近くのドラッグストアで薬や食料を買い込んで戻ってくると、名前はボーッとした顔でテレビを見ていた。
「何してんねん、布団入らんかい」
「あ、おかえり。布団入ったら薬飲む前に寝てまうもん」
「起こしたるやん」
そう言うと、名前は意地悪な笑みを浮かべる。
「ホンマに?起こせる?」
……いや、寝顔見てしもたら「無理に薬飲まさんでも、寝かしたったほうがええかな」とか思ってまいそう。
なんて口に出したら名前の思うつぼなので、返事はせず、買ってきた薬を突きだす。
水を注ごうとキッチンへ行くと、先程使った食器が全て洗って水切りカゴに収められていた。
「洗い物したな?」
「するよ、自分ちやもん」
そう言われたら、確かに、と思ってしまった。特に水回りは、こだわりが強い人も少なくない。しかしコイツに限っては、この間ここで手料理を振る舞ったあと「作ったってんから洗い物してよぉ」と言ってのけた人間なのだ。
水を注いだコップを差し出しながら、少しだけむっとして俺は言う。
「今日くらいじっとしとかんかい」
「大袈裟やねんて」
クスクスと笑いながら答えた名前だったが、俺の顔を見て少し考えたあと「ハイハイ」と返事をした。だからだろうか、薬を飲んだあとのコップは、素直に俺に手渡してきた。それを流しに置いて、今度は名前を寝室へ送る。椅子に座る名前に両手を広げて差し出すと、きょとんと不思議そうな顔をする。
「……ん?」
「ん、やないで、部屋戻って寝な」
「いや、それは分かってるけど、その手は何」
「何って、抱っこ」
至って真面目な顔をして言ったみたが、ぺちんと手を叩かれ「自分で行けるわっ」と怒られてしまった。その勢いのまま立ち上がった名前だったが、体調が悪いのに急に動いたせいか、ふらりと身体を傾けてしまう。結局ぽすんと俺の腕の中に収まった。
「ほら、行かれへんやん」
「……これはちゃうやん」
体制を整えられてしまう前に、その熱い身体を抱き上げてしまえば、こっちのものだ。名前は抵抗する気力もないのか、うーだの何だの唸り声を上げつつ、大人しく運ばれる。
「絶対簓のせいで一、二度は体温上がってる」
「え、なんで?ドキドキして?」
先程家を出る直前に呟いていた言葉を思い出して言ってみたが、名前は真っ赤な顔で「そうやってちょっかい出してくるから!怒りで!」と声を上げた。
これ以上機嫌を損ねないよう、そっとベッドに下ろしてやると、蚊の鳴くような声で礼を言われる。
「……で、私もう寝るわけやけど、今度こそ帰るんやんな?」
「だからぁ、今日一日は好きなことする言うたやん」
「いや、それじゃ分からへんわ……」
もそもそと布団に潜り込むのを見届け、最後に掛け布団を肩の上まで引っ張ってやれば、名前の呆れた視線がこちらに向けられた。
「起きたときに誰もおらんかったら寂しいやろ?」
「子供やないねんから」
「ま、それは冗談で、何か起きたときに食えるもん作ってから帰るわ。あ、ゼリーとかも冷蔵庫入れてあるから、飯食われへんかったらそっち食うてまた薬飲みや」
あぁ、枕元に水とスポドリ置いとかな……なんて考えながら答えると、名前は布団の下で「オカン……」と呟いた。聞こえとるわ。
「次の休みまでにちゃんと治してや。今日の分もしっかり付き合ってもらうからな」
「……次の休みっていつやねん」
どこか拗ねたような声音に、少し驚いた。しかし俺以上に名前のほうが、自分のその声に目を丸くしていて、それから気まずそうに顔を背ける。
「何もない、分かった、今日はありがとう」
立て続けにそう言って、がばっと布団の中に潜り込んでしまった。
「いや、何もなくないやん、ちょ、出てきて!?」
名前が押さえつけている布団はびくともしない。とはいえ所詮は布団なので、横なり足元なりから攻めればいくらでも対処は可能なのだが、そんなふうに思いきり捲ったりすれば身体が冷えるよな、と思って実行はしない。
こんもり膨らんだ掛け布団の、おそらく頭があるであろう部分にぽんと手を乗せると、布団の山はビクッと震える。
「そんな寂しいんやったら、寂しいって言うてええねんで。全然迷惑やないし、というか、ちょっとくらい甘えられたほうが……嬉しい」
名前はこうやって、風邪でも引いてぼんやりしているときくらいしか素直になれないのだと知ってしまったから。どうせ、俺が忙しくしてるからとか、いらない気を遣っているのだろうが、名前が寂しいということは俺だって寂しいとか、そういう思考には至らないのだろうか。
「やっぱり今日は名前が起きるまでここにおるわ」
返事はない。しかし、拒否されないということは、いてもいいんだろう。勝手に都合よく解釈して立ち上がろうとしたところで、名前はわずかに布団から顔を覗かせた。
「どないしたん?」
「……簓、」
ようやく出てきた頭を撫でてやると、名前は犬猫みたいにうっとりと目を細める。
……あ、やば、キスしたい。そんなことを考えた瞬間にバチンと目が合ってしまって、これはもう、しゃーないわ、と半ば強引に布団を捲って顔を近付けた。
しかし、ちゅ、と唇が触れたのは名前のそれではなく手の甲だった。
「……風邪感染る」
表情こそぼんやりしているが、その瞳からは今日はキスなど絶対にさせてなるものかという強い意志を感じてしまった。しかし、ダメと言われればやりたくなるのが人間の性で、
「人に感染したら治る言うやん」
「私が風邪引くのと簓が風邪引くのとじゃ話がちゃうねん」
そんくらい分かれアホ、って、いつも言われているはずのその言葉も、今日はこんなに優しい。
「じゃ、こっち」
乱れた前髪をかきあげて、額に口付けると、また口元まで布団を引っ張ってきて、真っ赤な顔を隠してしまう。
「自分おったら、いつまで経っても熱下がらへんわ」
「そしたらずっと看病したるから任せとき」
「……ホンマにアホ」
二回目のそれも、そんな可愛い顔で言われたところで、まるで毒気がない。コイツの「アホ」には好きの意でも含まれてんちゃうか、なんて馬鹿なことを考えてしまう。
こんなに素直で可愛らしいなら、ちょっとくらい長引いてもええのにな、なんていうのはさすがに不謹慎だろうか。しかし、そんな俺の心を知ってか知らずか、名前は布団の奥でくしゃっと笑って「早よ治すから、どこ行きたいか考えとってな」なんて言うものだから、思わず「……なんかごめん」と呟くと、不思議そうに目を瞬かせていた。
Fin.