花に嵐

ある日、家に帰ると、リビングのローテーブルの上に大量の紙袋が並べられていた。そこに描かれていたのは、年頃の女子なら知らない人はいないデパコスのロゴで。

「さっ、簓これ何!?」

今日は何の記念日でもないはずだけど。そもそも記念日だったとして、こんな何袋も並んでいるはずがない。

「名前おかえりー」

私の声に反応して、簓が洗面所からひょいと顔を覗かせた。風呂上がりだったらしく、いつもより血色のいい頬を綻ばせている。

「あ、ただいま」

「それな、今度CM出るから(もろ)てん」

髪の毛をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、簓はこちらへ向かって歩いてくる。

「CM?化粧品の?」

「あー……うん」

「……なに?女装でもしたん?」

「してへんわっ」

なんだか煮え切らない返事に何か気の進まないことでもあったのかと心配になって、わざとらしく神妙な表情を作って言えば、いつも通りのツッコミが返ってきて安心した。

「でも化粧品のCMなんて珍しいなあ、楽しみやわ」

紙袋の中を覗き込みながら、なんとなしにそう言うと、いつもならCMや特番が決まれば意気揚々と報告してくるはずの簓が「んー……」と生返事をしてきて少し驚いた。そんなに大変な撮影だったのか、あるいは内容に思うところがあるのか。とにかく、今はあまり話したくなさそうだったので、CMの話はそれで終わりにした。

* * *


数週間後、CMのことなんてすっかり忘れて、簓の帰りを待ちながらひとりでテレビを見ていたときのことだった。見覚えのある化粧水のボトルが映り(あ、この間貰ったやつ)と思って眺めていると、ずいぶん格好つけた様子の簓が映る。こんな仕事も来るんだなあ、としみじみしていると今度はテレビでよく見る綺麗な女優さんが出てきて、簓とまるで恋人同士のように絡んでいる。
思わず持っていたマグカップを落っことしそうになって、はっとして握りなおした。

(……あの煮え切らへん態度はこういうことか)

もしかしたら見てほしくなかったのかもしれない。けれども公共の電波で放送されてしまっている以上、避けようがないし。

(そりゃ気分良くはないけど、仕事やって分かってるし、怒ったりせえへんのに)

……というか、私が偶然CMを見ることがなければ、このまま黙っているつもりだったのだろうか。そっちのほうがよっぽど腹が立つのだが。
気が付けば先ほどまで見ていたバラエティ番組が再開され、いつもの笑みを浮かべた簓が画面の向こうでぺらぺらと喋っている。人の気も知らんと、と思ったらまた少し腹が立った。
そんなことをしていると、噂をすればなんとやらで、玄関の鍵が開く音が耳に届く。いつもなら立ち上がって迎えに行くところだけれども、今日はどうにも気が進まず、ソファに座ったまま膝を抱えた。リビングの扉を開け、私の存在に気付いた簓は、心なしか不思議そうな顔をしている。

「名前おるやん、ただいまー」

「……おかえり」

「え、なに、どないしたん?何かあったん?」

見るからにご機嫌斜めの私に、荷物を持ったまま慌てだす簓の姿はCMとはまるで別人だ。しゅんと眉を下げてこちらを覗き込むので、わざと大げさに唇を尖らせた。

「……CM見た」

「CM……げッ、あ、あれか……」

「げって何、私が見んかったら黙ってるつもりやったん?」

「そ、そういうわけとちゃうけど……」

一歩後ずさった簓に、ソファーの隣のスペースを指差せば、渋々と腰を下ろした。
おろおろしながら上目遣いでこちらを見るのは狙ってやっているのだろうか。

「いや、あんなんやと思わんかってん」

「あんなんって何、別に怒ってへんやん」

「めっちゃ怒ってるやん……」

未だ荷物も上着もそのままなことにようやく気付いたのか、もそもそとリュックを下ろしはじめたのを横目で見ながら、ぽつりと呟く。

「内容より、黙ってたことのほうが嫌」

すると簓は、下ろしかけていたリュックをどさっと床に落として、はっと息を呑むと私に正面から向き直った。

「そうやんな……最初からちゃんと言うといたほうがよかったな……」

しゅんと肩を落として泣きそうな顔で「ごめんな」と繰り返す簓にやましいところがないのは明らかで、私だって別に、そこまで本気で怒っているわけではない、けれど。
俯いたままの私を前に狼狽えるばかりの簓に消え入りそうな声で「……ごめん」と呟くと、聞こえたのか聞こえていないのか、「へ?」と気の抜けたような返事が返ってくる。

「仕事やって分かってるし別に怒ってへんけど、なんか……性格悪いこと言いそうやからちょっと()っといて」

()っといて、とは言ったものの、帰ったばかりの簓より私が寝室にでも移動したほうが筋が通っているだろうと思い立ち上がると、即座に手首をぐいと引かれて、ソファーに逆戻りした。痛くはないとはいえ、ほとんど尻餅をつくようなかたちで引き戻されたことに少しむっとして咎めるような視線を投げるも、簓はまるで気付かず、正面から思いっきり私を抱き締めた。

「無理や〜!そんな可愛いこと言われて()っとけるわけないやろ!?」

「は……?」

このまま潰されるんじゃないかと思うほどの強い力に、ぺしぺしと背中を叩いて抵抗してみると、わずかに力が抜けたが解放はされなかった。

「気ぃ済むまで何でも言うてええから、()っといてなんて言わんとって」

私の耳元で情けない声で呟く簓の顔は見えない。しかし、こんな弱った簓に罵詈雑言浴びせるほど私も鬼じゃないし、

「……怒ってたんどっか行ったわ……」

「へ……」

ぽつりと呟くと、簓は不思議そうに声を漏らして、ゆっくりと身体を離した。親に叱られた子供みたいな表情に思わず頬が緩む。薄い胸にとんと額を押し付けるようにして身を寄せると、大きな掌が愛おしむように後頭部を撫でてきた。

「ご飯食べて、お風呂入ったらでいいから……またさっきのCM流れても何も思わへんくらい、あの女優さんより私のほうがずっと好きなんやって、ちゃんと教えて」

言い終えるや否や、頭を擦っていた手がぴたりと止まり、顔を上げようとすると、再び力強く抱き締められる。

「そんなん名前のほうが好きに決まってるやんかぁ!」

「ちょ、い、今はいいから、先ご飯食べたら、」

「いらん!」

「いらんことないやろ!」

簓はそう元気よく答えると、そのままひょいと私の身体を持ち上げて寝室へ連行する。

「ちょっと、そういう意味で言うたんちゃうし、ホンマにご飯食べてお風呂入っといでって!」

「いや、そういう意味やなかったらどういう意味なん!?」

……それは、分からへんけど。

「とにかく、ご飯とお風呂済ますまではアカン!」

寝室に入る直前に壁に手を掛ければ、さすがの簓も足を止め、私をゆっくりとその場に下ろした。

「……秒で食うて風呂入ってくる」

「別に急がんでいいし」

「先にひとりで寝んとってや」

びし、と私を指差して言うと、簓は名残惜しそうに踵を返してリビングへ向かい歩き始めた。しかし、数歩進んだところで「あ」と声を上げ再び首だけ振り返ると、

「あの女優さんより、やなくて、俺が好きなんは名前だけやからな!」

まるで色気のない言い方で愛の言葉を吐き捨てて、簓はドアの向こうに消えた。
……そういうのでええんやけど。私ひとり、これで満足して眠りに就いたら、さすがにあとで叩き起こされるのだろうか。

Fin.

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