ささらくんは男の子

簓くんがご飯を食べに来た日。瓶の蓋が開かなくて唸っていたら、おもむろに近付いてきた簓くんが「貸してみ」と言って取り上げたそれを、いとも簡単に開けてしまったとき。

電車でお出掛けした日。イベントか何かの終了時刻と被ってしまったのか、通勤ラッシュよりひどく混んだ車内で、私を自分の身体と壁で挟んで、潰されないように庇ってくれたとき。

買い物に行った日。高いところにある商品を取ろうとして背伸びをしていると、簓くんが後ろから手を伸ばして、代わりに取ってくれたとき。

帰り道。さり気なく車道側を歩いて、大きな車が横を通ったら、優しく、けれど力強く私を歩道の内側に寄せてくれたとき。

(……大きくなったなぁ、って言うたら、また怒られるんかなぁ……)

向かい合って座り、幸せそうにクリームソーダを啜る簓くんの手をじいと見つめた。お気に入りなのだというこの喫茶店には、もう何度来たか分からない。大きなグラスを包む手のひらは、私の倍くらいあるんじゃないかと思うほど大きかった。

「……なんか付いてる?」

私があんまり熱心に見ていたからか、簓くんは不思議そうに両手を顔の前に持ってきて、じいと見つめた。手のひらと手の甲と、くるくる裏返して確認する。

「ううん、大きいなぁと思って」

「そうかぁ?」

私が答えると、今度は訝しげな顔をしながら、再び自分の手のひらを見つめた。

「普段もっとデカい男と一緒におるからなぁ」

そのデカい男とは、おそらく相方さんのことだろう。簓くんはふてくされたように言ったけれど、相方さんのことが大好きなのは普段の会話から明らかだったし、あんまり悔しそうには見えなかった。
それから簓くんはふとこちらを見ると、散々眺めていた手をすっと伸ばして、マグカップに添えていた私の手を取った。右手、左手と順番に捕まえると、優しく指を開かせる。

「名前ちゃんは(ちい)ちゃいな」

「……普通やろ?」

ぎゅ、と握ってみたり、指を絡めてみたり、大きさを比べるみたいに手のひらを合わせてみたり。簓くんの少し高い体温がじわじわと伝わってきて、だんだん恥ずかしくなってきた。

「昔はこんな(ちい)ちゃなかったのになぁ」

「私が縮んだみたいな言い方せんとってよ」

クスクスと笑い声を上げると、簓くんも嬉しそうに笑う。

「簓くん、久しぶりに()うて最初になんて言うたか覚えてる?」

そう尋ねると簓くんは一瞬きょとんとしたあと、なんとも言い難い顔をして口をもごもごさせ、恥ずかしそうに「覚えてるに決まってるやろ……」と小さな声で答えた。

「もう大人やって言われて……それはそうやねんけど、でもやっぱり私の中ではまだ子供のイメージのままやったから、可愛いなぁくらいに思っとってん」

簓くんは不思議そうな顔をして私の話を聞いている。喋りながらさりげなく握られっぱなしの手を引こうとしたが、それはしっかり拒否された。そろそろ変な汗をかきそうだ。

「でも、もう違うんやなぁ、って……簓くんに守ってもらってばっかりやん」

「そんなん当たり前やろ?名前ちゃんは女の子やもん」

そう言うと、簓くんはなんだか難しい顔をして、

「……むしろ昔の俺がアカンねんて……名前ちゃんちでご飯食べさせてもろたあと、たまに家まで送ってもらっとったやん」

「ふふ、それこそ小学生のときの話やろ」

「でも、そのあと名前ちゃんひとりで家まで帰ってたんやろ」

簓くんは、なんで気付かんかったんや……と頭を抱えているけれど、そんな気遣いができる小学生がいたら驚きだ。

「ええやん、これからはずっと簓くんが守ってくれるんやろ?」

きゅ、と握られていた手に力を込めると、簓くんはわずかに驚いたような顔をして、

「……ずっと?」

「へ?」

急に手を握ったことに驚いたのかと思っていたら、予想外の言葉を反復されて、今度はこちらが目を丸くする番だった。

「ずっと一緒におってくれるん?」

ずっと、って、そんな深く考えて言ったわけじゃないんだけど、改まってそう言われると、なんだか恥ずかしくなってきて、じわじわと顔に熱が集まった。

「う……うん」

逃げ出したいような気持ちを必死で抑えて小さく頷いてみせたものの、簓くんはまだ不安そうな顔をしている。それを見ていると、なんだかこっちまで心細くなってきて、

「……嫌?」

「え!?いっ、嫌なわけないやん!?」

突然、捕まったままだった両手が解放されたと思ったら、簓くんは両手を顔の前でぶんぶんと振った。

「な、なんか……そんなふうに思ってるん俺だけなんかなって思ってたから、信じられへんかってん……」

簓くんはそう言うと、しばらく宙を彷徨わせた両手で、じわじわと赤くなった頬をぎゅっと押さえる。

「うん……ずっと一緒におりたい」

確かめるように、しっかりと噛み締めるように呟くと、へにゃ、と顔を綻ばせて私を見た。

「……なんかプロポーズみたいやね」

「ちゃっ、ちゃうで!」

ほんの冗談のつもりで呟いたはずが、ずいぶん素早く、そして必死で否定されてしまった。冗談やんか、と言って笑って誤魔化すはずだったのに、つい視線を彷徨わせてしまった私に簓くんはハッと息を呑んで、

「やっ、あの、名前ちゃんと結婚するのが嫌ってことやなくて、もっとちゃんとしたとこで言うから……って言うのもあれやな!?何言うてんねやろ、ま、待って、忘れて、」

大きな手で顔を覆って背中を丸める簓くんを見ていたら、なんだか急に冷静になってしまった。思わず、クスクスと笑い声が漏れる。

「こんな話、前もしたなぁ」

「う……」

以前も一度、こうやって簓くんの口からプロポーズなんて言葉が出てきたことがあった。そのときは私も驚いてしまって、深く問いただすこともできず、逃げるようにお手洗いへ行った気がする。戻ったときには何事もなかったかのように別の話題になったけれど。

()よ聞きたいな」

……なんて、二十歳そこらの簓くんがはるか年上の私に言われたら普通はあんまり気分のいいものじゃないはずなのに、どうしてそんなに、恥ずかしいながらも嬉しそうな顔をしてくれるのだろう。

「もうちょっとだけ待ってな、絶対名前ちゃんが嫌とか言われへん殺し文句考えてきたる」

そこまでしなくても私は断る気なんてさらさらないのに、張り切る簓くんが可愛くって、愛おしくって、少しだけからかいたくもなって。受けて立つわ、なんてふざけて言ってみたら、簓くんは楽しそうに破顔した。

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