スリーピング・ビューティー

任務を終えて空を飛ぶ呪霊に乗せるなり、名前はスイッチが切れたみたいにすうすうと寝息を立てはじめた。体力を使い果たしたらしい。間違っても落ちたりしないよう、慌ててお腹のあたりに回した腕に、時折柔らかいものが触れるのは不可抗力である。ああ、もう、頼むから起きてくれないかな、なんて思いながら視線を下げて、私はぴしりと固まった。緊急の呼び出しだったから名前は私服姿で、ずいぶん胸元の涼しげなTシャツを纏っている。身長差のせいで上から見下ろす形になった私の視界には、冗談みたいな白。制服は首元まであるから日焼けしないんだろうな、なんて、そんなところは冷静だった。それから爪を立てれば簡単に裂けてしまいそうな薄い皮膚が描く曲線。誰の趣味だと問い質したくなる真紅の下着までちらりと覗いて、さすがにバッと顔を上げた。

* * *


日曜の昼下がり。任務も授業もなかった私は、寮の自室で本を読んでいた。いつもなら談話室かどこかから人の声が聞こえてくるものだが、今日は静かだ。名前は他の女子たちと原宿へ行くのだと言っていた。男子も数人を残して皆出払っている。こんなに静かな休日は珍しい。
何か飲み物でも淹れてこようかな、そんなことを考えて本に栞を挟むと、図ったかのように廊下が騒がしくなる。そうっと扉を開けて覗き込むと、補助監督たちがぱたぱたと忙しなく走り回っていた。

「あ!夏油さん!」

そのうちのひとりが私に気付き、キィとブレーキ音でも聞こえそうな勢いて立ち止まる。
聞けば緊急の案件で対応できる術師を探しているのだと言う。特に予定もなかったし、おそらく今残っている人員でふさわしいのは私だろうと思い名乗りを上げると、補助監督は心底ほっとしたような顔で携帯電話を取り出し誰かに連絡をする。

「二級術師が一名、先に現場に入っているそうです。近隣にいたとかで」

「場所は?」

「神宮前です」

……名前だな。等級や術式的にもそうだし、名前が自分でできる仕事を一緒にいる誰かにやらせるとは思えない。
用意をして、車を出すと言う補助監督に自分で行くからいいと断りを入れ寮を飛び出す。日曜の東京の街、車で行くより呪霊に乗っていったほうが早い。普段はあまりいい顔をされないし、そもそもきちんと予定を組んだうえで動いているからやる必要もないのだが、今日は緊急ということもあるし目を瞑ってもらえるだろう。
現場へ到着すると、名前が既にいくらかの呪いを祓ったあとだった。

「あ、やっぱ夏油来た!ラスボス残してるよ!」

空に私の姿を見つけるなり名前はぶんぶんと手を振る。余裕綽々だと思ったら雑魚しか相手にしていなかったらしい。

「ありがとう、遅くなってすまないね」

「私が近くにいるってチクった五条より百万倍マシ」

寮にいなかったから声がかかっていないのかと思ったら、さすが最強の特級術師様にそんなことはなかったらしい。で、生贄として差し出されたのが名前か。

「名前ならどっちにしろ駆け付けただろ」

「それはそうだけどさ」

ふてくされる名前を宥めつつ、ラスボスとやらを取り込みに向かう。あらかた祓い終わりやることもなかったのか、名前も当然のように後ろをついてきていた。

「あーあ、次クレープ行こうとしてたのに」

「それは残念だったね。他の皆は?」

「そりゃ、私が行くから皆は楽しんでーって言って抜けてきたよ」

「名前はえらいね」

もっとも、他の皆が素直にショッピングを続けているとは思わないけれど。たぶん名前を見送ったあと、お土産にスイーツでも買って高専に戻って、名前の帰りを待っていることだろう。
今日の、というより日頃の悟への愚痴を延々と垂れ流す名前に苦笑しつつ最後の呪霊を取り込んで帳を出る。補助監督が後処理に追われるのをふたり並んでぼうっと眺めていると、名前がふと口を開いた。

「あ……私電車じゃん、誰か車乗せてくれるかなー……」

「一緒に帰るかい?」

「夏油、今日誰と来たの?」

「これ」

言いながら、先ほど乗ってきた呪霊を呼び出すと、名前はぎょっとした顔でこちらを見る。それから一拍遅れて近くにいた補助監督たちも同じようなリアクションをした。

「ちょっと!?えっ、待って、これで来たって言った?」

「緊急だったからね」

「……夏油もたいがい、五条に負けじと問題児だよね」

「名前、電車好きなんだね」

「あーっ、待って待って、嘘!乗せて!もう歩きたくない!」

ふいと身体を背けてみせれば、名前はばたばたと私の背中にすがりついた。……さすがにこれはいけないと、なるべく自然にそっと距離を取る。

「私が着くまでそんなに呪霊がいたのか、本当に遅くなってすまない」

「いや、違う違う、大して働いてないよ。普通に早起きしすぎて眠いし歩き回って疲れたってだけ」

「……なんだ」

子供みたいな理由だった。申し訳なく思った私が馬鹿みたいだ。確かにここ数日、名前は今日の予定をたいそう楽しみにしていたな。
だからといって自業自得だと突き放す道理もない。高専での生活はそれはもう多忙だ。少しくらい甘やかしたって罰は当たらないだろう。

「帰ろうか」

喚び出した呪霊に先に乗って、何食わぬ顔で手を差し出すと、名前は当然のように私の手を握って同じように乗り込んだ。想定外の感触だったのか「うわっ」と声を上げてバランスを崩しかけたのを、そっと支える。抱き締めるというにはほど遠い、けれど、ただの同期の私たちには近すぎる距離。

「ゆっくりしなよ、なんていう場所ではないね」

「えー、超ゆっくりする、意外と落ち着く」

立ったままでは不安定だから先に腰を下ろすと、名前も同じように座り込んだ。
基本は私ひとりで乗っている呪霊だ。バイクか何かに二人乗りしているような距離感で、しかも名前を前に座らせてしまったものだから、私が腕を回さざるをえなくなる。少し躊躇いつつ、驚かせないよう声を掛けてから手を伸ばした。

「名前、落ちないように気を付け、」

て、という言葉は音にならなかった。腰を下ろしてほんの数秒だというのに名前の首がかくんと動いて、まさかと思った瞬間、身体がぐらりと外側へと傾いだので慌てて腰に回した腕に力を込めた。
そして、冒頭。

* * *


「……名前、高専に着いてしまうよ」

静かに上下するつむじに声をかけてみるが、何の反応もない。高専の敷地が見えてきて、少し焦る。別に私は名前を自室まで抱えていくのだってやぶさかではないのだが、それを人に見られて困るのは名前のほうだ。おそらく今日一緒に出かけた面々がピロティあたりで待っているだろうから、誰にも見られず寮に戻るのは不可能だ。
……そういえば、今日は硝子も一緒ではなかったか。私は名前を抱えているのとは反対の手で携帯電話を操作して、彼女を呼び出す。

「もしもし硝子?」

『夏油、まさか呪霊で帰ってきてる?アラート鳴らすのはやめてよ』

……やっぱり、私たちの姿が見えているということは、屋外で名前を待っているのだろう。

「あぁ、うん、もう降りるよ。名前と一緒なんだけど、名前が寝てしまって」

『は?名前その呪霊の上で寝てんの』

メンタルすご、なんて言って硝子は電話越しに笑った。本当にね。呪霊の上で、男の前だぞ。

「私が部屋まで運ぶから、どこかで待っているなら散会させておいてくれないか」

『なんで?』

「なんでって……」

付き合っているわけでもない男に寝顔を晒して、部屋まで抱きかかえられる名前の姿を見せないために決まってるだろう。

『いいじゃん、面白いからそのまま来れば』

「……硝子に頼んだ私が間違っていたよ」

ハァ、と漏れ出た溜息が名前の髪を揺らした。仕方ない、名前を抱えて堂々と突っ切るしかなさそうだ。
挨拶も程々に通話を終える。名前は相変わらず夢の中だ。よくこの環境で安眠できるな。

「名前、名前、本当に起きる気はない?」

俯く横顔に問いかける。これが最後の機会だろう。呪霊はゆっくりと地上に降り、私の視界に地面が迫ってくる。名前は相変わらずノーリアクションだ。日が落ちて気温が下がってきたし、あんまり外に長居はさせたくない。私は潔く名前の背中と膝裏に手を回した。
……いや、本当にこれでいいのか。でもさすがに俵担ぎはどうかと思うし、子供みたいに抱っこするのは別の意味で色々とよくない。ビジュアル的にはおぶっていくのが一番いいのだが、名前が目を覚まさない以上その選択肢はない。そもそも目が覚めていたら自分で歩いてもらう。
結局、私はそのまま名前を抱き上げて高専の敷地に一歩踏み込んだ。

* * *


「お疲れ」

寮に近づくにつれ苦い顔になる私を出迎えたのは、意外にも硝子ひとりだった。驚きを隠せない私に、硝子が言うには「そんな恰好で戻ってきたらみんな名前が怪我したと思っちゃうじゃん」とのことだ。実際には無傷で呑気に寝息を立てているだけなのだが。

「名前の部屋の鍵いるでしょ。鞄とか預かってるから」

そう言うと硝子は踵を返して女子寮のほうへ向かい歩き出したので、素直にその背を追う。

「もしかして心配しなくても、はじめから硝子ひとりだった?」

「まさか。みんな待ってたけど夏油とイチャつきながら帰ってくるって言ったら部屋戻ってった」

……なんで私が人払いを頼んだか分かっているのかな。いや、分かってやっているのだろうな。
再び苦い顔をする私を振り返って硝子は笑う。

「気付いてないのは本人だけだよ」

「だろうね」

「このあとどうする?送り狼になるなら止めないけど」

「それは止めなよ……」

ここにいる全員シラフなのに送り狼も何もないだろう。大体、寮で事に及ぶほど飢えていない。いや、そもそも私と名前はまだそういう関係じゃない。
そんなことを考えているといつの間にか名前の部屋の前で、硝子が名前の鞄を漁り鍵を取り出す。よく見れば鞄の他にも紙袋をいくつか提げていた。きっと今日名前が買ったものだろう。

「名前がね、クレープを食べ損ねたと言ってたんだ」

「あぁ、うん、そんなタイミングだった」

硝子がドアを開けて押さえている横を通り抜けて、名前をベッドに下ろす。結局ここまで起きなかったな。
名前の部屋に入るのは初めてだったけれど、硝子の前であんまりきょろきょろしたらまた揶揄われそうだから視線を動かすだけに留める。机の上に写真立てが置いてあって一瞬どきりとしたが、なんてことはない、私たち同期と撮った写真で胸を撫でおろした。

「私が改めて、名前にクレープを食べさせてあげてもいいかな」

名前の荷物を置いて部屋を出ようとする硝子に問うと「勝手にすれば?」と至極どうでもよさそうな返事が返ってくる。

「五条にはバレないようにしないと、あいつ絶対ついてくるよ」

「そうだね」

硝子と一緒に部屋を出ようとすると、「帰るんだ」と真顔で言われた。帰るに決まってるだろう。
隣の自室に戻る硝子を見届け、私も男子寮へ帰ろうとすると、硝子が閉まる前の扉からひょこっと顔を覗かせた。

「煙草一箱で教えてあげる」

「……何を?」

「名前が今日行く予定だったクレープのお店と、もう一軒悩んでたカフェ」

安いな、なんて言ったらまたたかられそうだったから、私は努めて冷静に「仕方ないな」と答えて再び寮を出る用意を始めた。

Fin.

prevnext

Main
Top