スノーホワイト

名前が呪いにあてられて意識不明。硝子からそんな連絡を受けて、速攻で任務を終わらせて高専へ飛んで帰ると、医務室には既に同期たちが勢揃いしていた。

「硝子、悟……名前は……」

「命は無事だけど、ちょっと面倒くさいことになってる。五条」

硝子に呼ばれて、悟が顔を上げた。サングラスを外して名前を見下ろしていたのは、おそらく名前にかけられた呪いを確認するためだろう。

「別に面倒くさくねえだろ」

「悟、名前は」

「名前は今、名前の好きなやつにキスしてもらわないと目が覚めない呪いにかかってる」

「……はぁ?」

悪い夢なら覚めてくれと思ったが、現在進行系で痛い頭が、これは現実だと物語っていた。

* * *


「で、名前の好きな男って誰だよ」

名前がすやすやと寝息を立てるベッドのすぐそばで私たちは立ったままコーヒーを啜っていた。こんなことをしている場合か、という気持ちはあるが、焦ったって仕方がない。
悟に問いかけられた硝子がゆっくりと顔を上げる。

「知らない。そんな話しないし」

「ま、俺だろ」

「……どうしてそう思うんだ?」

硝子が恋バナに縁がないというのは、正直なんとなく分かる。問題はそのあとの、無駄に自信満々な様子の悟だ。

「どうしても何も、これだけ顔が良くて強い男が近くにいたら惚れるだろ」

「……その理屈で言うなら、更に優しさも兼ね備えてる私のほうが適任だと思うけど」

「自分で言うなよ」

「どっちでもいいけど、それだけで惚れるわけなくない?だって私はおまえらのこと何とも思ってない」

「硝子にそういう感情あんの?」

余計なことを言った悟は硝子の本気の肘鉄を喰らって呻き声を上げていた。
しかし、そういう感情があるのか分からないのは名前も同じだ。硝子とは違うベクトルで、色恋沙汰には興味がなさそうな気がする。

「正直、名前に好きな人がいたら普通に分かると思うんだよね。全部顔に出るし」

「それはそう。高専にいなかったら分かんないけど」

「じゃあ俺でも傑でもないってこと?」

「悟ははなからありえないだろ」

「あ?」

私たちがこれだけ普通に会話をしていても、名前はぴくりともしない。微かに聞こえる穏やかな寝息と、一定のリズムで上下する掛け布団に少しだけほっとする。

「……その呪いって、失敗したら……名前の好きな人以外がキスしたらどうなるかって分かる?」

「たぶん何もねえと思うけど」

「……まさかとりあえずでキスする気?」

私の問いにさらりと答えた悟は、恐らく私の考えには気付いていないのだろう。硝子は思いっきり顔を顰めて私を睨みつけていたが。

「やめろ。おまえらの汚い口で名前に触るな」

「おまえらって何だよ!俺は何も言ってねえだろ!」

「汚くないよ、まだお昼食べてないし」

「そういう意味じゃない。分かってるだろ」

まさか倫理観の欠片もなさそうな硝子がここまで本気で止めにくるとは思わなかったな。ま、名前のこととなれば話は別ということか。

「そういう意味なら本当に潔白だよ。私、名前のこと好きだし」

「は、」

「えっ」

笑みを崩さず言うと、悟と硝子はぴしりと効果音が付きそうなくらい分かりやすく固まった。結構前から思っていたことだったけれど、全く気付かれていなかったみたいだ。

「……でもそれでキスしてみて名前が起きなかったらどうするんだよ」

「別に、これから頑張るだけさ」

起きないかな。少なからずショックではあるけれど、名前に彼氏がいない限りは特に問題ない。いたとしても奪ってみせる自信もある。

「……五条、この呪いって恋愛の『好き』じゃなくてもいいわけ?」

「え?あー……そこまでは分かんねえけど、恋愛以外の好きって、」

悟の答えを訊くや否や、硝子が動いた。名前の眠るベッドへ早足で近付き、名前の両肩に手をかけ身を屈める。しまった、と思ったときには既に遅く、硝子の薄い唇が名前のそれに、ちゅ、と軽く触れた。

「え、えっ!?硝子!?」

悟が慌てふためく隣で私は小さく溜息を吐いた。絶好のチャンスだったのに、なんて言ったら不謹慎だろうけれど、正直悟に呪いの詳細を聞いたときからずっとそう思っていた。
もちろん、まだ名前が目を覚まさない可能性はゼロではないけれど……名前が硝子のことを好きかどうかなんて、考えるまでもない。

「……、ん……」

名前の声が聞こえた。先程まで寝息とともに上下するくらいだった布団ががさりと音を立てる。名前は掠れた声で一番に目に入ったのであろう硝子の名前を呼んだ。

「……あ、れ……私、怪我した?」

「怪我はしてない。でも呪いで眠ってた」

「えっ、呪い?」

硝子に背中を支えられて名前はゆっくりと起き上がる。ようやく私たちの姿が目に入ったのか、未だぼーっとした様子で「みんないる……」と呟いた。

「私、三日くらい寝てたの?」

「いや、数時間だけど」

「それでみんな集合してるの?」

硝子が小さく頷く。悟は少し照れくさそうに顔を背けた。私はカツカツと足音を立てて名前に近付き、硝子とは反対側から真っ白いベッドのフレームに手を掛けた。

「みんな名前が心配だったんだよ」

「そ、そうだよね……ごめん……」

「名前が無事でよかった」

乱れた髪を梳かすようにそっと丸い頭を撫でると、名前の後ろですごい顔をして硝子が私を睨みつける。名前は犬猫のように気持ちよさそうに目を瞑って、やっぱり今からでもキスしちゃだめかな、なんて思った。

「ところで、名前を呪った呪霊はちゃんと祓えたのかな」

「祓った……気がする、たぶん」

「そう、それは残念」

「え?」

「狙ってんじゃねーよ、変態」

いつのまに近付いていたのやら、悟がスパンっと小気味いい音を立てて私の後頭部を叩いた。名前が「こらっ、悟!」と声を上げるけれど、正直今回は悟が正しい。

「私が祓ったの、傑が欲しがるほど強い呪霊だったってこと?」

「そういうことじゃないよ」

名前のそばをさまよっていた私の手を鬱陶しそうに払い除けて、硝子が名前の頭をぎゅっと抱き締めて言った。男なら羨むべきは側頭部に柔らかな双丘を押し付けられている名前のほうなんだろうけれど、私はただただ硝子が羨ましかった。

「ねえ、名前、私のこと好き?」

「えー、なあに、急に?大好き!」

名前が腰に抱き着くと、硝子はそれはもう悪い顔でこちらを見た。マウントを取るなんて可愛いもんじゃあない。しかしここで動じては負けだと、私は努めて笑顔を保った。

「名前にかかってた呪いだけどね」

「えっ、なに傑、急に言う」

「名前の好きな人にキスしてもらわないと目が覚めない、っていう呪いだったんだよ」

「……へっ」

硝子に頭を撫でられて気持ちよさそうにしていた名前の表情が強張る。錆びたゼンマイみたいに、ギギギ、と固い動きで硝子を見上げ、それから私と悟を順番に見て、もう一度硝子のところに帰っていった。

「わ、私、誰と」

名前の揺れる瞳が、ちらりとでも私のほうを向かないかと、そんなことを願った。けれど名前はすぐにハッとして「硝子ちゃん!?だから起きたとき目の前にいたの!?」と呆気なく真実にたどり着いてしまう。

「うん、そう、よかった。名前が私のこと好きで」

「好きに決まってる!というか、私、たぶん」

今になって名前の瞳が私を捉えた。それから、私としては不本意ながら悟も。名前は少し照れくさそうに眉を下げて、頬を染める。

「ここにいる誰にちゅーされても、起きてたと思う……」

真っ赤になった頬を両手で覆って、自分で言い出したくせになんだか泣きそうな顔でちらちらと視線を寄越してくる名前の姿はもはや誘っているとしか思えなかった。これで手を出したら私のほうがふたりにたこ殴りにされるなんてどうかしている。

「ほら、やっぱ名前俺のこと好きだって」

「言ってないよ。いや、言ったかもしれないけどそういう意味じゃない」

「そうだよ!同級生としてって意味だからね!?」

「名前、もう喋るな。クズどもが調子に乗るから」

改めて名前見るから出てけ、と硝子に医務室を追い出される。閉まる寸前の扉の隙間からは、顔を合わせて何か言葉を交わし微笑むふたりの姿が見えた。
バタン、と音を立てて閉じた扉の前で、男ふたり立ち尽くす。

「残念だったな」

「そう?」

「せっかく合法的に名前とキスできるチャンスだったろ」

「それはそうだけど……やっぱりどうせならちゃんと意識があるときがいいなって思ったよ」

恥じらう名前の濡れた瞳を思い出して言うと、悟は本気の呆れ顔でこちらを見ていた。

Fin.

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