私は簓と違ってブランクもないし。ずっとオオサカにおるのに今更迷子になんてなるわけないやろ、と高を括って。
「迷子……」
ずっとオオサカにいるとはいえ、ウメダの街は目まぐるしく変わる。見覚えのない店舗に、どこで曲がるんだったかと戸惑っているうちに、全然知らない道へ出てしまった。なんとか地上には出てきたものの、ここがどこなのかまるで見当もつかない。
気付けば待ち合わせの時間を数分過ぎていた。慌てて連絡を入れようとしたところで、ちょうど向こうから着信がある。
『名前?起きとる?』
「寝坊してへんわ!ごめん、ウメダにはおるからもうすぐ着く」
もうすぐ、なんて微塵も保証できないのだけれど。
「ちなみにやけど、簓どこから行ったん?」
『どこから?御堂筋のー……名前もしかして迷子なん?』
「……ちゃうもん」
一応否定したものの、簓は電話越しにゲラゲラ笑っている。全く信じていないのが丸分かりだ。まあ、この状況で迷子じゃないわけがない。
『ええよ、迎えに行くからその辺おり、今どこおるか分かるか?』
ひとしきり笑って、未だ少しヒイヒイ言いながらも簓はなんとかそう提案した。
「それが分かってたらもう着いてる」
『そうやなあ……あ、じゃあビデオ通話にしてぐるっと回ってみ』
「……そんなんで分かる?」
目印らしい目印が見当たらないから困っているのに。とりあえず言われたとおりビデオ通話に切り替えてカメラを外側に向け、その場でゆっくりと一周回ってみせると、スピーカーから『あー、分かった』と声がする。
「ホンマに?」
『自分、全然違うとこ向かって歩いてるやん、そら着かへんわ』
ちょっと歩くからそこで待っとき、と言われ電話が切れた。
邪魔にならないよう道の端に寄って、暗くなったスマホの画面を見つめる。簓が来てくれると決まって、すっかり気の緩んだだらしない自分の顔が映っていた。
* * *
「お待たせー」
簓は十分と経たない間にやってきた。ひらりと片手を上げて、待たせたのはこちらなのにそんなことを言う。
「……待たせたのに来てもろてごめんな」
「ん?なんや、一応反省してたんやなあ」
「してるよ」
しおらしくしていれば、簓は嬉しそうに私の頭をぽんぽんと撫でた。
「俺は駅で待ち合わせにしよかって言うたのに、自信満々で行けるって言うてたもんなぁ」
「前は行けたもん」
「今なんや工事してるしな、しゃーない、しゃーない」
俺は行けたけど、とまるで励ます気のない台詞を付け足して、簓はまたケラケラと笑っていた。
「向こうのほうがよっぽど忙しなかったしなぁ、シブヤなんか行くたんびに道変わっとったし」
そう言って簓は懐かしそうにどこか遠くを見る。その視線の先には私の知らない数年間の思い出が映っているのだろうか。
「魂売りよって」
「売ってへんから帰ってきたんやん!」
ぺち、とツッコミにしては優しすぎる平手が後頭部を襲ったかと思うと、簓はそのまま私の手を取って「行くで」と言って歩き出した。その方向はちょうど来た道を戻る形で、本当に逆方向だったのか……と少し居心地が悪い。
「もうどこも行かへんよ」
斜め前を歩いていた簓が不意に呟いた言葉にふと顔を上げる。
「え?」
「え、って……なんかしんみりしてたから……」
「……しんみり?」
意味が分からず首を傾げると、簓は恥ずかしそうに頬を染めて「え……ちゃうの?」と今にも消え入りそうな声で続けた。
「めっちゃ逆に向かって歩いてたんやなって思っただけ……」
素直にそう答えると、簓はわなわなと唇を震わせて、ばっと顔を背けてしまった。
「いや、めっちゃカッコつけてもうたやん!恥っず!」
簓は反対側を向いたまま半ば叫ぶように吐き捨てていたが、こちらから見える耳は真っ赤だし、繋いだ手はじわじわと熱くなって、しっとりと汗もかきはじめている。
「ささら、」
数歩、歩く速度を上げて隣へ並ぶと、簓は渋々こちらを振り返った。情けない顔はあまり見ないようにしてあげて、するりと腕を絡める。
「な、なに?」
「ふふ、嬉しいなあって」
そう言うと、簓はようやく人心地ついたようで、わずかに微笑んだ。
「ホンマにどこにも行かへんの?」
「当たり前やん」
「向こうでの仕事もっと増えても?」
「んん?うーん……」
半分冗談のつもりで訊いたのに、考え込むようなそぶりを見せる簓に少しむっとする。それが顔に出ていたのかは分からないけれど、簓はちらりと私を見ると何故かによによと口元を綻ばせた。
「そんときは名前も一緒に行こうや」
「……え」
――それって、なんか、その、
「プロポーズ……?」
「はっ!?や、そんなつもりちゃう!」
「……そんな否定せんでもええやん」
面食らったようにあたふたする簓に、むす、と唇を尖らせると、簓は再び慌てふためいて、
「いや、そういう意味でもなくて、その……そういうことはもっとちゃんと言うやん」
「へ……」
「あっ、ちょお待って名前が変なこと言うから道間違うた!」
変なこと言うたんはそっちやろ、とは思いつつ、そう言って足を止めた簓が先ほどの比ではないほど顔も耳も真っ赤にしていたから、優しい私は何も言わず一緒に足を止めた。
方向転換した拍子に絡めていた腕をほどいて、再びするりと手を繋ぐと、相変わらずカイロでも握っていたみたいに温かい。
「どこでも付いてったるよ」
遠くを眺めながらぽつりと呟けば、簓は嬉しそうに顔を綻ばせて、小さく頷いた。
Fin.