その日、名前はなんだか元気がなかった。昼間は任務だったはずだが、そこで何かあったのだろうか。小さな傷はいくらか見受けられるが、少なくとも見える範囲に大きな傷はない。無傷で戻れなかった己の力不足を悔いているのか。……正直、名前はそんなストイックなタイプではないと思う。
今日の任務は七海が同行していたはずだと思い出して、私は一旦名前のもとを離れ、冷静沈着な後輩に話を聞きに行くことにした。
「名字さん、そんな落ち込んでるんですか?」
「やっぱり何かあった?」
「……大した話ではないと思ってたんですが」
そう前置きすると、七海は少し考えるように口元に手をやり、「そんなに大事なものだったのか……」とひとりごちた。
「髪留めが、呪霊の攻撃に掠って落ちたんです」
七海の言葉を聞いてハッとする。今朝すれ違ったときと何か違うと思ったら髪を下ろしていたのか。寮生活をしているとそういう姿も見ないではないのでそこまで強い違和感がなく気付かなかった。
「落ちただけなら良かったんですが……そこが運悪く名字さんの着地点で、髪留めは粉砕、名字さんは軽い捻挫で結構ショックを受けていたみたいです。帰るころにはケロッとしているように見えたんですが」
「あー……それしかないな、ありがとう」
「いえ、なんというか……名字さんをよろしくお願いします」
「はは、何それ。まあ任されたよ」
私は名前のただの同期だし、七海はただの後輩なのに、おかしなことを言う。もしかしたら今日の任務のことで多少責任を感じていたりしたのだろうか。先輩の髪留めのことまで気にする必要は微塵もないのに、相変わらず馬鹿みたいに真面目だ。
談話室に戻っても名前の姿はなかった。こういうとき、名前はひとりになりたがる。何にも考えたくないそうだ。校内でひとりになれる、名前のお気に入りの場所を脳内でリストアップする。昇級試験に落ちたとか、欲しかったコスメが売り切れだったとか、先輩が怪我をしたとか、名前が大なり小なり落ち込むたび、私はその小さな背中を探して校内を歩き回った。だから、名前のいる場所にはある程度心当たりがある。
寮舎の裏を少し歩くと、柱の影に名前の姿を見つけた。角に背中をくっつけて、膝を抱えて丸くなっている。なんだかそういう呪霊みたいだなと思った。
「名前、やっと見つけた」
「……夏油なんでいつも来るの?」
「名前の泣き顔を拝みに」
「悪趣味、泣いてないし」
膝を抱いていた腕に顔を埋めながら、名前はじとりと恨みがましく私を見上げる。そんな視線は無視をして、隣に並んで腰を下ろした。
「髪留め壊れちゃったんだって?」
「七海に聞いた?」
「うん、七海も心配してたよ」
「髪留めを?」
「名前をだろ」
本気なのかボケているのか分からない返しに少し笑い声が漏れてしまった。名前はじいと私を睨む。ということは本気だったのか?
「そんなに大事なものだった?」
「……高専入る前に友達に貰った」
ともだち、と口の中で繰り返す。それは男?女?なんて質問は、きっと名前の気持ちに水を差すだろうから私からはできない。
「小学校からの友達。中学生がお小遣いで買った安い髪留めだけど、そういうの金額じゃないじゃん」
……男ではなさそうだ。内心ではほっと息をつく。もっとも、高専に入ってからもまるで男っ気のない名前がそんなマセた中学時代を過ごしているとも思えないが。
「その子は趣味がいいな。名前のこともよく分かってる。あれはすごく名前に似合ってた」
「やめてよ、もうないんだもん」
ガバ、と名前は顔を突っ伏してしまった。しまった、悪手だったか。本心だったんだけど。
「そんなに大事なのに、毎日ちゃんと着けてたんだね」
いつもより寂しげになってしまった頭をぽんぽんと撫でる。髪を結っていないぶん、遠慮なく名前の頭を撫で回せるとふと気付いてしまった。
「……いつ死ぬか分かんないじゃん」
「名前はすぐそういうことを言う」
咎めるように、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。名前は「痛い、痛い!」と暴れる。
「……ねえ」
「なに」
「今度の休み、一緒に新しいのを買いに行こう。名前に似合うものを選ばせて」
乱した髪を今度は優しく撫でつけていると、名前はふいに顔を上げ、きょとんと私を見上げた。
「夏油が選んでくれるの?」
「私が選んで名前にプレゼントするよ」
「ええ……なんで?いや、選んでもらうのが嫌とかじゃなくてね」
……鈍感。友達思いの繊細さとこの絶望的なまでの鈍さが同居しているのだから不思議なことだ。
「私のほうが稼ぎがいいから」
「最悪!ちょっと嬉しかったのに!もう、馬鹿みたいに高いやつ買わせてやる!」
さして痛くもない拳が私の脇腹へ入る。名前の頬はうっすらと色付いていて、理由は何であれ元気を取り戻したようで何よりだ。
「何でもいいよ、その代わり授業のときも任務のときも、ずっと着けていてね」
「あんまり高いの、また壊しちゃったら嫌なんだけど」
「そしたらまた買いに行けばいい」
「……変なやつ」
名前は唇を尖らせてじいと私を見たあと、ふ、と笑った。その笑顔が見られるのなら変なやつでも馬鹿でも道化でも構わないと思ってしまうから、私もなかなか重症だ。
「で、名前の次の休みはいつ?」
これはデートなんだって、名前は当日までにちゃんと意識してくれるだろうか。
Fin.