この物語はフィクションです

「簓!これ何!」

せっかくのオフだと言うのに、朝っぱらから名前に文字通り叩き起こされる。昨日帰ってきたん遅いん知ってるはずやのに、ひっどいわぁ……。

「早よ起きんかい!」

「むちゃくちゃ言うなぁ……どないしたん……」

カーテンを開けた窓から差し込む光が寝起きの瞳には眩しすぎて、なかなか目が開かない。その間にも名前は今にものしかからん勢いで俺の襟首を掴んで揺さぶってくる。いや、死んでまうわ。
なんとか瞼を持ち上げると、名前は持っていたスマホをずいと俺の目の前に差し出してきた。反射的に受け取り、その画面に目を通す。
ネットニュースの記事だ。未だ寝ぼけた頭で、目に入った文字を読み上げる。

「んーと……白膠木簓、路上で熱烈ハグ……」

……白膠木簓て誰や。俺や。

「え?ちょ、ちょっと待って、何やこれ」

「何やこれはこっちの台詞や」

予想外の文言に一瞬で脳が覚醒した。
しかし、名前が俺を叩き起こした理由は分かったが、その見出しにはまるで心当たりがない。慌てて本文に目を通そうとするが、それを待たず名前にスマホを取り上げられてしまう。

「簓、東京でも仕事頑張ってるから、ずっとここで待ってたのに、アホみたい」

「名前、ちょお待って!でっち上げやって!」

「こんだけハッキリ写真撮られといてよう言うわ!私出ていくから、東京の彼女さん呼んだらえぇやろ!」

「いや、誰やねん東京の彼女さん!」

一刻も早くベッドを降りたいのに、こういうときに限って毛布が足に絡まって出遅れる。そうこうしているうちに名前は俺の部屋を飛び出して、玄関の扉の向こうへ消えていった。俺に突撃する前に荷物をまとめていたらしく、名前のものはほとんど残されていない。ダイニングテーブルに置いていかれた合鍵のストラップだけが、今目に入る名前の私物だった。

「いや、ちょっと、ほんまに何……?」

名前を追いかけたいが、追いかけて何を言うべきか、まずは状況を把握するのが先か。ベットサイドに置いてあったスマホを取りに行き、先程の記事を探す。
当たり前だが、浮気なんて絶対にしていない。名前以外の女に興味はないし、熱烈ハグ!なんてまずありえない。それっぽい角度で撮っただけのガセネタだろうと思っていたが、それならば名前があんなに頑なに信じ込むのはおかしい。
めったにやらないエゴサーチというやつにムズムズしつつ、最新の記事だからか一番上に出てきたそれをタップする。

「何回見ても、自分のこととは思われへん見出しやな……」

起きて早々、目眩がする。こんなん、芸人なんかよりモデルとか俳優とかを追っかけるもんちゃうんかい。
先程読み損ねた本文に目を通すと、時期はおよそ二週間前、場所はシブヤ。二週間前のシブヤ……と記憶を呼び起こすと、いくらか思い出してきた。

「せや、確か帰り道に……あー!そういうことか!?」

記事をスクロールすると名前が言っていた写真が表示された。これは確かに、ガセネタでもコラージュでもない紛れもない事実だ。しかし、記者も名前も大きな誤解をしている。

「俺の記憶が正しければ……あったー!良かったー!」

ブラウザを閉じてアルバムを開けば、無事、俺の無実の証拠が表示された。
あとは名前の居場所さえ分かれば、万事解決だ。

「しっかし、どこ行ってしもたんやろ……さすがに実家とかやったらキッツいなぁ……」

* * *


あれだけ盛大に怒鳴っておいて、結局簓との思い出のあるこの場所に来てしまっている自分の未練がましさに正直驚いている。
なんばの、なんてことはないチェーンのファミレス。簓が初めてピン芸人として賞を取ったあと、一番最初に会った場所。小さな大会ながらもテレビカメラが入っていたおかげでなかなか出てこられなくて、ここでしばらく待っていたのだ。会場でその結果を見届けた直後は、一刻も早く抱き締めておめでとうと言ってあげたくてテレビクルーが憎かったものだが、このあと簓を独り占めできるのは自分だけの特権なんだと思うと、現金なものですぐ口元が緩んだ。

(それで、やっと「付き合おう」って言ってもらって……)

もう何杯目か分からないドリンクバーのジュースを啜って、ハァァと盛大に溜息を吐いた。
なんでこんな場所に来てしまったんだ。ファミレスなら気を遣わずに長居できるし、ちょっと落ち着こうと思っただけなのに、なんでよりによってこの店舗に。
あのとき簓を待っていた席には、大学生くらいの若いカップルが座っていて、それが余計に気分を落ち込ませる。

(これからどないしよ……実家か友達のとこか……)

とりあえず何人かに連絡してみるか、とスマホに目を落とすと、誰かが向かいのソファーにどっと腰を下ろした。顔を上げるまでもない。今、声も掛けずにこんなことをしてくる人間はひとりしかいない。

「やっぱりここにおったなぁ、なんてかっこえぇこと言えたら良かったんやけど、めっちゃ探したわ。もうちょっとで梅田のほう行くとこやった」

スマホの画面を見つめたまま動けない私に、簓は普通に話しかけてきた。
相当走り回ったのか、もう秋も終わろうというのに汗を浮かべて肩で息をして、店員さんがお冷を持ってくると一気に飲み干した。

「……何しに来たん」

「何しに、ってなぁ……あんなんでハイ、サヨナラってなるわけないやろ」

私はなったからここにいるんだけど、と思ったが、そんなことは簓だって百も承知だろう。
渋々顔を上げると、簓はいつものようにヘラヘラしているはずなのに、何故か今にも泣きそうな気がした。きっと、私のただの願望だろう。

「なぁ、ちょっとだけ(はなし)させてくれへん?」

話すことなんてない、と言おうとしたのに、そんな隙は与えず簓は「嫌や言われても話すけど」と続けた。ぶん殴ろうかと思った。
すると簓がスマホの画面をこちらへ見せてくる。今朝の記事の写真だった。本気で最後の最後に喧嘩でも売りに来たのかと思って睨みつけると、簓はぎょっとして「ちゃうねんちゃうねん!」と言ってスマホを持った手を大きく振った。

「この服と髪型、よう見てな、それで……これ」

記事の写真はちょうど簓の正面から撮られたもので、女性のほうは後ろ姿しか写っていない。言われた通り服装と髪型を確認すると、簓は再びスマホを操作して、別の写真を見せてきた。インカメラで撮ったらしいツーショットで、今度はふたりとも正面を向いている。記事の写真と同じ服装をしているということは、同じ日に撮った写真のようだ。

「何?こんなべっぴんさん捕まえたでって自慢?」

「んなサイコなことするかい!ちゃんと見い!」

件の女性はとても整った顔をしていて、そのうえメイクも上手で……あれ、でも、なんか……?
ふと抱いた違和感に、慌てて自分のスマホを取り出し、記事を開く。すごくスタイルがよくて、腰の位置だって簓とほぼ同じで……ヒールそんなに高くないのに、背、高すぎない……?
違和感が確信に変わりつつあるが、それを口に出す勇気がない。これまでの威勢はどこへやらで冷や汗をダラダラと流す私に、逆に簓のほうが焦りだした。

「あ、あんな、これはほんまにしゃーないと思うで、実際記者だって騙されてるしな、だから」

「消えたい……」

「言うと思った!!」

男だった。簓曰く、ハロウィン間近のシブヤで、これから仮装をするという友人にばったり会って、久しぶりだったからお互いテンションが上がってハグまでしたのを撮られたらしい。それがよりによって女装で、これからゾンビにでもなるはずがまだ普通の女装しかしてなくて、あまりにクオリティが高かったばかりに……という嘘みたいな話だ。

「ご、ごめん……私、めっちゃ酷いこと……」

「いや、こんなん事故やん、な?」

「簓、」

今度は私が泣きそうになる番だった。簓は俯く私の頭を撫でて、いつもの笑顔で笑いかける。

「まぁ、朝は何事かと思ったし、ほんまに終わったかと思ったけど、今となってはちょっと嬉しいわ」

「……嬉しい?」

「名前、ほんまに俺のこと好きやなぁって思って」

今日の大失態に簓のその台詞も相まって、かぁっと顔に熱が集まる。それを見て簓はまた嬉しそうに口角を上げて、続けた。

「休みやのに朝っぱらから俺のことチェックしてくれてたんやろ?それに最近おかげさまで忙しゅうて、東京と行ったり来たりで何もしてやれてへんのに、文句ひとつ言わず待っててくれて」

簓はそこまで言うと、今度は少し悲しそうな顔をする。

「今まで気ぃ付かんくて悪かったなぁ、不安にさせてしもたから、あの記事にあんな反応したんやろ」

そう言われてしまうと、否定できない。簓のかっこよさを知っているからこそ、自分の知らないところに頻繁に行っているというのは、そんなことあるはずがないと分かっていても、不安で。

「俺、たぶん名前が思ってる十倍くらい名前のこと好きやから何も心配せんでえぇよ」

「……かっこえぇわ」

「知ってる〜」

ドヤ顔で言って笑ったあと、簓は「あっ」と声を上げると上着のポケットから何かを取り出して私に握らせた。開いた掌に転がったのは、今朝置いてきたはずの、簓の部屋の合鍵だった。

「簓、これ」

「帰ろか、って言いたかったんやけど……朝から何も食うてへんから腹減ったわ、やっぱ何か食うてからでもえぇ?」

「帰ってえぇの……?」

「当たり前やろ?逆に帰らんいう選択肢がないわ」

「簓ぁ……」

いよいよ泣き出しそうになる私に、簓は「今度は女を泣かせたって書かれてまうからやめたって〜」という冗談で返してきたので「それは今は笑われへんやろ」と答えた。

Fin.

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