彼女と出会ったのは確か、養成所時代に同期に連れられて参加した合コンだった。躑躅森がおったら来るって言う女子が――と盧笙が誘われて、それから盧笙が、簓も行くなら……と言うからふたりで参加したのだ。もっとも、そのころの俺たちは夢を追うのに毎日忙しくて、恋愛なんてしている余裕はなかったのだが。
彼女はふたりの友人に挟まれて、なんだか居心地悪そうに座っていた。ああ、あんまり乗り気じゃなかったんやろな、と一目で分かった。
特別美人というわけでもない、どこにでもいそうな女の子。けれども、いざ話してみるととても礼儀正しくて、よく笑ういい子だった。お笑いなんてテレビでしか見たことない、と言うから直近のライブのチケットを渡したら、絶対行きますと言ってくれた。
お互い、何かを求めて参加したわけではなかったから、その日はそのまま解散して、きっとなんてことはなく忘れていくのだろうと思っていた。
「あ……この間の」
しかし、彼女とは存外すぐに再会することとなった。
久しぶりに乗った地下鉄で、ふとそんなふうに声を掛けられ、顔を上げる。
「あー、えっと、名前ちゃんや」
「どうも」
ぺこ、と小さく頭を下げる姿は、この間と変わらない。
いつもならチャリで飛ばす距離を、寝坊して仕方なく乗った電車で会うなんて、禍転じて何とやらだ。
「偶然ですね。私いつも環状線なんですけど、止まっちゃってたから久しぶりに地下鉄乗ったんです」
彼女もまた、いつもと違うルートだったらしい。しかし、運命的やな、なんて口に出して言うような関係でもなく。
彼女は先日チケットを渡したライブに本当に来てくれていたらしく、少し感想を聞かせてくれて、それから先に電車を降りていった。
……言うて、これがもしあと一ヶ月も先の話やったら、お互い顔も覚えてなかったんやろうな。
* * *
次に彼女と出会ったのは、盧笙と解散して、東京に出てきてしばらくしたころ。イケブクロの駅前で左馬刻か誰かと待ち合わせていて、ぼうっと人の流れを眺めていたときだった。スマホの画面を見ながらオロオロしている子がいると思ったら、不意に目が合って、彼女は少し悩んだような間のあと、おずおずとこちらへ近寄ってきた。
「あの……少し道をお尋ねしても……あれ」
おそるおそる声を掛けてきた彼女は、俺の顔を見上げるなりそんな気の抜けた声を漏らす。
「簓さん……?」
突然名前を呼ばれたことに驚いて、声の主をじいと見つめた。
確実に見覚えはあるけれど、記憶より少し大人びた様子の彼女は確か、
「……え、名前ちゃん?」
ふたりしてぽかんとアホ面を晒しあったあと、どちらからともなく笑い声を上げた。
「ふふ、すごい、こんなところで会うなんて思いませんでした」
「っはは、俺もや、久しぶりやなあ」
聞けば、彼女――名前ちゃんは、こちらに住む友人とランチに行くところだったらしい。幸い、待ち合わせまではまだ時間があったので、名前ちゃんを店まで送り届けることにした。
「わざわざいいんですか……?」
「ええよええよ、そんな
遠ないし時間もあるしな。それより、そのお友達ええ店知ってんなあ、めっちゃ美味いでそこ」
躊躇う名前ちゃんに手招きをして先に歩きはじめると、慌ててついてくる。それから俺の隣に並ぶと、安心したようにふにゃと微笑んで「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「簓さん、いま東京に住んでるんですか?」
東京進出ですか、ときらきらした瞳で訊いてくるから、なんと答えていいのか分からなくなる。
「あー……お笑いはお休み中やけど、今は一応こっちに住んでるで」
俺が言葉を詰まらせたからか、名前ちゃんはその話題にはもう触れなかった。
少しばかり気まずい空気が流れて、何か別の話題を、と考えていると、名前ちゃんが先に口を開いた。
「簓さんに会えてよかった、ひとりじゃ絶対たどり着けませんでした」
「……案内しといてなんやけど、知らん男に声掛けてホイホイついてったアカンで?」
「本当に知らない人だったらついていきませんよ」
そう言って名前ちゃんはくすくすと笑ったけれど、俺はいまいち笑えなかった。名前ちゃんは、なんかこう、その場で相手が名乗ったら、名前を知っているから知らない人じゃないと判断してしまいそうな、そんな危うさがある。いや、幼稚園児じゃあるまいしそんなことないとは分かってるんやけど。
「それでも、俺やって気付く前に話しかけてきたんやろ?普通そういうのって女の人に訊かん?」
「それはそうなんですけど……一瞬目があって、なんか……この人なら大丈夫かなって思っちゃって」
「何やそれ」
今度は俺が笑う番だったが、正直少しどきっとした。名前ちゃんに危機感が足りていなくて、それで俺は異性としてちっとも意識されていなくて、たぶんそれだけの話なのに、男というのは愚かなもので、ありもしない希望を勝手に見出してしまうのだ。
「あ、あの店やで」
そうこうしているうちに目的地に到着してしまった。横断歩道の向こうで、名前ちゃんの姿を見つけて手を振る人が女の子なことを嬉しく思ってしまう自分がいた。
「ありがとうございました、本当に助かりました」
「ええよ、ええよ、帰りも気ぃつけや」
名前ちゃんは友達に軽く手を振ったあと、俺を振り返ってぺこぺこと頭を下げる。それを制して、俺も名前ちゃんにひらひらと手を振った。名残惜しいけど、友達が待ってはるからな。
ちらちらと俺を振り返りながら名前ちゃんは友達と合流して、それを見届けると俺はまたイケブクロ駅へ向かった。
――ああ、そういえば待ち合わせしとったんはやっぱ左馬刻やったなあ。ほんの数分遅れただけやのにえらいキレられたわ。
ただ煙草を切らしていただけらしく、俺のを一本譲ってやって少しすればいつも通りだったが。
仕事の予定場所へ向かいながら今日あったことを話すと、左馬刻は興味なさげに「ふうん」だの「へえ」だの言っただけだった。まあ、こんな話題で返事があるだけマシなんか?
「でもオオサカで知り
合うた子にこっちで偶然会うなんてすごいと思わん?」
「そうだな」
スマホの画面を見ながら生返事をする左馬刻に少しむっとしつつ、先ほどの名前ちゃんの笑顔を思い出して心を落ち着ける。
「これって運命なんかなあ」
ひとりごとのつもりでぽつりと呟くと、左馬刻が突然ゴホゴホと噎せはじめた。
「煙草吸うの下手か?」
「ちげえわ、馬鹿」
ばし、と肩のあたりを殴られる。なんでや。
「……テメーは相変わらず頭がお花畑だな」
幸せなこって、と吐き捨てられたので「褒めてるん?」と訊いたら「褒めてるかよ」と返された。