傑はたぶん、寂しがりなのだと思う。私たちが正式に恋人になってからというもの、以前にも増して私に触れることが増えた。私の気を引くためか、元々スキンシップの激しい人だったけれど、今はもう本当に遠慮がない。
一方、私はパーソナルスペースがうんと広いほう。傑のことは好きだけれども、四六時中くっついていたいかと言われるとそうじゃない。あと、普通に心臓がもたない。
「名前、ぎゅってしていい?」
そんな私の性格を理解しているからか、傑は私に触れる前に許可を取ることもある。ごくまれに。そういうときは傑に余裕があるときかというと、そうではない。むしろ限界寸前で長くもしくは激しくなるから許可を取るのだ。
「……やだ」
「お願い、ちょっとだけ」
傑の部屋で並んでベッドに寄りかかっていた私たちの距離はそう遠くない。返事をする前からじわじわとにじり寄ってくる傑はなんだかゾンビみたいだった。これは相当疲れている。疲れているなら寝ればいいのに。
「……10秒だけだよ」
疲れたときはひとりになりたい派の私には傑の気持ちはまるで分からないのだけれども、とはいえ誰かと触れ合いたいというのなら、むやみやたらに拒否するのも可哀想だ。それに、私以外の誰かにその役割を求められても嫌だし。
しかし、前回もそうやって流されてやったら一晩中抱き枕にされた。さすがに同じ轍は踏むまいと制限を付けて許可すると、傑はぱぁと顔を輝かせて腕を伸ばしてくる。この瞬間はいつまで経っても慣れない。
「名前は優しいね」
私が本当はこういう触れ合いをそこまで好んでいないのは理解しているのだろう。困ったように眉を下げる傑に、こちらのほうが申し訳なくなってしまう。別に、傑が望むならいいんだよ、そんな気持ちが少しでも伝わるようにこちらからも手を伸ばした。
分厚くて大きな手のひらが背中に添えられたかと思うと、大事に大事に、優しく引き寄せられる。まるでぬいぐるみにでもなった気分だ。傑に可愛がられる大きなテディベアを想像して、そんなもの存在しないのに少し妬いた。ふたりの距離がぐんと縮まると、ようやく私の腕も傑の背中に回って、リーチの差や体格の違いを思い知らされる。
頬に傑の髪がちくちくと触れたかと思うと、耳元でハァと深く息を吐く音が聞こえた。しばらくこのままでもいいか、なんて考えそうになるけれど、ここで流されたら前回の二の舞だ。私は心を鬼にして口を開く。
「いーち、にーい」
「うそ、そんな露骨にカウントする?なんかホントに嫌がられてるみたい」
「そんなんじゃないけど」
そうは言いつつ、傑はおかしそうに笑って肩を震わせていた。
……あ、これ話しかけて先延ばしにする作戦?こんな落語あったな、なんて思いながら私は慌ててカウントダウンを再開した。
「さーん、しー……っ!?」
数を数える声が震えて止まる。背中をぽんぽんと優しく叩いていたはずの傑の手が突然、つーと私の腰の輪郭をなぞったからだ。
「ちょっと!」
「なあに?」
厚い胸板を押して抗議したところで傑はびくともせず涼しい顔をしていて、それどころか私の抵抗を楽しんでいるようにすら見える。触れるか触れないかといった絶妙な力加減で私の感覚をもてあそぶ傑の指先は、脇腹より上、あるいは腰より下と際どいところまで行ったり来たりして実に楽しそうだった。
呑気に数を数えている場合ではない、けれど、この時間を終わらせるにはやるしかない。
「っ、ご、ろく、なな、」
「だめ、早すぎ」
機嫌よく腰のあたりを行き来していた手が、不意にするすると首元まで上がってきたかと思うと、そのまま後頭部に添えられ、同時に唇と頬の境にちゅ、と口づけられた。
「っすぐる!」
私の声などまるで聞こえていないように、傑はあちこちに口づけを落とす。頬、額、鼻先、こめかみ、それからまぶたにまで。しかし、なぜか唇には触れない。
「……なに?物足りなさそうな顔」
「してない!」
「どっちでもいいけど、早く数えないと止まらなくなっちゃう」
「とっくに10秒経ったよ!」
「でも名前が数えてないから」
後頭部に添えられていた手がするりと髪を掻き分けてきて頭皮を撫ぜた。背筋がぞくりとするこの感覚は、気持ちいいと表現すべきものなのか。
「……はち、きゅう、」
止まらなくなる、とまで宣言されて素直に受け入れるほどの優しさと余裕はあいにく持ち合わせていない。とにかく今日はもうこれで満足してもらわねばと、カウントダウンを再開した。あとひとつ、最後の数を数えようとして軽く息を吸ったのと同時に、傑の唇が私のそれを塞ぎにかかった。
「っ、ん」
開いたままだった口に傑の舌が割り込んでくる。最後の数字になるはずだった吐息は、声にならない声となって消えた。抵抗しようにも力が入るはずもなく、私の手は縋るように傑のシャツを握ることしかできない。時折、ほんの一瞬口を離すのは、私に息をする間を与えるためだろう。いっそ苦しくなってしまえば本気で抵抗できるのに、きっとそれを分かってこんな生殺しみたいなことをする。いつの間にか閉じてしまっていた目をうっすらと開ければ、楽しそうにこちらを見つめていた傑と視線がぶつかり、心臓が大きく跳ねた。かっと顔に熱が集まって、傑の胸を思いっきり叩く。私だって呪術師だ、いつまでも非力な女の子のままじゃあない。さすがに少しは痛かったのか、傑は名残惜しそうにしつつもようやく私を解放した。
「……もう何頼まれても絶対オッケーしない」
「ごめんね、ちょっと調子乗った」
――ちょっとの意味を辞書で引いてこい、馬鹿!そんな気持ちを込めてもう一度こぶしを握って胸元を殴ったが、今度はそこまで力を込めていなかったからか、傑は楽しそうに笑うだけだった。
……まあ、元気になったならいいか。きっと私は、次もまた同じ過ちを繰り返すのだろう。
Fin.