笑顔の神様

収録の時間が変更になって暇、と呼び出された。平日の、モーニングとランチの間の中途半端な時間。中崎町の小さなカフェには、私たち以外の客はいない。

「人、いなくてよかったね」

「梅田で収録あるときによう来てるから、頼んだらこっそり二階にも入れてくれるで」

そう言いながら、簓はブラックコーヒーの入ったマグカップを傾けた。簓が通うだけあって、ここのコーヒーは美味しいらしい。普段は紅茶派の私も、今日はコーヒーを頼んだ。
しかし、簓と違って子供な私は角砂糖をひとつと、ミルクを多めに。可愛らしい薔薇の飾りの付いたティースプーンでぐるぐるとかき混ぜていると、向かいに座った簓がこちらをじっと見つめていた。

「名前はいっつも笑ってるなぁ」

細い目を更に細めて、どこか嬉しそうに簓は言う。
いつだったか、簓は人を笑わせるのが好きなんだと教えてくれた。

「だって、私が笑ってなかったら、簓、面白いこと言うでしょ」

「当たり前やん、日本人全員笑わせられても、名前が笑ってなかったら意味ないわ」

日本人全員笑ってるのに私だけ笑ってない状況って何?と思ったが、言ったら簓は何か突拍子もないボケで返してくるのだろうと思って飲み込んだ。

「日本人全員が見てる簓じゃ嫌だもん」

そう返すと、簓は不思議そうな顔をして、説明を求めるように首を傾げる。

「私がいつも笑ってたら、面白いこと言わなきゃーとか考えてない、ほんとの簓が見られるでしょ?」

「じゃあ、名前のそれは作り笑いなん?」

私の答えに少し不満そうに簓は言った。彼の求めている笑顔に作り笑いは含まれないらしい。そりゃそうか。
私は小さく首を振り、唇を尖らせている簓をじっと見て、ニッと口角を上げてみせる。

「私は簓がいるだけで幸せだから、簓の前ではたぶんずっと笑ってるよ」

口に出すと少し恥ずかしくなって、誤魔化すようにマグカップに手を伸ばすと、簓はその手を突然上から包み込んで、かと思うと、ハァーと大きな溜息を吐いて項垂れた。真ん丸な頭と見慣れない旋毛が晒される。

「そらアカンわ……えっらい殺し文句やで」

そう絞り出すように言う簓の顔は見えなかったが、髪の間から覗く耳はかつてなく真っ赤に染まっていて、私の手を包み込んでいるその両手はポケットから取り出したばかりのカイロみたいに熱い。
一体どんな顔をしているのかと、つい悪戯心が働いて身体を屈めて覗き込もうとすると「今めっちゃ格好悪い顔してるから見んとって……」と言って額をゴンとテーブルにぶつけてしまった。

「簓は笑顔の私しか見られないね」

意地悪でそう言うと、簓はしばらくウーとか何とか唸ったあと、まだ少し赤い顔を上げて、ニヤリと笑った。今度は私が不思議な顔をする番だ。

「いや、少なくとも一回は泣き顔見れる自信あるで」

「泣き顔?」

私が繰り返すと、簓は私の左手だけ持ち上げる。されるがままになっていると、もう片方の手の人差し指で、私の左の薬指をつつ、となぞった。

「結婚式のときとか、どうやろ」

言い終えるや否や、簓はたった今なぞったそこに、ちゅ、と軽く口づけた。まるで予約したとでも言わんばかりに。

「それなら二回かもね」

今、既にちょっと泣きそうだから。

Fin.

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