ささらくんと両想い

俺の相方は意外と女々しい、というか、ねちっこい男だったようだ。

「今度からは断るー言うてたけどな、やっぱ名前ちゃんの歳考えたら、悠長なこと言うてられへんなぁって思って」

すっかりお馴染みとなったクリームソーダをスプーンでぐるぐるとかき混ぜながら、難しい顔をして簓は言う。「……で?」と俺が続きを促すと、うーんうーんとしばらく唸ったあと、

「やっぱ()よプロポーズせなアカンよなぁ」

「……それって、こないだ言うてた、子供のころ構ってくれた近所のお姉さんの話やんな?」

「そうに決まってるやろ、分からんと聞いてたん?」

小学生のころ、鍵っ子だった簓が時々お世話になったという、年上のお姉さんの話。親戚でも何でもない、本当にただ近所に住んでいて仲良くなっただけというお姉さんのことを、簓は突然「まだ好きや」と言い出し、もう何年も連絡すら取っていない彼女の元へ押しかけた。その居場所を突き止めるにあたり、十年ほど前に貰ったはずなのだという名刺を探すのを手伝わされたのは、記憶に新しい。
……そう、本当についこの間の話なのだ。

「付き合う言うたん先週やん」

「まだ早い言うこと?」

一応まだ常識は残っていたらしい。俺がコクコクと頷くと、簓は口元に手をやり、しばらく考えるそぶりを見せたが、

「でも()うてから十年以上経ってるんやで……?」

「自分どっからカウントしとんねん」

* * *


結局、盧笙には散々「落ち着け」「ちゃんと考えろ」「名前サンかて、いきなりそんなこと言われても困るやろ」と説教されてしまった。
……そりゃ、そうかもしれへんけど。
でも、目の前で美味しそうにケーキを頬張る名前ちゃんの笑顔を見ていたら「絶対、他の男には渡したないなぁ」という暗い感情がどろどろと溢れてきてしまった。

「簓くん、どないしたん?それ口に合わんかったんやったら、私のと替えよか?」

ここのフルーツタルト有名やねんで、と言いながら楽しそうにお皿を差し出してくる名前ちゃんは、俺のことがまだ小学生に見えてるんじゃないかって、時々思う。

「……なー、名前ちゃん、俺のこと好き?」

「へっ」

突然の問いに硬直したあと、名前ちゃんはそろそろとお皿を自分の前に戻した。その目がおろおろと泳いでいるのは、何故だろうか。

「えっと……ホンマにどないしたん?何かあったん?」

「俺のことまだ子供やと思ってへん?まあ、名前ちゃんから見たらまだ子供かもしらんけど」

「そ、そんなことないよ」

そうは言いながらも、俺の問いには答えてくれない。もう一度訊き直そうかと思ったけど、これでまた何も返ってこなかったら、さすがの俺も少し(こた)えそうだ。次の言葉をすっかり見失ってしまった俺に、今度は名前ちゃんのほうから口を開く。

「……簓くんは、私のことホンマに好き?」

「え?好きに決まってるやん」

まだ伝わってなかったんか、と思ってバッと顔を上げると、名前ちゃんが泣きそうな顔で笑ってみせたから、俺はハッと息を呑んだ。

「それはさ、簓くんが一番寂しかったときに、近くにおったのが偶然私やったってだけやない?」

「な……」

「そのとき近くにおったのが別の人やったら、きっとその人を好きになっとったよ」

――なんで、そんなこと言うん。そこまでして俺を突き放したいん。

それやったら、なんで名前ちゃんがそんな辛そうな顔するん。

「でもっ、それでも、そのとき俺のそばにおってくれたんは、名前ちゃんやん……」

思わず声を荒げてしまって、店内の人々の視線がこちらに集まる。神妙な雰囲気の俺たちに、あたりの空気が固くなるのが分かって申し訳ない気持ちになったが、俺はもうそれどころじゃないのだ。

「それじゃアカンの?」

――今の俺は、名前ちゃんが好き。名前ちゃんやから好きやねん。昔優しくしてくれた、ただの近所のお姉ちゃんやないねん。
……いや、正直最初に会いたいって思ったときは、また褒められたいって子供みたいな気持ちもあったかもしれへん。それでも今は間違いなく、ひとりの女の子として、俺は名前ちゃんが好きや。

「なんで急にそんなこと言うん?誰かに何か言われたん?」

小さく首を横に振る名前ちゃんの瞳は、今にポロポロと零れ落ちそうなほど涙が浮かんでいて、見ているこっちも泣きそうになる。

「……怖くて」

「……?」

「簓くん、別に私のことが好きなわけやなかったらって、それに簓くんが気付いてしもたらって思ったら、怖くなって」

いよいよ涙が一粒まつげを伝って頬を濡らしたのに、俺は動けなかった。名前ちゃんの言葉を咀嚼するので精一杯で。
名前ちゃんが、ぐすぐすと鼻を啜る音。周りの人たちが、俺たちを見てひそひそと立てる声。今も流れているはずの洒落たBGMはちっとも聞こえなくなって、俺の不安を掻き立てるばかりのそんな音だけが鼓膜を震わせていた。

* * *


数年ぶりに再会した簓くんは、可愛い男の子からすっかり男の人になっていて。そんな彼に、突然告白されたかと思ったら、あれよあれよという間にお付き合いが始まって。
正直、最初はまだ可愛い弟みたいに思っていた。告白されたときも、お付き合いが始まってからも、私を一生懸命エスコートしようとする彼が可愛くて仕方なかった。もちろん、少しずつ異性として惹かれてもいたけど。

簓くんはお笑い芸人になるという夢を叶えただけあって、いつも明るく元気で笑顔だった。きっとどこに行っても人気者で、女の子にもさぞモテるのだろう。
そう思うと、なんだか胸がもやもやした。簓くんはどうして、私なんかを選んだのだろう、と。簓くんにも一度言った気がするけど、簓くんなら女の子なんてきっとよりどりみどりで、私より若くて可愛い女の子とだっていくらでも付き合えるはずなんだ。
私は簓くんよりずっと年上だから、先にどんどんおばさんになってしまう。そのとき、それでも簓くんを引き留めておけるほど、自分が魅力的な人間だとは思えなかった。

(……あぁ、好きになってもうたんやなぁ)

新しい恋が始まったはずなのに、ちっとも心が晴れなかった。だって、私はあまりにも不釣り合いだった。一度下を向いてしまえば、そこからはジェットコースターのように落ちていくばかりだ。

簓くんが好きなのは私じゃなくて、ひとりぼっちで寂しかったとき、ただ隣にいた誰かなんじゃないかって。それが偶然私だっただけなんじゃないかって。一度思ってしまったら、それは茨のように私の心に絡みついて、なかなか離れてはくれなかった。

「……名前ちゃん」

簓くんの優しい声で、ハッと我に返る。
――言うてもうた。めんどくさいよな。嫌われたかな。顔を上げる勇気がなくて俯いたままでいると、頬を伝った涙がぽたりと落ちてテーブルに染みを作った。

「もっかい訊いてもええ?」

「……何を?」

おそるおそる顔を上げる。何を言われるのだろうという不安と、どうしてこんなに優しい声音で話しかけるのだろうという疑問と、同じくらいの興味や好奇心。
簓くんはふわりと優しく微笑んで、口を開いた。

「名前ちゃん、俺のこと好き?」

ごくりと私が唾を呑む音が大袈裟に脳に響く。
きっと、簓くんには全てお見通しなのだ。私がようやく、心から、簓くんを好きになったこと。

「……好き」

「やんなぁ」

やんなぁ、って何?思わず笑ってしまった私に、簓くんもまた楽しそうに微笑みを返す。

「一瞬めっちゃ焦ったけど、すぐ、いや名前ちゃん俺のことめちゃくちゃ好きなだけちゃう……?って気付いてもうてん」

めちゃくちゃとまでは言ってないけど。言ってないけど、簓くんが言うならそうなのかもしれない。

「俺もな、名前ちゃんと久しぶりに会うたときも、好きやって言うたときも、めっちゃ怖かったで。忘れられてたらどないしよ、気持ち悪がられたらどないしよって」

「うそ、」

「そら、カッコ悪いから顔にも口にも出さんけど。でもな、たぶんホンマに名前ちゃんのこと好きやから怖かってん」

今の名前ちゃんなら分かってくれると思うけど、なんて言われてしまったら、返す言葉もない。
だって、その気持ちは痛いほど分かった。

「な、俺がどんだけ名前ちゃんのこと好きか分かったやろ?」

「……うん」

「長かったなぁ」

そう言って簓くんはケラケラ笑った。それから私の顔を見るとハッとしてポケットをあさり始める。清潔感のある紺色のハンカチを取り出すと、その手を私の顔のほうへ伸ばした。

「あー、遅いよなぁ、痕残るかもしらん」

「あ、いいよ、化粧ならすぐ直してくるから」

涙のことだと気付いて少し恥ずかしくなった。それに、そんな濃い色のハンカチで拭ったら、ファンデーションがくっきり付いてしまうだろうからお断りして、急いで化粧を直してきてしまおうとポーチを探していると、簓くんの盛大な溜息が聞こえてくる。

「はあぁ、泣かせてたアカンわ……今日こそプロポーズしたかったのに……」

「……え?」

「あ」

本日二度目の波乱の予感に、二人して顔を引きつらせたのは、また別の話。

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