最近、名前と寂雷は仲が良い。ふたりきりで話す機会が増えたし、そこへ俺が合流しようとすると、ぱっと話題を変えてしまう。
俺は恋愛でもアイツに負けるのか、なんて思いながらも、人の心は変えられないし、寂雷がいかに優れた人間かということは身を以て知っているし、なんだかんだ言って好いた女には笑顔でいてほしいし。
入学からずっと三人でつるんできたが、それももう終わりか。
応援、してやるべきなんだろう。そう思いながらも、行動に移せたのは何日もあとのことだった。
「寂雷のこと好きなのか」
寂雷が席を外し、久しぶりにふたりきりになったときに、そう切り出した。すると名前は、きょとんと心底不思議そうな顔をする。それに違和感を覚えながら一応「そうなら、応援してやるけど」と続けてみるも、名前はますます訝しげな顔をするばかりで、
「え、なんで?何の話?」
「なんでって、最近ずっとふたりで何か楽しそうに喋ってるだろ」
何故だか、名前はそう言った途端にカッと頬を染めた。
「べ、別に、何もないよ」
俺から視線を逸らし、画面の点いていない携帯電話をもじもじと触りながら、名前は言う。何もないリアクションじゃねーだろ、と思うのだが、恥ずかしい気持ちは分かるので追及はしない。
「……そうか。何か手伝えることあったら言えよ」
「え、あの、獄、寂雷から何か聞いてるの……?」
おそるおそるといったふうに顔を上げ、俺に尋ねる名前の顔は相変わらずほんのりと薄紅に染まっていて、それがどうにもイライラする。他の男のことでそんな顔をされても、可愛いとは思えなかった。
「別に何も聞いてねーけど、見れば分かる」
「うそっ」
何が嘘だ、あんなきらきらした笑顔で話してて、分からねーやつがあるか。そう思うのは、たぶん俺が名前のことをずっと見ていたせいなんだろう。自覚があるから尚更虚しい。
「え、いつから……どこまで知って、」
「どうかした?」
用事を済ませて戻ってきたらしい寂雷が、名前の言葉を遮った。顔色が悪いようだけど、なんてことにはすぐ気がつくくせに、どうしてこのただならぬ空気は読み取れないんだろうな。
「寂雷、獄に何か話したの?」
「何かって?」
寂雷は不思議そうな顔をして俺を見た。小さく首を傾げて「何か言ったっけ?」と問いかけてくるので、俺は「寂雷は何も言ってねーよ」と名前に向けて答える。
あぁ、名前の反応を見ていたら薄々気がついてしまった。たぶん名前が一方的に寂雷を慕っているのではなく、俺の知らないところで既にふたりの交際は始まっているのだろう。俺はそれを教えてもらう権利すらないのか。
「気付かなくて悪かったな」
正直、俺は微塵も悪くないとは思うが、人の恋路を邪魔するやつは何とやらだ。それに、人のものになってしまった名前に今までと変わらず接してやれるほど、俺は大人じゃない。だったらせめて、醜態を晒す前に一秒でも早くここから離れたい。
席を立つ直前にちらりとふたりの顔を見ると、何故かぽかんとアホ面を晒していた。その表情に一瞬驚いたものの、今更足を止めることもできなくて立ち上がると、俺の腕を寂雷が掴んで引き留めた。
「ちょっと待って獄!」
「……んだよ」
振り返ると、名前は真っ赤な顔をして、俺を引き留める寂雷を引き留めていた。寂雷の高そうなシャツの裾が容赦なく引き伸ばされている。
「寂雷なんで止めるの!」
「だって獄、何か勘違いして」
「だからってそれ説明……説明できない!」
三人それぞれ腕や服を引っ張って連なる俺たちに、周りの学生たちがちらちらと訝しげな視線を送っているのを感じる。
「おい、とりあえず離せ、どこにも行かねーから」
じわじわと恥ずかしさがこみ上げ、最初に折れたのは俺だった。寂雷が俺の腕を解放すると、名前も寂雷のシャツから手を離す。伸びる素材ではなかったようだが、すっかりしわくちゃになってしまった紺色のシャツがおかしくって笑いそうになった。
「勘違いって何だよ、おまえら付き合ってんだろ?」
俺が再び腰を下ろしながら言うと、ふたりはぎょっとして顔を見合わせ、立ったまま俺にずいと詰め寄る。名前はともかく、寂雷はデカいんだからとりあえず座れよ、なんて呑気に考えた。
「違う!なんでそうなるの!」
「そうだよ、名前は、」
「寂雷っ!」
何か言いかけた寂雷を名前が止める。すると寂雷は俺から視線を外し、今度は名前を見つめた。
「名前、いつも言ってるだろう?」
「でも……」
「名前なら大丈夫、ずっとふたりを見てきた私が保証するよ」
そう言うと寂雷はポンと名前の頭を撫でた。どこが付き合ってねーんだよ、なんて思いつつ、相変わらず泣きそうな顔を真っ赤に染め上げてこちらを見る名前の言葉を待つ。名前は時折口を開いては閉じ、あーだのうーだの唸り声を上げていた。それからしばらく俯いていたかと思うと、バッと顔を上げ、意を決したように俺を見つめる。あまりに力強いその視線は、見つめる、というか睨みつけられているようでもあった。
「私が好きなのは、獄なの」
栗色の瞳につい魅入っていると、不意にそんな言葉が聞こえてきた。
「……え?」
ボーッとしていたようなものだから、まさかそれが本当に自分の耳に届いた言葉だとは思えなくて、馬鹿みたいな声を上げてしまう。
しかし向かいで恥ずかしそうに口を結んでいる名前や、にこにこと温かい視線を送っている寂雷を見ていると、もしかして現実なのか、と思えてきた。
「ほ、本当か」
「冗談でこんなこと言うわけないでしょ」
「名前はね、どうすれば獄に好きになってもらえるのか、ずっと私に相談してたんだよ」
「寂雷っ!」
名前が隣に立つ寂雷の腕をぺちぺちと叩くのが、どこか遠くの出来事のように見えた。何も言えず呆然としている俺を、寂雷の低い声が現実へ引き戻す。
「今更何かしなくても、もう獄は名前のことが好きなのにね」
「え、」
今度は名前が目を丸くして、俺が慌てる番だった。
「なッ、何言ってるんだ寂雷」
「それこそ見れば分かるよ、何年の付き合いだと思ってるんだ」
ふたりともよく気付かないね、なんて、おまえにだけは言われたくない。
おそるおそる名前のほうを見れば、驚きの中に喜びを隠しきれない、なんとも間抜けな顔をしていた。
「……ほんと?」
答えは分かっているくせに。そう思うのは、俺の顔もじわじわと熱を持っていて、これで赤くなっていないはずがないと自分で分かってしまうからだ。
「……好きだよ」
ふいと視線を逸らして呟くと、名前が息を呑んだ音が聞こえた。それから寂雷が慌てたように俺の名前を呼ぶので顔を上げると、名前はポロポロと涙を流していて、
「な、なんで泣くんだ!?」
「ごめ、だって、嬉しくて」
またざわざわと、周りの学生たちの視線を集めてしまっている。俺は名前の手を引き廊下を走った。
……荷物置いてきちまったけど、寂雷が見ててくれるだろ。
人気のない階段の踊り場で、赤い目をした名前を抱き締める。「あ、え、」と動揺するような声が聞こえるのを無視して、ぎゅうと力を込めると、ふらふらと自信なさげに名前の掌が背中を這うのを感じた。
「変なこと言って悪かった」
「ど、どれのこと……」
どれって、そりゃ、名前と寂雷が付き合っていると勘違いしていたことだが、それが事実じゃないと分かっていてももう口に出したくはなかったので、黙って腕に力を込めた。
「おまえがあんまり楽しそうに寂雷と話してるから、ずっとイライラしてた」
「そんなに楽しそうだった?」
獄の話してたからだ、なんて言って名前は嬉しそうに笑う。
「寂雷ね、はじめて相談したときからずっと、絶対大丈夫だって言ってくれてたよ」
「……そーかよ」
「獄、最初からバレバレじゃん」
名前はケラケラと笑っているが、肝心の自分はちっとも気付いていなかったくせに、よく言う。むっとして、少し体を離し、その生意気な口を塞いでやると、今日イチのアホ面が拝めた。
「おまえにもバレたんだからもう遠慮しねえ」
覚悟しとけ、と言うと、名前は俺の腕から逃れようとばたばたともがきだした。逃がすわけねーだろ、たーけ。
Fin.