最近名前が冷たい。朝起きたとき、帰宅したとき、寝る前、いつものように抱き締めようとすると、するりと逃げられてしまう。いや、まあ寝る前はな、俺も多少反省することもあるけど、でもそれ以外は、
「……なあ、俺なんかしたん?」
「……へ?」
ソファーでアイスを食べながらテレビを見ていた背中を抱き締めれば、さすがに逃げられなかった。って、それ俺があとで食べようと思って
買うた高いアイスやんけ。
「こうやってハグできんのめっちゃ久しぶりやんか……でも別に何か怒ってる感じでもないし、なんでなん」
スプーンを持ったままきょとんとしているので、あ、と口を開けてみると一口くれた。いや、だから俺のやねんけどな。
最近名前冷たい、とアイスを咀嚼しながら呟くと、名前は呆れた顔をしてこちらを振り返った。
「あのさ、自分いま何月やと思ってるん?」
「え?」
「冷たいんやなくて暑いの!」
そう言うと名前は、アイスのカップをサイドテーブルに置いて、無理やり俺の腕から脱出した。
「そんだけ……?」
「そんだけって、自分一回くっついたら離れへんやん」
じと、とアイスより冷たい名前の視線が向けられる。
――何も嫌われてなかったんはよかったけど、その理由やったら夏が終わるまでこのまんまなんか……そう思うと、さすがの俺も大きな溜息が出た。
* * *
「ただいまぁ」
玄関の扉を開けると、珍しく簓の靴があった。そういえば、今日は帰るの早いって言ってた気がする。じゃあリビングのクーラーついてるなぁ、と少し嬉しくなった。いや、簓がおるのも嬉しいけど。
ドアノブに手を掛け、引いていくのと同時に冷たい風が少しずつ漏れ出てきて、駅から歩いて火照った身体に染み渡る。
「涼しー……」
「あ、名前おかえりぃ」
私の帰宅に気付いた簓はスマホから顔を上げ声を掛ける。もう一度「ただいま」と言うと、簓は嬉しそうにニコニコと微笑んだ。
「帰ってきて家涼しいの幸せ……」
「そらよかったなぁ」
荷物を置いて部屋着に着替えて、簓の座るソファに並んで腰掛ける。エアコンのセンサーが反応して、冷たい風をこちらへ送ってきた。
「なあ、涼しなったんやったらハグしていい?」
「その話はこないだ……ん?」
何故かやたら嬉しそうにそう尋ねてきた簓を不思議に思いつつ顔を向けると、ふとサイドテーブルに置かれたエアコンのリモコンが目に入った。ぐ、と身体を起こしてそちらへ手を伸ばすと、簓があっと小さく声を漏らした。
「ちょっと何度にしてんの!」
いつもより三度は低い温度に設定されたそれを簓に見せつけながら言うと、簓はまるで悪戯がバレた小学生みたいにしゅんと肩を落として、気まずそうに視線を逸らす。
「暑いから嫌なんやったら、涼しかったらええかなと思って」
「……アホちゃう?」
そう言ったのは心からの本音ではあったが、しかし、そのあまりに寂しげな顔や声音に、さすがに心が痛んできた。私だって、別にしたくないわけではないのだ。
「……ちょっとだけやで」
消え入るような声でそう言うと、簓はパァと顔を輝かせて、まさにガバッと効果音の付きそうな勢いでこちらに飛びついてきた。大型犬顔負けのそれを受け止めきれず、背中からソファーに倒れ込むと、さっと簓の手が後頭部に移動する。
「ちょっとだけやって」
「無理、何日ぶりやと思ってるん」
「もう……」
簓の短い髪に首元や胸元をくすぐられて、思わず目を閉じると、その隙にちゅ、と口づけられる。驚く暇もなく、額や頬にもキスの雨が降ってきて動けずにいると、またぎゅうと抱き締められた。
「どないしよ、離されへん」
その表情を窺うことはできないが、声音はあまりにも真剣で、本当にこのまま離してもらえないんじゃないかと不安になった。
「あー、もう分かったから!もう逃げへんから離して!」
半ばヤケクソになりながら言うと、簓はむくりと顔を上げ、じいとこちらを見て「言うたな」と呟いた。
完全に簓の掌の上だな、なんて自覚しているのにあんまり嫌じゃない私は、きっと一生彼に敵わない。
Fin.