「ずっとそばにおってくれへん?」

運命、なんて大層なことを言ってみたものの、結局それから名前ちゃんと再会することはないまま月日は過ぎ、俺は東京を離れ大阪に戻ってきた。再び芸人として舞台に上がりだしたころには、名前ちゃんのことなんて正直すっかり忘れてしまっていた。
数年ぶりに名前ちゃんの名前を見たのは、事務所で取りまとめられたファンレターが届けられたときだった。ありがたいことに毎回山ほど届くそれに目を通していると、可愛らしい花柄の封筒に、ふと見覚えのある名前を見つける。名字の記憶はおぼろだが、名前という名前だけはしっかりと覚えていた。

(しかもこれ、ライブのときにロビーに置いてた分やん)

つまり、名前ちゃんが誰かに頼んだりしたわけでない限り、名前ちゃんもあの会場のどこかにいたということだ。胸が高鳴ると同時に、開けるのが柄にもなく少し怖くもあった。

(……いや、いつまでも封筒ばっか眺めててもしゃーないわ)

数回深呼吸をしてから、意を決して封を切る。中から出てきた便箋は二枚。ここまではいたって普通の手紙だ。
何が書かれているのだろうか。まさかわざわざボロクソ言うために筆を執るとも思えないが、例えば盧笙とコンビのときのほうがよかった、なんて書かれていたらしばらく凹む自信がある。
――結論としては、名前ちゃんの手紙が無自覚に俺を傷つけてくることはなかった。けれども、期待に応えてくれることもなかった。お久しぶりです、なんて再会を喜ぶ言葉のひとつでもあるかと思っていたのだが、彼女の書いた丸く可愛いらしい文字たちは、ついぞそのような言葉を紡ぐことはなく、淡々と最近のネタやトークの感想を綴っただけだった。差出人が名前ちゃんであるということ以外、他のファンレターと、何も変わらない。
俺のほかには誰もいない部屋に、盛大な溜息が響きわたる。あぁ、俺、名前ちゃんから手紙来て、そんな嬉しかったんやな、と他人事のように考えた。
……まさか、もう俺のことなんて忘れてもうた?それでファンレター出すほどオモロいと思ってもらえたんやったら、まあ、それはそれで光栄な話ではあるけどやな……いや、普通に悲しいわ。

* * *


名前ちゃんから初めて手紙を貰ってから、どれくらい経っただろう。名前ちゃんの手紙は未だに定期的に事務所からうちへと届けられていた。しかも、それは決まってライブの会場でプレゼントボックスに投入されたものなのだ。おかげで俺は名前ちゃんの現住所すら分からない……って、さすがにこれは気色悪いな。

(そんだけ来てくれてるはずやのに、全然見つけられへんし)

ありがたいことに、それなりに大きな箱を使わせてもらっているから仕方ないことではあるのだが。いくら漫才中に客席を観察していても名前ちゃんらしき人物は見当たらなかった。デビューしたてのころの小さな小さな箱ならきっとすぐに見つかっただろうに、なんて贅沢な悩みだ。

(はぁ……なんで連絡先交換してへんねん……)

合コンで初めて出会ったときも、そのあと偶然電車で顔を合わせたときも、イケブクロで再会したときも――むしろ連絡先も知らんのに会えたんすごない?なんて呑気に考えていた過去の自分をぶん殴りたい。
ファンレターには返事を求めているのか、はたまた邪な気持ちからか、連絡先を書いてあるものも少なくないというのに、名前ちゃんの封筒にはいつだって名前しか書かれていなかった。

(……今度こそ見つけたる)

そう意気込んでライブに臨むのはいったい何度目だろうか。
マネージャーには事情を話して、もし見つけたときには声を掛けるくらいはしてもらえることになっている。……ちょっと、いや、だいぶ引いとったけど。

* * *


「マネージャーッ!おった!おったおったおった!」

ネタを一本披露して、ありがとうございました、と袖に捌けるなり、俺は舞台裏を駆けた。モニターで俺の出番を見守っていたらしいマネージャーは、ついさっきまで板の上にいた俺がもう戻ってきたのを見てぎょっとしていた。

「前話した名前ちゃん!おったから!出るとき引き留めて!」

本当は自分でやりたいけれど出番があるのでそういうわけにもいかない。火事場の馬鹿力というべきか、一瞬で鮮明に記憶した名前ちゃんの服装や髪型を伝えると、マネージャーは渋々とメモを取り、分かりました、と呆れた顔で言った。
そして終演後。挨拶もほどほどに慌てて楽屋へ向かうと、マネージャーに連れてこられたらしい名前ちゃんが居心地悪そうに俺の部屋の前に立っていた。他の芸人やスタッフが通るたび、きゅっと身を縮こまらせている。俺のわがままでこんなところまで呼び出してしまったことを、ようやく少し申し訳なく思った。

「名前ちゃん、」

少し離れたところから声を掛けると、名前ちゃんはパッと顔を上げて、俺の姿を見るなりホッと息をついた。

「簓さん……ご無沙汰してます」

「久しぶりやねえ、急にこんなとこまで呼び出してごめんなぁ」

「……びっくりしました」

そう言って苦笑する名前ちゃんを見ると、また少し自省の念が起きたり起きなかったりする。だって、それよりこうやってまた会話できたことのほうがよほど嬉しくて。

「ここじゃなんやし外で話そ、ちょっと待っとってな」

それだけ言うと俺は楽屋へ飛び込んで、かつてない速さで着替えと荷造りを済ませ、三分と経たないうちに再び扉を開けた。名前ちゃんはそんな俺を見て少し驚いた様子だった。

「よし、行こ!名前ちゃん、何か食いたいもんある?あ、お腹空いてないならお茶でも酒でも」

「えっ、あ、あの、」

「何も気にせんでええよ!いつも手紙くれるお礼やから」

早く話したい気持ちと、名前ちゃんに帰る隙を与えたくない気持ちが半分ずつ。俺らしくないのは百も承知だが、名前ちゃんを引き留めるための言葉が、さらさらとか通り越して、だばだばと俺の口から溢れ出てくる。

「手紙……」

そんな俺の言葉に、名前ちゃんがぴくりと反応した。一瞬固まったあと、突然かぁと頬を染める。

「き、気付いてたんですか、いや、気付いてなきゃ今更私のことなんて呼び止めるわけないですけど」

……え。いや、確かに他人行儀な文面やったけど。気付かれてないと思っとったんか。俺のことアホやと思ってる?名前ちゃんに限ってそんなことないんやろけど。

「あー……ホンマに、それも含めて、ゆっくり話そ。ファミレスか居酒屋やったらどっちがええ?」

「フ、ファミレスがいいです」

* * *


あんまりオシャレなレストランやバーなんかに連れて行ったところで、既にガチガチの名前ちゃんを尚更萎縮させてしまうだけなのではないかと思い、あえて大手チェーンのファミレスに連れてきた。とは言ってもライブ終わりのこの時間、家族連れの姿はほとんどなく、酒飲みたちは二軒目に繰り出しているころなので、ある程度の落ち着きはある。
名前ちゃんがおずおずと選んだ料理と一緒にしれっとドリンクバーも注文して、長話の準備は万端。

「えーと、改めて、久しぶりやね」

手紙は(もろ)てたけど、と付け足すと名前ちゃんはまた頬を赤らめて瞳を揺らす。

「いつから気付いてたんですか……」

「いつから……って、最初っからやけど」

一応、差出人の名前くらいは見ているはずだから、見落としてさえいなければだが。思い返せば、はじめの手紙からもう半年ほど経ったのだろうか。

「名前ちゃん、めっちゃライブとか見に来てくれてたやんな」

俺が何か言葉を発するたび、名前ちゃんの頬の朱が深くなる。可愛らしい反面、だんだん申し訳なくもなってきた。

「簓さん、またお笑い始めたんだなって思って」

おもむろに名前ちゃんが口を開いた。これ以上、俺に何かツッコまれたくなかったのかもしれない。

「最初は懐かしいなって思って、興味半分というか……一回だけのつもりだったんですけど、簓さん、すごい面白くなってて」

今度は俺が顔に紅葉を散らす番だった。
……ええ子やなぁ。初めて出会ったときのことを思い出した。全く同じことを考えたのを未だに覚えている。

「私のことなんてさすがに覚えてないだろうなって思って、馬鹿正直に本名でファンレターを書いてしまいました……」

「そんな自首するみたいに言いなや」

そう言うと俯いて肩を震わせる名前ちゃんを見て、ツッコまずにはいられなかった。

「普通に嬉しかったで、全部、めっちゃ見てくれてるんやなって」

「だって、普通にファンですもん……」

だから、今なんでこんなところにいるのか分からない、と頭を抱える名前ちゃんは、確かに昔から変わらないいい子なのに、一方で全然知らない女の子のようでもあった。
……なんか、おもんないな。面白いって思ってもらえるんは嬉しいけど、俺は名前ちゃんにファンになってもらいたいわけちゃうんよな。

「なんでこんなとこおるんか、って話やけど」

「え……は、はい?」

「名前ちゃんがただのファンやったら、こんなふうに呼び止めたりせえへんよ」

突然真剣な顔をする俺を、名前ちゃんは頭の上に大量のクエスチョンマークを並べながら見つめる。

「名前ちゃんが手紙くれたんに気付いてからずっと、俺は名前ちゃんに会いたかってん」

名前ちゃんの顔がまた赤くなる。
……それはどういう気持ちの表れなんやろ。

「名前ちゃんばっかり俺のこと見ててずるいわ、俺は名前ちゃん見つけるのに今日までかかってもうた」

「え、えっと……すみません……?」

そう言って小首を傾げる名前ちゃんが微塵も反省していないのは明らかだったけれど、イライラするはずもなく、ただただ愛おしく思ってしまう俺は相当重症なんだろう。

「ホンマに悪いと思ってる?」

「いや……あんまり」

「やんな」

俺がクスクスと笑い声を漏らすと、名前ちゃんも少し困ったように笑った。

「なあ……舞台の上と客席やなくて、もうちょっと近くにおってほしいって言うたらどう思う?」

「近く?」

スタッフさんってことですか、って、本気で言うてるんかなあ。本気の顔してるんよなあ。

「ちゃうよ、もっと近く、仕事以外も、ずっとそばにおってくれへん?」

ここまで言えば、名前ちゃんはようやく理解したらしく、きょとんとした顔で俺を見たあと、素っ頓狂な声を上げて後退った。もっとも、ソファー席なので実際には数センチ離れただけなんだろうが。

「えっ、な、なっ、なんで急にそんなこと!?」

「急やないやん、ずっと手紙読んどったもん」

「そっ、それは、簓さんはそうかもしれないけど」

「名前ちゃん住所も連絡先も書かへんから返事できひんかったし。でも俺は名前ちゃんの手紙届くたび、こっちで知り()うたときのこととか、ブクロで偶然()うたときのこととか思い出して、あー、会いたいなーってずっと思っとったで」

名前ちゃんは、ひぃとかなんとか、何かの鳴き声みたいな情けない音を発しながら、ずるずるとソファーに縋るように崩れ落ちていった。顔を背ければ耳まで真っ赤なのがバレバレで。

「……あのね、簓さん」

「なに?」

頬杖をついて可愛こぶりっ子するのは、さすがの俺もちょっと恥ずかしかったから。

「私にとって簓さんは、もうただの昔の知り合いとかじゃなくて、大好きで応援してる芸能人なんです」

「ここに来て大好きなんて、名前ちゃん意外と大胆やね」

「そういう意味じゃない!」

真っ赤な顔でぷりぷりと怒ったところで迫力なんてあるはずもなく、ただただ可愛らしいばかりだった。

「だから、急にそんなこと言われても……全然ピンとこないというか、なんかそういうファンイベントみたいな……」

「そんなイベントしたことないしする予定もないで……」

名前ちゃんは、時折真顔で面白いことを言う。なんか盧笙と喋ってるみたいやな。安心してボケられるしツッコめる。やっぱり、隣におってほしいなあ。

「――別にずっとやなくていいから、たまに今日みたいにこうやって()うてくれへん?」

「それくらい……なら」

これ以上攻めたところで今日はどうにもならなさそうだったので、俺は妥協してそう言った。名前ちゃんもようやく少し落ち着いた様子でこくりと頷く。

「……なんか、やっぱり夢みたいです」

「夢みたいーってことは現実やんなぁ」

「もう……」

俺が茶化すように言うと名前ちゃんは呆れて笑った。

(……()よ、芸人としてやなくて男として見てもらいたいなぁ)

そんなことを考えながら名前ちゃんを見つめふと微笑むと、名前ちゃんは不思議そうな顔をしつつ微笑みを返してくれて、思わず大声で好きやと叫びそうになった。

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