獄 2022

「あぁ、そういえば今日が誕生日だったな。祝いの言葉ありがとさん。来年も俺が忘れねぇように頼んだぜ」

帰りにご飯行きましょと小さな声で言ったら、獄さんはいつも通り、おーと生返事をして再び書類に向かった。今日が何の日か分かっているのだろうか。獄さん、獄さんと彼を慕う事務所の皆も、さすがに誕生日まで把握していないのか、あるいは仕事中に声をかけるのは憚られるのか、とにかく彼におめでとうを言った人はいない。少なくとも、私が見ている前では。空却くんと十四くんならメッセージくらい送っていそうなものだけれど、どうなのだろう。

「お先に失礼しまーす」

私と獄さんが付き合っているのは一応秘密なので、どちらかが先に出て離れたところで落ち合うのがお約束だ。事務所から歩いて数分のところにある神社は、ベンチもあるということもあってよく使う待ち合わせ場所だった。しばらくすると獄さんがやってきて、ん、と缶コーヒーを手渡す。

「ありがとうございます……?」

待たせたお詫びだろうか。いつもはこんなことしないのに、と不思議に思っていると、獄さんは代表の顔でふっと笑った。

「今頼んでる仕事、大変だろ。もうすぐ終わるから頑張ってくれ」

「あ、そういう……」

確かに、今抱えている仕事は過去イチ大変だったけれど、それだけ頼られているのだと思うと嬉しかった。新卒で入所した私もここまで成長したのだと。

「で、急に飯なんてどうした?」

隣の空いたスペースに腰を下ろしながら獄さんが言う。手には私に渡したのと同じ缶コーヒーが握られていた。ここで一服してから動くつもりらしい。

「どうしたって、やっぱり今日が何の日か分かってないんですか」

そう言うと、獄さんはぎょっとしたようにわずかに顔をしかめた。あ、記念日忘れられた彼女みたいな言い方になってしまったな。

「す、すみません、二人の記念日を忘れているとかではなくて……獄さん、今日お誕生日ですよ?」

「え?あぁ……そういえば今日か」

やっぱり忘れていたんだ。そんなものなのだろうか。男の人だから?それとも私よりずっと歳を重ねているから?私なんて未だに自分でケーキ買って帰っちゃうのに。いつか人に言われるまで気付かないほどなんでもない日になってしまうのだろうか。

「お誕生日おめでとうございます、獄さん」

「あぁ、ありがとさん」

そう言うと獄さんはコーヒーを一口、口に含んだ。たぶん、ちょっと照れている。それくらい分かる程度には長い時間をともに過ごしてきた。

「アラフォーにもなったら、自分の誕生日なんてどうでもよくなっちゃうんですか?」

「アラフォーって言うな」

コーヒーを持っているのとは反対の腕で私を小突くと、獄さんは不満を顔に浮かべ、今にもいつものあの台詞が飛び出してきそうだったので、私はさりげなく口を挟んだ。

「やだなあ、私もいつかどうでもよくなっちゃうのかなぁ」

「ま、俺が祝ってやるからおまえは誕生日忘れる暇なんてないだろ」

作戦が功を奏して、獄さんの表情が少し和らぐ。それどころかずいぶん優しい顔でそんなことを言うものだから、思わずぽかんとしてしまった。

「……自分のは忘れるのに?」

「自分の誕生日なんて覚えてても仕方ねえだろ。おまえのは祝ってやらねえと来年まで文句言われそうだから忘れねえ」

「そんなことしません!」

「だからおまえも、俺の誕生日だけ覚えてりゃいいんだよ」

むす、と頬を膨らませる私に向かって獄さんの手が伸びてくる。何事かと身構えると、そのままぽんぽんと頭を撫でられ、驚いた顔で獄さんを見上げた。

「来年も俺が忘れねえように頼んだぜ」

そう言った獄さんは、代表のときの顔とは違う、私とふたりきりのときの笑顔で私を見つめていた。ぎゅっと心臓が掴まれたみたいに痛い。それって、来年も隣にいていいってことですか――そう口にしそうになって、やめた。だって肯定されるとしたら「当たり前だろうが」って機嫌を損ねかねないし、否定されたり迷うそぶりを見せられたら私が堪えられない。

「……何の顔だよ」

嬉しいような、怖いような、そんな相反する気持ちが両方とも表情に表れていたのか、獄さんは呆れたような顔で笑った。

「獄さんも、私の代わりに私の誕生日覚えててくださいね!」

「……善処する」

そんなことを言って、絶対忘れたりしないくせに。この人のそういうところが好きなんだ。

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