ふとカレンダーが目に止まった。そういえば今日だ、簓が海外ロケから帰ってくるの。
私は飛行機の時間すら分からない。言ったら迎えに来ると思われているから教えてもらえないのだ。それは間違っていないので文句は言えない。日付の変わらんうちには、とか、ぼんやりとは教えてくれたけど。
『別に迎えに行くくらいえぇやんか』
『アカンアカン!どんだけ待たすか分からんし、あんな遠くまでひとりで行くなんて危ないわ!』
『今から海外行く人間がそれ言う?』
しばらく会えないのだから、少しは甘い言葉のひとつやふたつでも置いていってくれればいいのに、簓はまるで父親か何かのような心配をしながら旅立ってしまった。
「私は一秒でも早よ会いたいのになぁ」
カレンダーの今日の日付を見ながら呟くと、誰もいないはずの部屋で「そんなん俺もに決まっとるやん」と、待ち焦がれていた声が返ってくる。驚いて振り返ると、廊下とリビングを繋ぐ扉の前に、両手に荷物を抱えた簓が立っていた。
「さ、簓!?まだ夕方やで!?」
「日付が変わらんうちにーって言うたやん」
「いや、範囲広ない!?」
驚きで固まる私を前に、簓はさっさと荷物を下ろすと、凄まじい勢いでこちらに歩み寄ってくる。早足とかじゃなくて、ただ気迫がすごい。
「そんなんどうでもえぇやん!おかえりは!?」
ピタッと私の目の前で立ち止まると、簓は眉を吊り上げて言う。
「え、あっ、おかえり」
「ただいまぁ!」
強請られるままに言うと、簓は嬉しそうに応え、ガバッと効果音が付きそうな勢いで私を抱き締める。見慣れた上着からは、なんとなく知らない匂いがして、本当に遠くへ行っていたんだなぁと思った。
「あー、久しぶりの名前の匂い……」
「気持ちわる」
「ひどっ!」
「簓は、なんか知らん匂いする」
「あー、最後のほうに市場とか行っとったからなぁ、って名前も嗅いどるんかい」
「私かて久しぶりやもん」
「せやなぁ」
言いながら、回された腕の力がぎゅっと強くなるのを感じる。こちらからもその背中に腕を回すと、へへ、と嬉しそうな声が耳元で漏れた。
「なー、名前」
「ん?」
しばらくすると簓は身体を離し、私の顔をじぃと見つめて口を開く。
「好きやで」
突然飛び出してきた言葉に目の前がちかちかする。一拍遅れてなんとか「……えぇ?」と声が出た。
「どないしたん急に、向こうで何か変なもん食べたん?」
私が訊くと、簓は苦笑して「それどういう意味やねん」と言う。
「時差あるから、一週間以上ろくに電話もできひんかったやん」
言いながら、簓は再び私を抱き締めて、その細長い指を私の髪に絡ませる。
「早よこうやって触りたいって気持ちももちろんあったけど、なんかな、それより、好きやでーって言いたくてしゃーなかってん」
「何やそれ、いつも言うてくれへんくせに」
「言われへんようなったら言いたなんねんなぁ」
「……私も好きやで」
貰った言葉をそのまま返してやると、簓はピタッと動きを止めてしばらく固まったあと、また私を抱き締める腕にギュッと力を込める。しばらくできなかった分と言わんばかりに、そのまま動く気配すらない。
「……簓、そろそろ晩ご飯の用意せな」
「えぇやん、外行こ、せやからもうちょっとだけ」
「しゃーないなぁ」
「ん……」
簓がこう静かだと、本当に疲れていたんだろうなと思う。早くご飯を食べてお風呂に入って眠ってほしいものだが、今日はそうもいかないのだろう。
「簓」
「ん?」
「今度はこんなんならんように、ちゃんといっぱい好きって言うてから行ってな」
「何やそれ」
クックッと肩を震わせたあと、簓は顔を埋めていた私の首筋にちゅ、と唇を落とすと、身体を離して私の顔を覗き込んで、
「おんなじだけ名前も好きって言うてくれな嫌や」
「ふふ、分かった、好き」
私まで笑いそうになるのを堪えて言うと、簓は心底嬉しそうに微笑んで、また好きと言ってくるのかと思ったら、そのまま唇を重ねてきた。
「俺は愛してるで」
「……もう」
この人の、こんなに大きくて、深くて、重い愛を、私は同じだけ返してやることができるのだろうか。一生かけて、ゆっくり返していくしかないかなぁ、なんて考えて笑みが溢れる。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、簓はもう一度、触れるだけのキスをした。
Fin.