盧笙 2020

深夜一時、インターホンの音で目が覚めた。こんな時間に来るのはおばけか不審者だけだ。戸締まりはちゃんとしているはずだし、と布団に潜って再び目を閉じる。数秒の時間を置いてまた鳴ってを何度か繰り返すと、今度はスマホが震えだした。ディスプレイに表示された名前に、ぱちっと脳が覚醒する。

「ろ、盧笙!?何してんの!?」

上着を羽織ることも髪を整えることも忘れ飛び出すと、壁にもたれてしゃがみこみスマホを握りしめた盧笙がいた。『あけて』と一言送られてきたメッセージアプリの画面が開かれている。

「名前……」

「寒いやろ、とりあえず中入って」

明日から――いや、もう今日か。三月に入ったとはいえ、夜の空気は肌に刺さるように冷たい。ドアを大きく開いて声を掛けると、盧笙はもそもそと立ち上がった。
鍵を掛け、先に通したはずの盧笙に続こうとすると、盧笙は上がってすぐの廊下で立ち止まり、じいとこちらを見ていた。

「もー、どないしたん急に……わっ、」

靴を脱いで一歩踏み出すなり、ぎゅうと力強く抱き締められる。寒空の下待っていた割には高い体温に、つんと鼻につくアルコールの香り。

「あー……酔うてんの?」

そういえば、誕生日前日に飲み会の予定が入ったとかなんとか言っていた気がする。当日の夜祝ったるやん、と言って宥めた記憶もある。ヤケになっていたか誕生日だからと煽られて飲みすぎて、それで無意識にここまで来た、という感じだろうか。

「今日の夜ちゃんとお祝いしたるって言うたやん」

私を抱き締めたままじっと動かない、その大きな背中をぽんぽんと軽く叩いてやると、ようやく盧笙は口を開いた。

「名前に、最初におめでとうって言われたかったのに」

「飲み会でお祝いしてもろたん?」

尋ねると、こめかみのあたりに触れていた盧笙の髪が微かに動いて肌を撫でた。見えないけれど、おそらく頷いたのだろう。

「よかったやんか」

「……よくない」

拗ねたような声音に唇を尖らせる姿が目に浮かぶ。相変わらず、酔っぱらったら可愛い人だ。

「ずっとスマホ持っとったのに電話もしてくれへんし」

「してほしかったん?」

ふふ、と思わず笑い声を漏らすと、抗議の意味を込めてか腕の力がぐっと強くなった。

「ごめんごめん、誕生日おめでとうな」

そう言うとようやく解放されたが、両肩は掴んだまま、じいと顔を覗き込まれる。そこには相変わらず不満の色が浮かんでいるようで。

「ちゃんと言うて」

「ちゃんとって何……」

少し考えてみたものの、所詮相手は酔っ払い、おそらく向こうも答えは分かっていないのだろうと高を括った。すっかり血色のよくなった頬に両手を添えて、きょとんと丸くなった目を覗き込んで、もう一度「誕生日おめでとう」と囁けば、盧笙は満足そうに微笑む。結局何を求めていたのかは分からなかったが、とにかく納得してくれたのならよかった。

もういいだろうと手を離そうとすると、不意に手首を掴まれる。それからコツンと額と額が合わせられたかと思うと、ちゅ、ちゅ、と口付けの雨が降ってくる。頬に、鼻先に、唇に。触れるだけのくすぐったいそれに身を捩ると、今度は後頭部に手を添えられた。あ、と思ったときには既に、いつもより少し熱い舌が、閉じていたはずの唇を割って入っていた。

「っ、ん……ろ、しょ」

いくら肩を押してもびくともしない。するりと腰を撫でた手つきの厭らしさに、思わず身体が跳ねると、くらくらする視界の端で盧笙が嬉しそうに口角を上げた。

「も……何しに来てん、スケベっ」

わずかに力が緩んだ隙に、どんと肩を押せばようやく解放された。それなのに相変わらず楽しそうにこちらを見下ろしているから、いつまで経っても心拍数が下がらない。

「……あかん?」

……かと思ったら、急にそんな可愛らしく問いかけてくるものだから、また心臓が飛び跳ねた。ぐ、と言葉に詰まっていると、不意に歩きだした盧笙に手を引かれる。
我が家には何度も来ている盧笙は慣れた様子で寝室の扉を開けると、先ほどまで私が寝ていたベッドに腰を下ろし、ん、と言って腕を広げた。私に拒否権はないのか。
そう思いながらも素直に応じてしまうのだから、私もたいがい盧笙に甘い。

「明日学校やないの」

「んー……」

わずかに眉間に寄った皺を見れば、答えは明らか。まあ、先生なんだから平日に仕事なのは当たり前なんだけれど。
私が膝の間に腰を下ろすと盧笙はすぐさまお腹のあたりに腕を回して、私の髪に鼻先を埋めた。犬みたい、なんて思いながら黙って受け入れていると、不意に盧笙の身体ごと後ろにぱたんと倒れこむ。さすがに少し緊張して固くなっていると、じわじわと盧笙の腕が緩んで、ぱたんとベッドの上に落ちた。

「……え?」

首だけ動かしてなんとか振り返ると、盧笙は穏やかな表情ですうすうと寝息を立てていた。

「何しに来てん、この酔っ払い……」

はぁ、と溜息をついて盧笙の腕を抜け出し立ち上がる。成人男性をひとりでどうこうする力はないし、私が来客用の布団で寝るしかあるまい。

「あー、もう、明日何時に起こしたらいいんやろ……」

先生の朝は早そうだし、この様子だと一回帰らないとだろうし。私はそんなに早起きする必要はないうえ、夜中に叩き起こされて……そう思うと少し腹が立ったので、無防備な額に一発デコピンを入れてから布団に入った。

(――名前に、最初におめでとうって言われたかったのに)

布団に潜り込んで目を閉じれば、こんな時間に人の家に押し掛けてくるなりそんな可愛らしいことを言う恋人の姿を思い出して、つい口元が緩んだ。

「私だってホンマは今日の夜からこうやって()うて、十二時ちょうどにおめでとうって言いたかったのにな」

飲み会だって言うから我慢したのに、自分だけ寂しいみたいな顔をして。
けれど、結局盧笙は隣にいる。それなら、まあ、いいか。おもむろに身体を起こしてベッドの上のあどけない寝顔にもう一度「誕生日おめでと」と囁いてから眠りに就いた。

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