、なかなかまとまった時間が取れなかったから来られなかったのだ。

「行きたいー言うくせに、簓いっつもひとりで行ってまうもんな」

「ちゃうやん、ええ店やったら名前も連れて行こ思て、下見や、下見」

そんな軽口を叩きあっていると、名前が頼んだ料理が運ばれてくる。
店のオススメだという珈琲が一杯ずつ。それから生クリームとフルーツのたっぷり乗ったシフォンケーキもひとつずつ。写真で見たままのそれに思わず感嘆の息が漏れる。

「うわー、ひとりでホールケーキ食べるみたいで贅沢やなあ……あ」

苺と同じ鮮やかな赤で綴られた「Happy Birthday」の文字に気付いた。よく見れば俺のほうにだけ何やらピックのようなものが刺さっているらしい。

「なんか……普通やな」

「え?」

思わず漏れた本音に、名前がきょとんとした顔でこちらを見る。それからわずかに視線を彷徨わせると、すんと俯いてしまった。

「やっぱおもんない?」

「え!?やっ、そういう意味やなくて」

先程までケーキに目を輝かせていたのが嘘みたいに、名前は悲しそうに視線を落とし、コーヒーカップから立ち上る湯気を眺めていた。

「普通なんが嬉しいねんて」

「簓、普通にデートしたいってずっと言うてたもんな」

――そう、俺が名前と出会ったのは、全国区でそこそこ有名になってからで、名前とはろくにデートらしいデートができなかった。俺はそこまで気にしないのだが、とにかく名前が人目につくのを嫌がったからだ。家で過ごすのも、個室の店を探すのも、それはそれで楽しかったけれど、やっぱりたまにはこうして普通に出掛けたいと常々思っていた。

「こうやって普通にデートするんがプレゼントにならへんかな、とか、さすがにナメすぎやった?」

「全然!めちゃくちゃ嬉しいで」

名前が少々無理をしているのは薄々察していた。特にこういう若者が集まる店は苦手なのだ。まあ、大阪の人間は老若男女問わず割とすぐ話しかけてくるけれどもやな。ましてや日曜日に俺とふたりで出かけるなんて、まずありえない。

「あとな、珍しいクリームソーダ出してるお店も見つけたから、ちょっとブラブラしてから行こ」

「え、ええの?」

「ええのって?逆にこれくらいしか思いつかんくてごめんな」

「ちゃうちゃう、そんなんここだけでも十分やって!名前、無理してへん?」

俺がそう言うと名前はぱちぱちと目を瞬かせたあと、少し視線を泳がせて、ちらりと再びこちらを見上げた顔は何故かほんのりと朱に染まっていた。

「あのさ……私だってこうやって普通に出かけたいとは思ってるんやで、知り合いとかメディアとかに見られるのが嫌なだけで」

「え、あ、そうなん?」

「誕生日やからって自分に言い訳できるうちにさ、今日はいつも行かれへん分いろんなとこ行こうや」

名前は可愛らしく首を傾げ、にいと微笑んだ。俺がこくこくと頷くのを見ると「じゃ、ケーキ食べよ」と言ってフォークを手に取る。

「あ!待って待って、写真撮る!」

慌ててスマホを取り出そうとする俺をきょとんと見つめ、名前は突然笑い声を上げた。

「ふふ、なんか普通やな」

「今日はもうとことん普通になるで」

「じゃあ私も撮ろ」

名前も同じようにスマホを取り出すと、ケーキを何枚か写真に収めたあと、不意にこちらにカメラのレンズを向けた。驚いてアホ面を晒していたであろうタイミングに、シャッター音がパシャリと一回。それからすぐさまポーズを取れば、二回目のシャッター音。
スマホを下ろして目が合うと、名前は至極楽しそうに、満面の笑みを浮かべた。

(……すご)

――(わろ)てるだけでこんな幸せな気持ちになるって何なん?自分の仕事アホらしくなるんやけど。

「見て、簓目ぇ開いてない」

「急にカメラ向けるから――ってそれいつも通りやんけ!」

いま撮った写真をこちらへ見せながら名前はニコニコと笑う。
――何でもない会話がこんなに楽しいの、名前だけやな。同じこと芸人仲間にされても何も思わんのやろな。ただ一緒に出掛けるだけで誕生日プレゼントになるなんて、名前やなかったら調子乗んなってどつき回すとこやな。

「名前、来年も再来年も一緒におろな……」

「……簓、毎年それ言うてへん?」

ええけど、という名前の返事だって毎年同じなくせに。
そして、たぶん、来年もまたこのやりとりをするのだろう。
こんな確認せんでもええ日が()よ来たらええのになあ、なんて考えていることに、名前はまだまだ気付いてくれそうになかった。

prevnext

Main
Top