「わー、可愛い」
「名前、こういうの好きだよね」
「好き!硝子ちゃんは着ないよね」
「着ない、寝心地悪そう」
「えー」
窓を開け放たれた教室に近づくと、女子ふたりの楽しそうな話し声が聞こえる。楽しそう、と思えるのはある程度の付き合いがあるからかもしれない。歳の割に大人びたふたりの声音は淡々としていて、感情の起伏が読み取りづらく、学生というより会社員の休み時間みたいだなと思うことがよくあった。
「うへぇ、部屋着のくせに私の普段着より高いよ」
「名前、引きこもりだから部屋着の時間が一番長いしそれで合ってるんじゃない」
「一理ある」
……一理あるのか?
半端に開いていたドアをからからと引くと四つの目がこちらを見るので「何見てるの?」と軽い口調で問う。ふたりはひとつの机を仲良く囲んで、雑誌を覗き込んでいるようだった。
「高級パジャマ」
「……?」
いたって真剣な様子の名前を硝子が呆れたような顔で見る。間違ってはないけど、とでも言いたげだった。
名前に手招きをされて近付くと、くいと袖口を引かれ、ふたりが読んでいた雑誌を一緒に覗き込むかたちになる。名前は相変わらずパーソナルスペースが狭い。
「これ、上下揃えたら一万円超えるんだよ、パジャマのくせに、ヤバくない?」
ぱっと顔を上げられれば、私たちの距離は十センチにも満たない。一瞬固まってしまった私に対し、名前は微塵も気にする様子がないから身を引いて離れることもできなかった。ふいと名前が再び雑誌に視線を落とせば、シャンプーか何かの花のような香りがふわりと鼻を掠める。頭をくらくらさせながら、私はようやく名前の視線の先を追うようにして誌面に目をやった。
そこに写っていたのは、やたらもこもこしたルームウェアを身に纏った女の子たち。ある程度ファッションに関心があれば男でも知っている有名ブランドだ。
「名前の稼ぎなら買えるでしょ」
「買え、っ……ないこともないけど、だいぶ躊躇う」
「どれが欲しいの?」
「欲しいっていうか可愛いなってだけ」
そう言いつつ、名前は紙の上に指を滑らせ「これと、これ」と誌面の女の子を差した。正直、色以外の違いはよく分からない。
「名前はこっちの……こういう暖色のほうが似合うと思う」
「へぇ、そうなの硝子?」
「なんで私に訊くの、夏油のセンス信じてあげなよ」
え、疑われてるの?そんな気持ちを込めて名前を見れば「信じてるよ!?」と慌てふためく。
「いつもこういうの硝子に聞いてたから、ほんとに他意はなくて」
「名前は私がいいんじゃないって言わないと服買えないもんね」
「そうなの!」
「自信満々に言うことかな……」
名前は硝子のことを自分の専属スタイリストか何かと思っていそうだけれども、はたから見たらどちらかというとママって感じだ。口に出せば一週間くらい拗ねられそうだから言わないけれど。
「こっちの色かー、覚えとこ」
ま、買わないけど、と笑いながら名前は教室を出ていった。明日の任務の件で呼び出されているらしい。
雑誌は机の上にぽつんと置いていかれた。「硝子の?」と訊くと小さく頷かれる。
「ちょっと写メ撮っていい?」
「うわ、マジ?一万でしょ?」
「名前もうすぐ誕生日だし、この間昇級したのもまだ祝ってないから、これくらい普通だよ」
「普通の意味調べてこい、馬鹿」
* * *
名前の誕生日当日はあいにく任務が入ってしまったので、不本意ながら一日フライング。名前の姿を探して寮内をうろつくも見当たらない。廊下ですれ違った硝子は「報告書終わんないって部屋こもってるよ」、「よかったね」と余計な一言は添えつつも、こちらから何か言う前に求めていた答えをくれた。
「名前ー、いる?」
扉の隙間から漏れ出る光を見れば一目瞭然なんだけれども、何にも知らないふりをして分厚い木の板を叩く。すぐにぱたぱたと足音がして、未だ制服姿の名前が顔を覗かせた。
「傑どうしたの、女子寮まで来て」
「うん、いたたまれないから入れてくれない?」
ケーキあるよ、と持っていた袋を掲げて見せれば、名前は目を輝かせていとも簡単に私を部屋に上げた。入れてとは言ったものの、さすがに少し心配になる。
テーブルいっぱいに広げていた本や書類を無理やり端に寄せると、名前はその場に腰を下ろした。私を見上げる顔には早く早くと書かれている。
「ケーキってもしかして誕生日の?」
「そうだよ、私は明日任務だから」
きっと明日は明日で、悟と硝子に祝ってもらうのだろう。ほぼ一日がかりの任務が入っている私に対し、ふたりのスケジュールは真っ白だったから。
ケーキの箱と一緒に食堂から拝借してきた皿とフォークを差し出すと、名前は「さすが傑、気が利くね」と言って満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、そっちの紙袋も、もしかして私の?」
部屋に入って真っ先に下ろした荷物にちらちらと視線をやりながら、名前は言う。パステルブルーの紙袋に印刷された店名を見れば、答えは明らかだ。
「もちろん」
小さく頷けば、名前はぱぁと顔を輝かせた。まだ中身が何かも分かっていないだろうに、それだけこのブランドに憧れがあるのか。
「え、でも……大きくない?何買ったの?」
先日男ひとりで居心地悪く入った店内には、ハンカチなんかの雑貨も並んでいた。一般的な高校生が贈るプレゼントなんて、きっとそういうものが関の山だろう。しかし、私たちは一般的な高校生とは少し違う。それに、私と同年代だとしても、相手が大切な人ならあのルームウェアを上下で買い揃えることだってできるだろう。あいにく、私と名前の関係にそういった類の名前は未だ付いていないのだけれども。
「先にこっちを開ける?」
テーブルの上でお行儀よく私たちを待っているケーキに目をやりつつ紙袋を掲げてみせると、名前は少し考えてからコクンと頷いた。私が紙袋を手渡そうとする前に立ち上がって対面から隣へ移動して、紙袋を挟む位置に再び腰を下ろす。
「はい、誕生日と、それから昇級おめでとう」
「あ、そっちもなんだ!ありがとう!」
昇級のことは完全に忘れていたようだ。まあ、私だって他の面子におめでとうくらい言うことはあっても、プレゼントまで用意したことはない。それだけ名前が特別なのだと――そう簡単に気付いてもらえれば苦労はない。
私から紙袋を受け取ると、名前はいそいそと開封作業に取りかかる。ショッパーを傷つけないよう慎重にテープをはがすと、目をきらきらさせて袋の中を覗き込んだ。どう見てもハンカチみたいなちょっとした雑貨が入っているサイズではないギフトボックスに、名前は一瞬固まって、それから何とも言えない表情で私の顔と袋の中身をバッ、バッと何度も見比べた。嬉しいのと申し訳ないのが入り混じった、ちょっと変な顔。
「開けないの?」
「す、傑、これもしかして、この間の」
ようやく気付いたらしい。返事はしないで曖昧に微笑んで首を傾げると、名前はわなわなと唇を震わせた。それからおそるおそる箱を取り出して、また箱すら大事そうに封を切って、そっと蓋を持ち上げた。パステルブルーの紙箱から、雑誌で見た薄いピンク色が覗く。
「これ、傑が似合うって言ってたやつ」
「名前が欲しいって言ってたやつだよ」
名前の表情から申し訳なさが少しずつ消えていって、クリスマスプレゼントを見つけた子供みたいに、喜びだけが一面に表れてくる。いや、時折照れたように目を伏せるのは、それが私が似合うと言った服だからなのだろうか。
名前はぬいぐるみみたいにもこもこしたルームウェアを広げて、そっとその身体に押し当てて「似合う?」と訊いてくるから、素直に「うん」と答えた。私の言ったとおりだろ、なんて誇らしい気持ちは面に出さないように。
「ね、着てるとこ見せて」
「へ?」
ふと頬杖をついてそう言えば、名前の手からぱさっと音を立ててルームウェアが床に落ちた。先程まできらきらと輝いていた瞳が揺れている。
「でもこれ部屋着だよ」
「いつも部屋着で寮内うろついてるじゃないか」
まあ、それはお互い様なんだけれども。私だって部屋着で来ているし。
「見せるのはいいけど……今日任務行って帰ってきたままだから、シャワー浴びてからがいいなぁ」
今度は私が固まる番だった。
分かっている、それを買ってきたのは私だ。部屋着としてはなかなかの値段で、しかも新品のそれを、任務帰りの埃っぽい身体で纏いたくないという名前の気持ちは。分かっているけれども、元々やましい気持ちも少し込めて言ったそのお願いに、そんな魅惑的なトッピングをされてしまったら、それはもう――男としては、是非にとしか答えようがない。いや、やましいと言っても名前の可愛らしい姿を一番に、それから独り占めしたいというだけで、別に何かしようとかそんなつもりは更々ないのだ。だって私たちはまだそういう関係ではないから。
「じゃ、先にケーキ食べようか」
先にって何だ、後で着せる気満々じゃないか。
――でも、これくらいいいだろう?部屋着のくせに一万円超だったんだぞ。
* * *
小さなケーキはあっという間に胃に収まってしまったけれど、早々に帰りたくなかった私は名前の報告書の作成を手伝った。まったく、よくもまあここまで溜め込んだものだ。
「傑は体力おばけだから分かんないだろうけど、普通はみんな帰ったらへとへとなの!」
……というのが名前の言い分。それは理解した。しかし、毎日のように任務に入っている私や悟と違って、名前は立て続けにスケジュールが埋まっていることはそうないのだから、翌日にやればなんてことはないだろうに。
とはいえ、お誕生日様の機嫌をわざわざ損ねることもない。私は「はいはい」と適当に相槌を打って手を動かした。
「あー、終わった!傑ありがとー、最高の誕生日プレゼントだった」
「これは誕生日プレゼントじゃないんだけど」
机の上に筆記具を放り出して、ぐーっと伸びをするとそのまま名前は後ろに倒れるようにして寝転がった。本当に隙だらけだ。部屋に男がいるというのに。
「名前、そんなことしてたら寝るだろ。シャワー浴びて歯磨きしておいで」
「……ママ?」
「誰がママだ」
大の字になっている名前に両手を差し出せば、そっと腕を絡めてきて、その優しい動きとは裏腹に容赦なく体重をかけてきて起き上がる。身体が傾ぎそうになるのをぐっと堪えれば、よいしょ、という名前の声が耳元で聞こえた。
「シャワー浴びたら貰った服着よ、傑どこいる?」
どこいる、とは、どういう意味だ。一瞬頭が回らなくなった。けれど、すぐにそれが「着てるとこ見せて」への返事なのだと気付く。さすがに名前の部屋で待つわけにはいかないから、どこにいるのかと。
私の部屋、なんて答えは、だめだろうな。名前ならあっけらかんと「分かった!」なんて言って今にもシャワールームへ駆け出しそうだけれども。
「気にしなくていいよ、冗談だから」
「え、そうなの?」
きょとんとした顔は、おそらく本気で驚いている。そんな顔をしたいのはこちらのほうだ。
「傑が似合うって言ったんだから最後まで責任取ってよ」
「見なくても分かるよ、私が選んだんだから」
「見せてって言ったくせにさあ」
テーブルの上を片付けつつ、唇を尖らせる名前の様子を横目で確認する。持ってきたケーキの箱にゴミを詰め、食器も食堂で洗ってしまおうとひとまとめにしたところで、私はおもむろに名前と向き合った。
「名前、シャワー浴びてそれに着替えたらさっさと部屋に戻る」
「えー」
「女の子がそんな脚出してうろうろしない」
それを買ったのは私だから知っている。下は、太ももがほとんどさらけ出されるようなショートパンツ。だからこそ着ているところが見たかったのだけれども、かと言ってそんな無防備な姿を他の男の目にも晒すくらいなら私も見られなくったっていいと思った。
「せっかく貰ったのに誰にも見せちゃだめなの?」
「そういうのは女子同士でやりな」
私は至極真っ当なことしか言っていない気がするのに、名前は相変わらずふてくされたような様子で、しかし一応は頷いた。
「じゃあ私は戻るね。おやすみ」
誕生日おめでとう、と付け足すべきか悩んだが、それは明日、当日に言おう。顔を合わせるタイミングがなければ電話でもいい。名前は「おやすみ、傑、今日はありがと」と言ってドアが閉まるまで手を振っていた。
* * *
その後、名前は言いつけどおり女子だけの集まりでルームウェアを披露したらしいが、誰かに撮ってもらったらしい写真を任務中の私に送りつけてきた。まだお説教が足りなかったらしい。帰るころにはお誕生日様の特権なぞ失っているのに呑気なことだ。
――それはそれとして、送られてきた写真はしっかり保存して、ロックをかけておいたのは言うまでもない。
Fin.