終わりよければ

「それでな、その先輩がな、」

人が笑っているのが好きだ。中でも、名前は特別。俺が一目惚れした、あの弾ける花火のような笑顔を見るためなら、俺は何だってする。仕事じゃなくたって、いくらだって喋るし身体も張る。しかし、その日の名前は俺がいくら頑張ってもどこか浮かない顔をしていて、俺の話に笑ってくれはするものの、それは明らかに作り笑顔で。

「……何かあったん?」

「えっ」

突然話を中断して問いかける俺に、名前は驚きと戸惑いを含ませた声を上げた。

「今日、なんかずっとしんどそうな顔してんで」

「し、しんどそう……」

俺がそう指摘すると、名前は少し目を泳がせたあと、また俺のほうを見て苦笑した。

「簓にはお見通しやなぁ」

……名前は割と全部顔に出るタイプやけどな。そんな無粋なことは言わず、カッコつけて「当たり前やろ」なんて答えるのだ。

「全然大したことやないねんけど、」

そう前置きして、名前は今日あったことを教えてくれた。
目覚めると携帯の充電ができていなくて朝から赤ランプで、テレビの星座占いは最下位で、なんだか嫌な感じで一日が始まったこと。昼休み、そんな悪い流れを変えようとちょっとお高いランチを食べに行こうとしたら、財布を忘れていて同僚に借りるはめになってしまい、結局コンビニ飯になったこと。帰りの電車で本を読むのに夢中になって乗り過ごしてしまったら、逆方向の電車が車両トラブルで止まってしまってなかなか来なかったこと。

「それから、今簓が食べてるそのご飯は、お塩と砂糖を間違えて一回作り直したやつ……」

「そ、そうなん……」

「一個だけやったらなんてことないけど、さすがにちょっと疲れたなぁ」

しゅんと眉を下げる名前を見て思わず立ち上がると、名前は不思議そうな顔で俺を見上げる。対面に回って腰を屈めて、いつもよりなんだか小さく見えるその身体を思いっきり抱き締めた。

「そらしんどいな、頑張ったな」

わしゃわしゃと頭を撫でてやると、ふわりとシャンプーの香りが漂ってきて、励ましているはずのこちらのほうが癒やされてしまう。名前はしばらくされるがままになっていたが、突然クックッと肩を揺らし始める。トンと胸元を押されたので素直に身体を離すと、今日はじめての名前の満面の笑みが目に入ってきた。

「もうっ、簓大袈裟!大丈夫やって!」

いつもはパチッと開いた目をまるで俺みたいに細くして、楽しそうに俺の名前を呼ぶ口は綺麗な半円を描いていて、そのあまりの眩しさに、目の前がちかちかする。しかし(あぁ、この顔や)と思うと、俺は再び名前を腕の中に収めていた。

「もー、何?どないしたん?」

「んー、名前が楽しそうで嬉しいねん」

「何それ」

言いながら名前も俺の背中に腕を回すと、ぽんぽんと掌を弾ませる。触れ合った箇所からじわじわと互いの体温が伝わってくると、まるで心臓にまで届きそうな気がした。

「芸人やねんからトークで笑わさなアカンのになぁ」

独り言のように呟くと、名前はぴくりと反応して、こう答える。

「仕事中やないのに笑わしてくれんの?」

「そんなん関係ないで、名前が笑ってんのが一番好き」

「トークで笑わしてくれるんもええけど、私はこっちでもええよ」

……ううん、こっちがええよ、なんて言いながら背中に回された腕の力を強くされたものだから、俺も思わず、より強い力を込めて名前を抱き締めた。

「ふふ、しんどいの全部吹き飛んでしもた」

「楽しい?」

少し身体を離して、その輝くような笑顔を見ながら訊ねると、名前は小さな声で「しあわせ」と答えた。

Fin.

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