若気の至り

何かがおかしい。自分の知らないところで何かが起こっている。

「簓、それこないだ(もろ)たで」

「あれ?兄さん、またそれ配ってはるんですか?」

どついたれ本舗の名でCDを出すことになったので、宣伝も兼ねて共演者や知り合いに配り歩いていると、半数とまでは行かないが、三人に一人くらいそんな反応をする。わけが分からないまま、とりあえず「そうやっけ?もうボケとんなー」なんて笑って誤魔化してはいるが、薄気味悪い。ドッペルゲンガーかそっくりさんが自分のフリをして生きているのでは、とか、そんな非科学的なことすら考え始めたある日。

「あ、それもう頂きましたよ」

まただ。同じ舞台に立つことになった後輩芸人に挨拶がてら差し出すと、もはや見慣れたリアクションが返ってきた。またか……と思っていると、後輩はニコニコしながらこう続ける。

「彼女さん、簓さんのことめちゃくちゃ好きですねぇ」

「……は?」

突然出てきた“彼女さん”という単語につい素が出てしまった。しかし後輩は特に気にも留めていない。

「あれ、彼女さんですよね?たまに楽屋におらはる人」

「あ、あぁ、せやけど、何か話したん?」

「こないだ一緒に出たとき、簓さんの出番中に挨拶に来はって、そのときにそのCDも頂いたんですけど」

聞いてないですか?と後輩は不思議そうな顔をしている。そんな顔をしたいのはこちらのほうだ。
オオサカの劇場での仕事のときは名前もたまに顔を出して、準備を手伝ってくれたり、最終確認に付き合ってくれたりと協力的だが、名前は基本的に芸能人とは顔を合わせないようにしている。夢を壊したくないとか、ファンに申し訳ないとか、理由は色々あるようだが。
そんな名前が自ら他の楽屋に出向いて挨拶をするなんてどうにも考え難く、今度は名前までドッペルゲンガーか……?などと考えてしまう。

俺がじっと考え込んでいると、後輩は突然にやりと笑って「あぁ」と声を上げた。

「簓さん、何も聞いてはらへんのでしょ」

「……何や悪口でも言うとったか?」

「逆ですわ、逆!」

オオサカ生まれオオサカ育ちらしく、いつも勝気で弁の立つ彼女のことを思い浮かべてそう言うと、後輩は大袈裟に手を振って否定する。

「そのCD持って、簓さんが面白いだけやなくてカッコえぇんやってこと、僕の出番ギリギリまでめちゃくちゃ語って行きはったんですよ」

あ、それホンマにめっちゃカッコえぇですね、とCDを指差す後輩からの賛辞は、ほとんど耳に入らなかった。

「さすが簓さんほどの人にもなれば彼女さんにもえらい愛されてはるわーって……簓さん?大丈夫ですか?」

いよいよ表情筋の自制が効かなくなり、思わず両手で顔を覆うと、後輩は心配そうにこちらを覗き込みながら言った。

「スマン、いや大丈夫やねん、大丈夫やねんけど顔がちょっと大丈夫やない」

「アッハハ、普段はそんなこと言うてもろてないんですね」

「いや、ホンマにな!?まさか俺の知らんとこでそんなことしてるなんて思わへんやん!」

未だ火照る頬を隠しつつ言うと、後輩は「えらい仲良いみたいで羨ましいですわ」と言ってカラカラと笑っていた。

* * *


その日の仕事を全て終え、帰宅した頃には日付が変わる直前だった。もう寝てもうたかなぁ、なんて独り言を漏らしつつ玄関の扉を開けると、リビングにはまだ明かりが点いている。

「ただいまぁ」

「あ、簓、おかえり」

名前はソファーに座ってバラエティ番組を見ていた。もう食事も風呂も済ませたらしく、すっぴんにパジャマだ。

「ご飯温めとくから、先にお風呂入ったら?」

「んー、あー、あとでえぇわ」

いつもと違う返答に名前は、そうなん?と不思議そうな顔をしていた。自室でスーツから部屋着に着替えて戻ってくると、コンロを覗き込む名前の隣に立ってお茶を淹れる。

「何してるん?」

「ちょっとな、喋りたいことあるから、名前にお茶でもー(おも)て」

「ふーん」

名前はそれ以上は何も言わず、煮立つ鍋に視線を戻した。たぶん、何か面白いことがあったから聞いてほしいだけ……とでも思われているんだろう。あながち間違ってはいないが、それがまさか自分のこととは思うまい。また表情筋が職務を放棄している俺の顔をちらりと見ると、名前はどこか呆れたような表情をした。

名前が温め直してくれた夕飯と俺が淹れた紅茶が食卓に並び、ふたりで向かい合って座る。頂きます、と言って俺が食事を始めるのを見届けてから、名前も紅茶に手を伸ばした。

「訊きたいことがあるんやけど」

「え、何?」

そうやって切り出すと、名前は少し驚いた顔をする。

「こないだCD出したやろ?それで宣伝がてら配り歩いてるんやけどな、なかなか減らへんねん」

名前の表情が、驚愕から怪訝に変わり、それからわずかに焦燥が覗き始める。なんとなく予想はついているらしい。

「持って行ったらな、それもう貰いましたわーって言われてまうねん、なんでか知っとる?」

「……分かってるくせに訊かんとって、イケズ」

微かに頬を染めて視線を逸らしながら名前は言う。うわ、どうしよ、予想してた反応より十倍は可愛い。思わず「ごめん、ごめん」と言いたくなるのをぐっと堪えて、続ける。

「俺が貰ってきた分、全然減ってないやん。自分で()うて持っていったん?」

「……そうやけど」

「ハ、ホンマに!?」

「だって、簓が(もろ)た分から持っていったらバレてまうやん」

「えぇ……?別にえぇやん」

「バレたらこうやってニヤニヤしながら尋問されるやろ」

こちらを見ていかにも恨みがましく言われ、思わず頬を両手で押さえた。いや、そんな可愛い顔されたらニヤニヤもするわ、なんて言ったら火に油なのは目に見えているのでぐっと飲み込む。

「別に、名前が俺らのCD配ってくれてたんが嬉しいてだけで、こんな顔してるわけちゃうで」

「あぁ、普段からそういう顔やったね」

「ちゃうわっ!」

相変わらず隙のない口撃に苦笑する。この状況でもまるで平常通りの負けん気の強さに、コイツがディビジョンバトル出ればいいのに、なんて思った。

「……名前チャンは相変わらずお口が達者やなぁ」

明らかに茶化した俺の口調に、名前はムッと唇を尖らせる。

「何?喧嘩売ってるん?」

「んなわけないやん」

「じゃあ、」

「その達者なお口で俺の(はなし)してくれたんやなぁと思って」

そう言うと名前は、瞳がこぼれ落ちてしまうのではないかと思うほど目を大きく見開いて固まった。そして思い出したようにパチと瞬きをすると、瞬間、カーッと頬を朱に染めあげる。

「どっ、どこまで聞いてるん……!」

「えぇー、何がぁ?」

……正味、詳しいことはそこまで知らんねんけどな。
ただ名前のこのリアクションを見ていると、もしかしたら普段の名前からは想像もつかないくらい恥ずかしいことを喋り倒してきたのでは、なんて、つい期待が高まってしまうし、少しでいいから自分でも聞きたいという欲が出てきてしまう。

「……誰に聞いたん」

「何を?」

「何をって、だから……」

はじめは勢いよく捲し立てていた名前だったが、だんだんその声音は弱々しくなり、とうとう涙を浮かべはじめた。

「ちょっ、なんで泣くん!?」

「えっ、いや、泣くつもりはなくて、これはただ、めっちゃ恥ずかしくて」

つまり生理的な、ということなのだろうが、さすがに恋人が泣いているところに追い打ちをかけるほど鬼ではないので、これ以上聞き出すことは一旦諦め、名前を慰めるべく立ち上がる。対面に座る名前の隣へ回り込み膝をついて、どこか居心地悪そうにモゾモゾしている身体を抱き締めると、いつもよりうんと高い体温が伝わってきた。

「スマンスマン、ちょっと調子乗りすぎたわ、そんな大したこと聞いてへんから大丈夫やで」

「別に、簓は(なん)も悪くないやろ……」

と、しおらしく言いながらも「……でも、どこまで聞いてるん」と続ける名前は転んでもただでは起きないつもりらしい。

「ホンマにちょっとだけやって、名前が俺のことカッコえぇって喋り倒して行ったってことだけや」

「それだけ……?」

名前は恐る恐る顔を上げて、俺の目をじっと見る。嘘は吐いていないと判断したのか、ほっと小さく息を吐いたのが聞こえた。

「それだけ、ってことは、もっと何か言うたん?」

そう言うと名前は分かりやすくビクッと身体を震わせる。ビクッというか、本人的にはギクッという効果音が付くところか。

「名前が言いたないなら無理には聞かんけど、俺が知らんとこで名前がそんな(はなし)してたー思たら妬けてくるなぁ」

「妬ける?」

「他の男は知ってて俺は知らん名前がおるの、嫌やわ」

「う、」

「なぁ、どーしてもアカン?」

「なんでそんなずるい言い方すんのっ」

甘えた声音で言うと、名前は悩ましげな顔を見せたあと、苦しそうに答えた。
また、いつもより濡れた瞳でこちらを見る。不覚にも、情事のときみたいだなんて考えてしまって、心臓が跳ねる。

「すぐ忘れてや」

「んな無茶な」

「そこは嘘でもハイって言うて!」

そう言うと名前は、俺の肩口にぎゅうと頬を押し付け、背中に回す腕には力を込める。たぶん顔を見られたくないからなんだろうが、正直逆効果でしかない。
そんなこちらの心など露知らず、名前は恐る恐る口を開き、あんま覚えてないけど、と前置きしてから震える声で言葉を紡いだ。

「簓は、私の太陽やって、言うた」

「……た、太陽?」

「いつも眩しいくらい明るくて、温かく照らして包み込んでくれる太陽やって。でも、私が簓にしてあげられることなんてほとんどないから、今は宣伝の手伝いくらいしたいって」

「……そら、」

クッサくて恥ずかしくて、泣きたくもなるわなぁ、なんて言ったら本当に泣き出してしまうだろうか。しかし、俺がその言葉を飲み込んだのは、名前を気遣ったからではなく、自分も負けじと劣らず赤い顔をしていることに気付いていたからだ。

「そら何やねん」

ほとんど逆ギレのようにそう言う名前が身体を離そうとしてきたので、慌ててその頭を両手で掴んで止める。そのままわしゃわしゃと撫で回して、再び俺の胸元に収めると、何すんの、と抗議の声が聞こえた。

「あんなぁ、名前、俺、名前にしてもろてることいっぱいあるで」

「家事とか、たまに舞台行ったときのこと?」

「それもやけど、そうやなくて……」

……あー、どないしよ。人のこと言われへんくらいクッサい台詞出てきそうやわ。でも、ま、こんなん言える機会そうそうないしなぁ。

「俺、人間やから、何もなしに四六時中輝いてられへんねん」

「……うん?」

「俺が太陽やって言うんなら、それは名前がそばにおって支えてくれるからやわ」

また名前が腕の中でもそもそと動き出して、今度こそ顔を上げる。きっと太陽の名にも恥じないほど真っ赤な顔をしているであろう俺を見て、名前は一瞬目を丸くしたが、すぐフフッと笑い声を漏らした。

「素面でようそんな恥ずかしいこと言えるな」

「いや、言わんといたったのに!自分もまぁまぁクッサいこと言うたやん!」

そう言うと名前はまた少し顔を赤らめつつも、ケラケラと笑っていた。
……そら、こんな笑ってくれる人がおったらいくらでも頑張れるわなぁ。

「簓」

「んー?」

不意に呼ばれた名前に気の抜けた返事をすると、名前はぐいと身体を離し、真面目な顔をして、

「ご飯途中やん、冷めてまうで」

「え、このタイミングで!?」

「ちゃんと食べて明日も頑張ろなぁ」

頑張ってな、ではなく、頑張ろなと言ったのは、故意だろうか。すっかりぬるくなっているであろうマグカップに視線を落としたその顔からは、もうその意図を汲み取ることはできないので、自分に都合のいいように解釈することにした。

Fin.

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