イケブクロランナウェイ

仕事で東京に行くことになって、それがちょうど金曜日だったから、ついでに週末に観光でもしようかな、と思っただけなのだ。上司もええんちゃうって言ってくれたし。それを報告したら、この男は何と言ったか。

「俺も行く!」

「……は?」

夕食を終え、ソファーに寝そべってバラエティ番組のチェックに勤しむ後ろ姿に顛末を説明すれば、ガバッと起き上がってそう言った。

「いや、仕事や言うてるやろ」

「ちゃうやん、金曜は俺も仕事やけど土曜は休みやから、合流して案内したるわ」

そういえば、一時期イケブクロにいたとか、ちらっと聞いた気がする。

「東京くらい案内なくても行けるけど」

「もー、デートしよーいう話やんか」

「わざわざ東京で?それやったら直帰しよか?」

「たまには遠出もええやん、旅行みたいで」

お仕事で行き慣れているあなたと違って、私は元々完全に旅行の気分だったんですが。なんて、嫌味は飲み込んで、なんとなしにカレンダーを見たりしながら続ける。

「簓が行きたいんやったらええけど……どっか行きたいとこでもあるん?」

そう訊ねると、簓は「イケブクロ」と即答した。

「住んでたんちゃうん?今更行って楽しい?」

「住んでたからやん!カノジョがおったら楽しいんやろなーって思ってたとこ行きたいねん」

――それは、当時はそういう相手がいなかったということで。そして今になって自分がその相手に選ばれたということに少なからず喜びを覚えてしまった。

「それに知ってるとこのほうがカッコようエスコートできるしな!」

「それは、思ってても口には出さんほうがカッコええんとちゃうかな……」

* * *


件の出張の日がやってきた。金曜日は普通に仕事に励んで、イケブクロのビジネスホテルに一泊。簓は明朝、オオサカから新幹線で来ると言っていたから、少しのんびりできるだろうか。そんなことを考えていたら「十時過ぎには着くから、明日は朝飯済ませて待っとってな」という連絡が来た。十時って、何時に家を出る気だ。

翌朝、言われた通り朝食を済ませて、指定された改札口で待っていると、深く帽子を被った簓が現れた。私を見つけるなりパァと顔を輝かせて早歩きになる。

「おはよーさん」

「おはよ、ホンマに早いな」

「行きたいとこぎょーさんあるからな!」

ホンマは始発で来たかってんけど、さすがにキツいわぁ、と苦笑するこの男は、一体何時に寝て何時に起きたんだろう。訊いたところで教えてはくれないだろうし、新幹線で寝たから大丈夫やで、なんて言うに決まっているのだ。
それに、楽しそうなことに違いはないので、だったら私もとことん付き合うまでだ。

「で、まずはどこ連れて行ってくれるん?」

「どっから行こかな……とりあえずサンシャインのほう歩こか」

するりと当然のように手を繋ぎ、簓は歩き出す。まぁ、人も多いし、私は道もうろ覚えだし、今日ばかりは素直に受け入れよう。

「水族館とプラネタリウムは行きたいねんなぁ」

「どっちも大阪にあるやん」

「そんなん言うたら何もやることないわ」

手を引かれるがまま歩いていると、地下通路を抜けて地上に出てきた。この景色、昔遊びに来たときに見たなぁ、なんて思いながらキョロキョロしていると、簓はじっと私のほうを見ていて、

「お上りさんの反応」

「まぁ、普通に久しぶりやし」

「あ、どっか寄りたなったら言うてや」

「うん」

簓だって、懐かしさからか結構キョロキョロしているくせによく言う。
そんな簓の身体越しに、ふと目に入った脇道にいた数人の男と一瞬視線が交わる。簓は有名人なので、こうして見られていることは時々あるのだが、その男たちはどう見てもファンなどではなかった。というか、カタギっぽくない。そのうえ、こちらを見ながら何やらヒソヒソと会話をしていて気味が悪い。
私がわずかに身体を強張らせたのを見逃さず、簓は「どないしたん?」と言って、身を屈めて私の視線の先を追う。

「なんかガラ悪い人らに見られてるなぁって、ファンかな?」

冗談混じりに言うも、簓はノーリアクションで、怖い顔をして視線を正面に戻した。

「名前、走れるか?」

「え、うん」

突然の問い掛けを不思議に思いながらも答えると、それを聞くや否や簓は繋いだ手にぎゅっと力を込めて、イケブクロの人混みの中を駆け出す。私はほとんど引きずられるようにして走った。今思えばどこにそんな余裕があったのか、しかしそのとき振り返ると、先程の男たちが追ってきているのが見えた。なんで?
男たちを撒くためだろう、簓は何度か道を曲がったあと、路地裏へと身を隠し、ようやく足を止めた。ゼェゼェ、ハァハァとふたり分の呼吸音が響く。

「……はぁっ、何、あの人ら」

「あー……昔揉めたチームの奴な気がするなぁ」

「チーム?」

「ま、ちょっとヤンチャしてたってことで」

簓はビルの壁からわずかに顔を覗かせ、通りを確認しながら答えた。私がいなければ逃げ回ったりせずにその場で相手してたのかなぁ、なんて考えていると簓は「ヤバッ」と声を上げる。

「こっち来とる」

そう言われても、奥は行き止まりで、これ以上は動けない。もしかして絶体絶命というやつなのでは。

「……今めっちゃヤバい?」

「おー、ヤバいヤバい。俺、昔あいつらのチーム潰してしもたからなぁ、何されるか分からんで」

「何やってるん……穏やかやないなぁ……」

昔の簓の話、気になるけど、今ばかりはそれどころじゃない。
簓はというと、くるりとこちらを向き直ったかと思うと、狭い路地でモゾモゾと私を抱き締めるようにして立ち位置を入れ替える。私が通りのほうで、簓が奥。まさか彼らに認知されている可能性が低い私で身を隠す気か。さすがに成人男性を隠し切る自信はないのだが。

「何して」

「あー、文句はあとで聞いたるから、ちょっとだけ協力してぇな」

「それはええけど、ひゃっ」

どないするん、と言おうとしたところで唐突に抱きかかえられて変な声が出る。すとんと降ろされたのはビルのテナントで使われたのであろうビールケースの上で、私が簓を見下ろすかたちになった。これならまだ隠れられるか、でも今の私すごい不自然じゃないか、なんて不安になっていると、簓は両手を上げて、私の頬に触れた。いつもとは立場が逆で、変な感じがする。

「大人しくしててな?」

「え?」

す、と頬に触れていた手の片方が後頭部に移動したかと思うと、そのまま思い切り引かれ、いつもより乱暴に唇が重ねられた。もう片方の手はいつの間にか腰に回されて、するすると輪郭をなぞっている。こんな状況で何を、と抵抗しそうになるが、先程の簓の言葉を思い出して踏みとどまった。されるがままになっていると、熱い舌が唇を割って口内へ侵入してくる。調子乗んな、と思うのだが、まさか簓も何の考えもなしにこんなことをしているわけじゃないだろうから、素直に受け入れるしかない。

「……っ、あ」

脇腹を撫ぜられた拍子に思わず声を漏らすと、簓はどこか嬉しそうに舌の動きを激しくする。思わず腰が引けそうになるも、回された手に力が込められて、逃げることは叶わない。

「もうちょっとやから」

唇が一瞬離れて、簓が掠れた声で言う。私はその隙に酸素を取り込むので精一杯で、頷くことさえできやしない。再び唇が重なる。
後ろで、激しい足音と、荒い息遣いが聞こえる。先程の男たちだろうか。私がわずかに身を固くすると、大丈夫だと言うように簓の手が頭を撫でた。
足音がどんどん近付いてくる。一番近くまで来ると、一瞬止まって、それからまたバタバタと遠ざかった。
……行ってしまったのだろうか。いつの間にか閉じてしまっていた目を開けるも、簓はなかなか行為を止めない。腰に回されていた手をぺちぺちと叩くと、ようやく唇が離れた。

「ぷは、」

「……行ったな?お疲れさん」

よしよし、なんて言いながら頭を撫でてくる手を払い落とす。

「何しとんねん」

「いや、こんな思いっきりお取り込み中の男女に声掛けられへんやろ」

「はぁ!?」

何だそれ。そんな博打に付き合わされたのか。しかし、彼らが簓に気付かずに行ってしまったことには間違いなくて、簓はどこか得意げな顔をするのだ。

「いや、俺もまさか成功するとは思わんかったわ」

「失敗してたらとんだ恥晒しやで」

「ホンマにな?でももうこれくらいしか思い付かんかってん」

逆になんでこれは思い付くんだ。言い返す気力もなくハァと溜め息を吐くと、簓はケラケラと笑っていた。

「あー、でも、さすがにこのままイケブクロにおるわけにはいかんよなぁ」

至極残念そうに簓は言った。どないしよ、と言ってこちらを見る。

「私に訊かれても」

「えー、どっか行きたいとこない?どこでもええで?」

「……じゃあ夢の国」

「えっ」

なんとなしに思い付いた答えを返すと、簓は顔を引きつらせた。

「いきなりやなぁ……ま、名前が行きたいんやったら連れてったるけど」

「ヨコハマの中華街でもええよ」

「それはアカンわ、分かってるくせに」

言いながら、簓は私を抱き上げてビールケースから降ろした。それくらい自分でできるのに。
再び私の手を取ると、キョロキョロと通りを確認してから路地裏から出ていく。
逃げながら何度も曲がったせいで私はここがどこだか分からないのに、簓はすいすいと歩いていって、いつの間にか地下街への入り口が見えてくる。ふと振り返って、あっという間に退散することになってしまったイケブクロの街を見ながら、隣を歩く簓に声を掛ける。

「プラネタリウムと水族館、また連れてきてな?」

「大阪にもあるんやなかったん?」

「で、簓がヤンチャしてたころの話聞きながらイケブクロ歩きたいなぁ」

「勘弁してぇな……」

Fin.

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