シークレット

なんばの劇場の近くの喫茶店。待ち合わせ場所に現れた簓は、大きなフレームの丸眼鏡にキャスケット、更に首元にはやけにもこもことした厚手のマフラーを巻いて、もはやよく見なければ誰だか分からない状態だった。

「なに芸能人ぶってん」

それならマスクでもすればいいものを。
しかし、まぁ、そこまですると却って「芸能人です!」と言っているようなもので、つまり今の簓の格好は、本気と書いてガチの変装だといえる。何を目指しているのかはよく分からないが、私には寒がりのサブカル男に見えた。

「こんな売れっ子捕まえといてよう言うわ」

向かいの席に腰を下ろす直前の簓に言うと、ツッコミ代わりのチョップをお見舞いされた。それから近くを通りかかったウェイターを呼び止め、当然のようにクリームソーダを注文する。私のカップも簓を待っている間に空になってしまったので、一緒にミルクティーを注文した。

「そんな気にするんやったら、せめてミナミは離れたらえぇのに」

「んー、それはそうやねんけど、でも移動時間もったいないしなぁ」

畳んでも小型犬くらいあるマフラーを外して隣の椅子に置き、簓は言う。

「いや、どこまで行く気なん」

「ちゃうやん、一秒でも早く名前に会いたいねん」

これ口説き文句でっせ、なんて表情はさらさら見せず、まるで明日の予定でも答えるみたいに軽く、自然に、平然と、簓は答えた。

「……恥ずかしいやつ」

「ん?……ふふ、本心やで」

そう言って簓はニッと口角を上げる。
呆れと照れで何も言えないでいると、ちょうど頼んでいた飲み物が運ばれてきた。このとき、顔を上げて声を出したらバレてしまうかもしれないのに、それでも笑顔で「おおきに!」と言ってしまう簓の礼儀正しさが好きだった。

「寒いからそれ一口ちょうだい」

「なんでクリームソーダ頼むん……」

簓は自分のグラスに口を付ける前に私のカップを物欲しそうに見て言った。アホちゃうの、と溜息混じりに呟きつつカップを差し出すと、パァと顔を輝かせて両手で受け取り、その温かさにハァと息をつく。カップを口元に運ぶと、蒸気でもわと眼鏡のレンズが曇った。

「もー、外せばえぇのに」

勝手にクリームソーダを啜りながら言ってやると、簓はなかなか晴れない視界に顔を顰めつつも「アカンねん」と答える。

「名前とおるときは絶対バレたないから」

それならば先程のように元気いっぱい返事をするのはやめたほうがいいと思うのだが。しかしきっと簓は反射で言っているのだから注意するだけ無駄だろうし、それに、そんな簓はあんまり見たくないな、と思った。

「私とおるの、そんなに見られたないん?」

想像以上に冷たい声が出てしまって自分で驚いた。簓もまた、私の声音に一瞬ぽかんとして、それから少し慌てた様子で、しゅんと眉を下げる。

「ちゃうねん、そういう意味やなくて」

そう言って、簓はカップを私に差し出しながら苦笑する。
どういう意味?私みたいな女と付き合っているのがバレたくないのか、それともそもそもフリーだと思われたいのか。責めるような視線を向けた。

「俺のことでなんやかんや、あることないこと言われるのは(かま)へんけど、名前のこと言われんのは嫌やから」

名前は俺の自慢のカノジョやで、と、まるで私の心を読んだみたいな台詞を付け足しつつ、簓は続ける。

「いつかはな、真剣に付き()うてますー言うて、堂々とミナミでもどこでも歩きたいんやけどな、今はまだ見せびらかさんと俺が独り占めしときたいねん」

へにゃ、と顔を綻ばせて、頬を淡紅色に染め、いかにも幸せそうな声で言われ、こちらのほうが恥ずかしくなる。

「なにそれ」

「えぇ、アカンかった?」

「……アカンくないけど」

ほとんど聞こえないような声量でぽつりとこぼすも、しっかり耳に届いたらしく簓はパァと顔を輝かせる。

(私は簓のこと独り占めできひんのに、ずるいわ)

しかし私は、画面の向こうや板の上で輝く簓も、いつもたくさんの人に囲まれてその中央で笑っている簓も、こうしてふたりきりのときだけ見られる素の簓と同じくらい好きなのだ。

――私は簓のこと独り占めする気ないから、せやなぁ、とりあえずレギュラー五本はキープしよか、なんて言ったら、どんなリアクションが返ってくるのだろうか。

Fin.

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