ゆりかごの唄

ほんの冗談のつもりだった。
なんだか最近、傑の目の下に隈が目立つようになってきた気がして。さすがに任務中はしゃんとしてるようだけれど、移動中や授業中にはボーッとしている時間が増えた。ゲームのしすぎ、なんて様子じゃあない。悟じゃあるまいし。

「傑、眠れてないの?」

「……あぁ、うん、ちょっとね。大丈夫」

「無理しちゃだめだよ……あ、」

どうしてあんな提案をしたんだろう。本気じゃなかった、というと無責任な気もするけれど、かといってこれで解決するとも思っていなかった。可能性のひとつというか、万に一つというか。
数日後、放課後ひとりになったところでするりと近付いてきた傑に「名前、この間の件なんだけど」「この間?なんだっけ」「やっぱりお願いしようかと思って」なんて掴みどころのない話しかけられ方をした。心当たりがなく小首を傾げると、傑は困ったように笑って。

「添い寝、してほしいんだけど」

* * *


「誰かに添い寝して寝かしつけてもらうとか?って、高専にそんな相手いないな、ベッドも狭いし」

解決策、というよりは、少しでも笑ってもらえたらいいなぁ、なんて、そんな気持ちで言ったことだった。そういえば「名前、寝相いいの?」「寝相?いいと思うけどな、たぶん」「寝付きは?」「いつでもどこでも寝れる!」なんて会話もした記憶がある。私のふざけた提案から傑が会話を広げてくれただけだと思っていた。まさか、あのときから本気だったのか。

「えっ、え、傑……本気?」

「名前が言い出したんじゃないか」

「いや、言い出したっていうか……言ったけど……」

「別に寝かしつけてくれなくていいよ、隣で寝てるだけで」

……そういう問題じゃないんだけど。考えていたことが顔に出ていたのか、傑は「何もしないよ」と言って笑った。笑いごとじゃない。

「無理そうだったらすぐ帰ってくれていいから。ね、お願い」

相変わらず少しやつれた顔で、そう言って手を合わせられたら、断るなんて選択肢があるはずがなかった。

* * *


夜中に男子寮を訪れるとあらぬ誤解を招きそうだから、あえて夕方からふたりで部屋にこもる。お風呂も済ませてきたけれど、こんな早い時間じゃ誰とも鉢合わせなかった。
課題したり、テレビ見たり、ゲームしたり。普通に遊ぶみたいに過ごして、夜も深くなったところで、傑がベッドに腰掛けた。ぽんぽんと隣を叩く様は、どう見ても情事の前といった雰囲気だけれども、私たちはそんな関係ではない。既に枕をふたつ並べたシングルベッドに私がゆっくりと近付くと、傑はごそごそと掛布団の中に潜り込んで、奥のほうへ寄り体を横向きにして寝そべった。

「傑、そんな狭かったらやっぱりかえって眠れないんじゃ……」

「大丈夫、ほら、一回寝てみて」

傑はそう言いながら手を差し伸べるけれど、さすがにそれを取る勇気はなかった。マットレスに手を付いて、傑の隣へ潜り込む。なるべく端のほうに身体を横たえると傑との間にはまだ10センチ以上の隙間がある。これならいいか、と思っていると傑が軽く身体を起こして体勢を変えた。

「ほら、名前小さいから余裕だった」

傑も私と同じように仰向けになって寝転がった。とっくに重量オーバーなのであろうベットがギィと悲鳴を上げ、マットレスはぐんと沈む。互いの肩や腕が触れて、体温がじわりと混ざり合う。

「ちょ、ちょっと、傑、」

突然ゼロになった距離に慌てる私に、傑は小さな小さな声で「このまま」と言ったから、まるで金縛りにでもあったみたいに動けなくなった。

「人の体温感じられるの、すごい落ち着く……今日だけでいいから、このまま」

「っわ、分かったから!じゃあ電気消すね!おやすみ!」

返事も待たずバッと立ち上がると部屋の照明を落とし、再びベッドへ戻る。あんな甘えるみたいに言われたら距離を置くことなんてできなくて、控えめに腕と腕をくっつける。触れたところが怪我をしたみたいに熱い。囁くような「ありがとう」を聞いて、私はなんとそのまま寝落ちてしまったのだった。

* * *


結局、私はそのまま朝まで寝ていたようで、傑の部屋の目覚まし時計の音で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しくて少しずつ目を開けると、真っ先に傑の背中が目に入った。身体を丸めて、壁のほうを向いて寝ている。やっぱり狭かったんじゃ……なんて不安になっていると、大きな背中がもぞもぞと動いて、目覚まし時計の音がするほうへ手を伸ばす――って、これって私の後ろにあるサイドテーブルに置いてある、

「ぐぇっ」

「ッわ!?えっ、何!?」

寝返りと同時に降ってきた傑の腕が私のこめかみのあたりを直撃して、思わずそんな声が漏れた。私の断末魔と腕への衝撃で傑も一気に覚醒したらしく、バッと起き上がってこちらを見下ろす。

「あっ、名前!?ごめんね、忘れてた!」

ピピピ、と鳴り続けていた目覚まし時計をとりあえず止めて、傑はおろおろと私の様子を伺っていた。

「す、傑……おはよ」

「おはよう……ごめんね、大丈夫?」

「大丈夫……びっくりしただけ……」

勢いのまま枕に突っ込んでいた顔を上げ、ちらりと視線だけ傑のほうを見る。添い寝をすると決まってからずっと分かっていたことだけど、寝起きの顔、あんまり見られたくない。

「……私のこと忘れるくらい眠れた?」

顔はそむけたまま訊ねると、傑はふっと微笑んだ。

「うん、名前あのあとすぐに寝ちゃったんだけど、寝息聞いてたら私も割とすぐ眠れたよ」

「そうやって言われたらなんか恥ずかしいな……今更だけど」

「いや、本当に感謝してるんだ。ありがとう」

久しぶりにちゃんと寝た気がする、と言う傑の顔は確かにいつもより幾分晴れやかだ。目元の隈も薄くなったように見える。

「またお願いしてもいい?」

「えっ……、うん、大丈夫」

本気?と思わなかったわけではない。けれど、他に頼める人なんていないだろうし、仮にいたとしても私以外に頼まれるのは嫌だなと思ってしまったのだ。

* * *


それから週に2、3回、私は傑の部屋を訪れるようになった。毎日入り浸るのはどうかと思うし、お互い勉強や任務もあるのでこのペース。しかし、一緒に寝なかった日の朝にはやはり傑は少しやつれた顔で現れる。分かりやすすぎて心が痛い。わざとやっているのかとすら思う。

「名前、今日いい?」

「うん、いいよ、あとで」

そういう会話は人がいないときにしているつもりだけど、時々うっかり悟や硝子に聞かれたときには、すごい顔でこちらを見られる。そりゃそうだ、私だって第三者なら絶対ただならぬ関係だと思う。けれど私たちは、数週間経っても、ずっとただの同期のままだった。

同じベッドに入るのにも寝起きの顔を見られるのにもすっかり慣れて、向かい合って寝ることにも抵抗がなくなった。別に仲がいいからとかじゃなくって、今日は少しだけおしゃべりしてから寝ようかな、とか、そういうときだけ。だから仰向けの傑の肩に私が額を引っつけて寝ることもあれば、傑が私の背中に引っついていることもある。目が覚めるとぬいぐるみみたいに抱き締められていたときはさすがに焦ったけど。

「傑、私が長期任務とかでいなかったらどうするの?」

「私が行くことはあっても名前が行くことはないだろ」

「……うるさいな、どっちでもいいじゃん」

遠回しに弱いと言われたことに唇を尖らせると、傑はくつくつと肩を震わせた。

「そうだね、どうしよう。名前なしじゃ眠れないかも」

「……」

「え、なに?」

「なんでもない」

どうしようはこっちの台詞だ。勘違いして高鳴ってしまった鼓動を隠すため、少しだけ傑から離れる。別に触れ合ってなければバレやしないだろうけど。しかし傑はそれが気に食わなかったのか、ずいと距離を詰めてきた。

「ちょっと、さすがに狭い!落ちる!」

「じゃあこっち来て」

「なんなの……」

こっち来て、なんて言われたって、向かい合って喋っていたのに、ここから近付いたらどうなるか分からないはずがない。進むことも戻ることもできず固まっていると、傑の腕がこちらへ伸びてきた。思わず後退れば背中がベッドから落ちかけて、それを傑が引き留める。分厚い手のひらが背中に回ったと思ったのも束の間、気が付けば傑の腕の中だった。

「や、ちょっ、傑、これは」

目の前には傑の硬そうな胸板。頭頂部にちょんと触れたのは、傑の鼻先か――まさか唇ではないと思いたい。
パニックで、というかそもそも傑が本気を出せば私なんて動けないどころか抱き潰されてもおかしくないのだけど、とにかく指先ひとつ動かせないでいると、ふくらはぎのあたりに傑のそれが絡みついてきて、いっそ大蛇にでも巻きつかれているような心地になってきた。

「す、ぐる……?」

かろうじて自由の利く口でその名前を紡ぐと、ぎゅうと抱きしめる力が強くなった。本当に絞め殺す気かと思った。
――寝てる間に無意識で抱き締められることはあったけれど、起きているときは初めてだ。傑は何も言わない。どういう状況なんだろうか。

「……どうしたの?寂しいの?」

「……は?」

少しだけ腕の力が緩んだ。その隙にぱっと顔を上げると、傑は切れ長の目をぱちりと開いて心底驚いたような顔でこちらを見ていた。

「いや、私が離れたから寂しくなっちゃったのかと」

だって、そう思わないと、また勘違いしそうになる。傑は人恋しいから一緒に寝てほしいだけ。そんなこと頼めるのは私くらいしかいないだけ。

「……名前はさ、頼まれたら誰とでもこうやって寝るの?」

私の質問には何も答えず、逆に傑のほうから尋ねてきた。今度は私が目を瞬かせる番だ。

「寝るわけないじゃん……傑がずっと辛そうで、それでこんなこと頼んでくるから……」

「可哀想だった?」

「可哀想っていうか……心配だから」

そう言うと傑は困ったように笑った。

「……私は、名前がいてくれるから眠れているのも事実だけど、名前がいるせいで眠れないこともあるんだ」

「えっ!?やっぱり邪魔だった!?」

早く言ってくれればいいのに!そりゃあ、シングルベッドにふたりじゃ安眠できないだろう。そうだ、傑が寝たら出ていこうか……あぁ、でもいつも私が先に寝ちゃうんだよな……。

「邪魔じゃないよ」

「じゃあなんで……」

「名前がすぐ隣で寝てるんだ、ドキドキして眠れない」

「……うん?」

今、なんて?そう思いながらも、またとくとくと鼓動が速くなる。本当はなんて言ったのかも、その言葉の意味も分かっているからだ。
……それにしたって、いま言わなくたっていいじゃないか。

「傑、あの、それって」

私が口を開くなり、傑の爪先がつうと私の脚を撫でたから思わず変な声が出そうになって、なんとか息を呑むに留める。いいかげん文句のひとつでも言ってやろうと睨みつけると、傑はふふ、と小さく笑った。

「こんな状況で言うことじゃなかったね」

「ほんとにね!ちょっともう離して」

「嫌だよ」

「なんで」

鏡を見ずとも顔が赤いのが分かる。顔どころじゃない。傑に触れられているところ全部が沸騰しそうなくらい熱かった。それなのに慈悲のかけらもない傑の返答に抗議の意を示して身を捩ると、余計に強く抱き締められる。

「ここまで言ったらもう我慢しなくてよくない?」

「よくない!」

すっかり調子に乗っているその腕をばしばしと叩いていると、ようやくわずかに拘束が緩んだので、硬い胸板を思いっきり押して距離を取った。少し不満げな傑と目が合う。そんな顔をしたいのはこちらのほうだと口を尖らせると、今度は困ったように笑って見つめてくるから調子が狂う。

「……添い寝は今日でおしまい?」

ぽつりと吐き出された言葉に、私はぱちぱちと目を瞬かせた。

「え……なんで?」

そう言うと、今度は傑のほうが細い目を見開く。

「なんでって……え、これだけ言ってまだ一緒に寝れるの?」

「だって傑、私がいないと眠れないって」

先程の会話を思い返しながら答えると、傑はハアァ……と大きな溜息を吐いた。

「……あのさ、さすがにもう何もしないとは言えないよ」

それは、初めて添い寝を頼まれたときに言われたことだった。そういう問題か、と思ったのを覚えている。

「というか今まさに言い逃れできない状況だし」

すり、と傑の指が私の背中を撫でるように動いた。慌てて私は「じゃ、じゃあダメ」と声を上げる。

「そういうこと、してもおかしくない関係になってからなら……いいよ」

顔を見られたくなくて、額をぎゅうと傑の胸元に押し付けた。せっかく距離を取ったのに。
傑は何も言わない。なんで?もしかしてやっぱり私の勘違いだった?

「名前、」

不安になって固まる私の名前を傑が呼ぶ。ビクッと肩を跳ねさせると、落ち着かせるようにぎゅうと抱き締められた。

「好きだよ」

傑の柔らかな声音が鼓膜を揺らす。初めてその言葉を掛けられるのが、布団の中で抱き合って――だなんて、どうかしている。けれど、そんなことはもうどうでもよかった。

「これからは毎晩そばにいてよ」

「……夜だけ?」

「名前が望むなら朝も昼も、ずっと」

実際そんなことになったら悟と硝子になんて言われるか分かったもんじゃないからやらないけど、そう望んでも許されるのだとはっきり示された以上、何の不安も不満もない。

「私もここじゃないと眠れない」

「この間、教室で爆睡して怒られてたのはどこの誰?」

傑みたいに恥ずかしげもなく愛の言葉を囁く勇気はまだなくて冗談混じりに言えば、傑の身体がくつくつと小さく震えた。

「どこでも眠れるのにわざわざ私のところに来てくれるんだね」

嬉しい、と言いながら、傑は大きな手のひらを私の後頭部に沿って数度往復させる。心地いい、けれどそれ以上に、私までドキドキして眠れなくなりそうだった。
ちら、と顔を上げれば傑と視線がぶつかる。

「……今日は眠れない日だ」

「だめ、寝て」

「ひどいな」

「……私だって心の準備したいもん」

「してくれるんだ」

……ああ言えばこう言う。私が何も返せずいると傑は小さく笑ったあと、優しい声で語りかけた。

「今はこれで十分だから、名前はそのままでいいよ」

「傑、」

「でも気が向いたらしてよ、心の準備」

その日は珍しく、私より先に傑が眠りに就いて、一方私はすっかり慣れたはずだったその体温のせいで、何時間も眠れない夜を過ごすはめになったのだった。

Fin.

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