文化祭、体育祭、定期試験と怒涛の行事ラッシュもようやく落ち着いて、久しぶりのデートの約束をした日曜日。いつもより丁寧に化粧をして、昨晩しっかり試着しておいたワンピースとパンプスを身に着けて、そろそろ家を出ようかとドアノブに手を掛けた、まさにそのときだった。めんどくさがりの私が唯一着信音を変えている相手、もちろん盧笙からの電話。嫌な予感がする。
「……もしもし」
『名前?もう家出たか?』
「まだやけど」
あんなにわくわくしていたのに、すん、と体温が下がる感じがした。
『あー……今、俺のクラスの生徒が補導されたって連絡来ててな、ちょっと話しに行きたいんやけど』
――ほら。ショックなのが半分、予感が的中して安心したのが半分。
「そうなん?そら
早よ行ったらな」
『あっ、午後からは行けるかもしらんから、待っててくれるか?』
「ん、分かった、じゃあ家におる」
ごめんな、と盧笙が繰り返すのに、なんと返事をしたのかは覚えていない。通話の切れたスマホをポケットにしまって、家の鍵を締め、パンプスを脱いだ。
* * *
午後からは行けるかも、ってホンマかいな、なんて思っているうちに、机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。せっかく整えた髪にだらしなく癖がついてしまっていた。スマホを見ると、一時間ほど前に盧笙から着信があった。全く気が付いていなかった。慌てて折り返そうとすると、ちょうどその瞬間、家のインターホンが鳴る。まさかと思いながらモニターを覗くと、ぜえぜえと肩を上下させる盧笙が映っていた。
先にスピーカーから何か声を掛けるのも忘れて、玄関へ走る。出しっぱなしだったパンプスを引っ掛けてドアを開けると、少し驚いた様子の盧笙がいた。
「ごっ、ごめん、電話気付かんくて」
「……や、こっちこそ急に悪かった」
せっかくそんな可愛いカッコしてくれてたのに、なんて恥ずかしげもなく言ってくる盧笙に、思わず顔が熱くなる。
「と……とりあえず上がる?」
「ん」
その小綺麗なジャケットは、私とデートだから着ていたのか、先生として然るべき格好をして行った名残なのか、どっちなんだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら盧笙の前を歩いた。
「ホンマにすまん、前から約束しとったのに」
うちに遊びに来たときの定位置に腰を下ろすなり、盧笙はそう言って頭を下げる。
「ちょっと、ホンマに大丈夫やって!まだ昼過ぎやし今からでも十分やん!それより生徒さん大丈夫やった?」
笑顔でそう言っても、盧笙はじいとこちらを見たまま生返事で。疲れているのだろうか。電話に出られていたら、今日はもうゆっくりしたらって言えたかもしれないのに。
「……盧笙?」
「なんで怒らへんのや」
「ええ……」
いや、逆になんで私がちょっと怒られてるみたいになってるんだ。お茶を出すのはいったん諦めた。
「ふたりで会えるのめちゃくちゃ久しぶりやったのにこんなんなって、なんで怒らへんねん」
「お、怒ってほしいん……?」
「……そういうことやなくて」
険しい顔をしていたかと思ったら、私と目が合うなり、わずかに眉尻を下げる。
「そんなしんどそうな顔で大丈夫、大丈夫って言うな」
そう言われて、目が点になった。そんな酷い顔をしていたのだろうか。上手く笑っているつもりだったのに。だけど、普段は心配なほどぼんやりしているくせに、こういうことにだけは目敏いところは盧笙らしいなと思った。しかも、そう言う盧笙のほうがよっぽどしんどそうな顔をしているし。
「しんどないよ、全然」
「嘘つけ」
「私、盧笙の生徒思いなとこと、そうやってちょっとしたことにもすぐ気付いてくれるとこが好きやから、全然しんどくない」
今度こそ心からの笑顔でそう伝えれば盧笙はじわじわと頬を朱に染め、気まずそうに下を向いた。
「それよりな、盧笙から電話貰ったときに、私より生徒のほうが大事なんかーって……一瞬でも思ってしまった自分が嫌やねん」
これは、できれば盧笙には言いたくなかったけれど。言わないと盧笙は納得してくれなさそうだったし、あんまり責任を感じられるのも嫌だし。私は、今朝みたいなことがあったとき、盧笙に生徒より私を優先してほしいわけじゃない。
「そんなん、名前は悪くないやろ」
「ふふ、言うと思った」
軽率に「名前のほうが大事や」なんて言わない盧笙が好き。ベクトルは違えど、どっちも同じぐらい大事であってほしい、なんて勝手に思っている。
「盧笙はそのままでいてくれたらええから」
「……そんなこと言われてもやな」
照れくさそうに頬を掻きながら盧笙は俯いて視線を彷徨わせた。たぶん、理解はしたけど納得はしてない、という顔。
「んー……じゃあ、今日はもう私が盧笙のこと独り占めしよかな」
そう言うと盧笙は「独り占め?」と不思議そうな表情でこちらを見る。
「今日はもうどこも行かんと、ずっとここにおって」
「そんなんでええんか……?」
せっかくそんな可愛いカッコ、とまた恥ずかしいことを平気で言おうとするので、それはもういいから……と遮った。
「だって盧笙、外で生徒さんに
会うたら先生になってまうもん」
盧笙は未だぴんと来ていない様子ではあったが、私が拗ねたような声音だったからか、一応「分かった」と了承した。
「……でもなあ、これじゃ俺も嬉しいから、なんかな……」
「そうなん?」
「俺も名前のこと独り占めできるってことやろ」
言いながら私を見た盧笙の目が、いつもより熱っぽかったのは気のせいだと思いたい。
Fin.