ミイラ取りがミイラになる

名前の家は、呪術師の家系らしい。悟ほど立派な家ではないけれど、一応それなりに続いているのだと、いつか聞いた気がする。とはいえ母方は一般家庭だから普通に暮らしてきたとか、名前には兄がいるから跡継ぎがどうとかも全く気にしなくていいのだとか、そんな話も。だから、悟ならともかく名前からそんな相談をされるだなんて思っていなかった。

「今度家族が東京に来るから会うんだけど、傑、私の彼氏のフリしてくれない……?」

「……は?」

とある夏の日の放課後。ひとりで廊下を歩いていた私を見つけるなり、名前は半ば無理やり腕を掴み、人気のない階段へ連れ込んだ。といっても、名前の細腕で私を連れ回せるわけがないので私が素直についてきただけなんだけれども。立場が逆だったら後で悟と硝子にたこ殴りにされそうな事案である。
人気はないが、嵌め殺しの窓からは夕陽がしっかりと差し込んでいて、私を見上げる名前の目にきらきらと反射していたのを覚えている。

「名前の家、そういうのじゃないって聞いた気がするんだけど」

「そういうんじゃないよ!悟のとこに比べたら全然マシ!別に今すぐお見合いしろとか、そういうことではないんだけど」

名前の家がそこまで厳格ではないというのは、悟に対する名前の態度にも表れていた。御三家に近いような立派な家柄なら、“五条悟”には少なからず遠慮するものだが、名前は初日からこの態度だ。いや、さすがに呼び捨てにはしてなかった気もするけれど、それは初対面の同級生としてのことであって。

「高専にいい人がいなさそうだったら探しておくからって電話で言われて、私、その……傑の話しちゃったんだよね……あっ、別に付き合ってるとかじゃなくって、カッコいい人はいるよって話で」

これは、褒められたのだろうか。なかなか恥ずかしいことを言われた気がするが、名前は気付いていないようだった。おそらく、この頼み事自体が既に恥ずかしくて仕方ないからだろう。

「兄の結婚のこと考えたら、私がいつまでもふらふらしてるのもよくないんだよね、ある程度は自由だけどさ」

本当に一般家庭とまるっきり同じという話ではないらしい。それもそうか。きっとそのお兄さんは家柄や術式を鑑みてお見合い結婚でもするのだろうし。

「ちょっとしたら別れたとか適当なこと言っておくから!お願い!」

「ちょっとしたら、っていつ?」

「えっ……す、傑が嫌ならなるべく早く」

……あぁ、嫌とかそういう話ではないんだけど。しゅんと下を向いた名前の睫毛が日の光を遮って頬に影を落とした。

「ごめんね、そうじゃなくて。私と別れたことになったら、また別の相手を探すのかなって」

「まあ……なんとか卒業まではこう順番にずるずると」

「酷い言い草」

とんだ悪女のような口ぶりだが、卒業までに本物の彼氏を作ることを微塵も考えていないのだから悪女とは程遠い。

「でも悟には頼めないだろ?」

「当たり前じゃん!五条の坊と付き合ってるなんて言ったら家族みんな倒れる!」

「先輩にこんなこと頼める?来年入ってくる後輩に男がいるかも分からないよ?」

「……正直に言えってこと?」

むす、と唇を尖らせて名前が再びこちらを見上げた。とても人にものを頼む態度じゃなくて少し笑ってしまいそうになる。

「そんな面倒なことしないで、卒業まで私を彼氏にしておけばいい」

そう言うと、名前はきょとんと目を丸くした。それから今度は怪訝そうな顔をして、

「傑、卒業まで彼女作る気ないの?」

「それは君もだろ……」

むしろ必要に迫られているのに本物の彼氏を作る気ゼロの名前のほうがどうかしていると思うのだけれども、私にとっては都合のいいことなので、それ以上は口に出さなかった。

「別に私は卒業してからも続けてもらっても構わないし」

「……え?それってどういう」

「あと、本物の彼氏にしてくれても」

「え、」

ここまで言えば、いくら名前でもさすがに意味が分かったらしい。明らかに夕陽とは違う朱色が頬に差す。そっと手を伸ばせば名前は慌てて後ずさったが、すぐさま背中が壁にぶつかる。捕まえたと言わんばかりに触れた輪郭は、季節外れのカイロのように熱かった。

「悪い話じゃないと思うけど」

「わ、私はそんなつもりじゃ」

「カッコいい人って家族に紹介してくれたんじゃないの?」

「紹介っていうか……」

すり、と親指で目の下を撫でれば名前の言葉は途切れてしまった。代わりに漏れ出た震える吐息で気分が変になりそうだ。

「……ま、だめならこの話は断ろうかな」

「なんで、さっきいいって」

「引き受けてもいいけど、そしたら私は、名前はフリだって言ってるけど私たちは本当に付き合ってるって皆に言うよ」

「ゲッ」

ゲッとは何だ、可愛くないリアクションだな。けれど、まあ、名前は他に頼れる人もいないと分かっているのに、こんなことを宣っている私も私だからおあいこだ。

「フリでも彼氏にしたいと思ってくれたんじゃないの?」

「そんなの傑のこと何とも思ってないから言え、いたたっ」

面白くない返答に、私は頬を撫でていた手でそのまま柔い皮膚をつまみあげた。名前の小さな両手が慌てたように私の手に伸びて、引き剥がそうと力を込める。包み込むみたいに掴まれた手の甲から名前の熱が伝わってきて、そんなことにすら私が鼓動を速めているだなんて、きっと名前はまるで知らない。

「じゃ、他を当たってもらおうかな」

くるりと踵を返せば、古い校舎の床板がギィと音を立てた。一本踏み出したところで、名前の手が再び私の腕を掴む。

「ちょ、ちょっと待って傑!そう言われたら、こんなの他に頼める人いないじゃん」

眉を八の字にした名前が縋りつくようにして私を見上げている。こうなるのが分かって、一度突き放した。他を当たるだなんて、本当は冗談じゃないのに。

「私がフリは嫌だと言っても?」

「……逆に訊くけど、傑のこと何とも思ってないのに、とりあえず付き合うって言われて嬉しいの?」

名前の瞳が揺れている。反射した陽の光が一緒になって揺らいでいるのがきらきらしていてとても分かりやすい。

「嬉しいよ、だって付き合ったらもっといろんなことができるから」

不意に再び振り返れば、私の腕を掴んでいた名前はバランスを崩してふらつく。その肩をぐいと引き、私の腕の中に収めた。ちょっと、とかなんとか騒ぎながら暴れるけれど、こんな小さな身体で少し抵抗したところで、なんてことはない。

「そうしたら、そのうち本当に私のことを好きになるかもしれない」

どうかな、と名前を見下ろすと、先程までの比ではない真っ赤な顔をして、涙の浮いた瞳で私を仰いでいた。答えはいらないかもしれない。

「名前、どうする?」

色よい返事がもらえたら、その場でキスくらいしても怒られないだろうか。だって私たちは付き合っているのだから。

Fin.

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