朝ぼらけ

自分が彼女に迎えに来てもらうことは多々あれど、彼女からこのような電話が掛かってきたことがあっただろうか。

『ささらぁ、迎えに来てぇ』

「……え、名前?」

『店、どこか言うてあったよなぁ』

「いや、聞いてるけど、大丈夫なん?すぐ行くからちゃんと待っとれよ!」

返事はないまま電話が切れた。(俺と違って)酒の飲み方は分かっているはずの名前がここまでベロベロになっているとは、そんなに盛り上がったのか、あるいはつまらなさすぎて酒が進んだのか。今日は高校からの友人たちと飲むのだと、数日前から楽しみにしていたから、おそらく前者か。
先程一杯飲んでしまったことを後悔しつつ、タクシーを捕まえ、名前に教えられていた店へ向かう。友人たちが面倒を見てくれているのだろうが、それでも飲み屋に女ばかりでは心配だ。なんで今回に限ってミナミやねん、と愚痴も吐き出したくなる。

大通りで降ろしてもらい、商店街を進むと、目的の店はすぐに見つかった。表の看板を見ると半個室を謳っていて少しほっとする。到着したことを知らせるため名前に電話を掛けると、スマホからは知らない声が聞こえてきた。

『すみません、名前寝ちゃってて代わりに出ました!二階の突き当たりの席にいるので、お願いします』

どうやら電話に出たのは友人のひとりのようだった。言われたとおり、店員に一声掛けてから二階へ上がると、見覚えのある後ろ姿が見えてくる。

「どうも、名前がご迷惑お掛けしてます」

テーブルに近付き声を掛けると、完全に寝落ちているらしい名前以外の三人の女性が一斉にこちらを向く。その勢いに一瞬たじろいでしまったが、向こうはそれ以上に驚き、そして少しの間のあと互いの顔を見合って、わっと色めきだった。

「嘘やろ、ホンマに白膠木簓来たで!?」

「えっ、ホンマに白膠木簓さんですか」

「え?うん……?」

一応、他のテーブルには聞こえないよう声を落としているらしいが、明らかにざわついたのは周りにも伝わっていて、つい人差し指を口元に持ってきてシーとジェスチャーで伝える。
……何や名前、俺のこと教えてないんか?

「ささらって言うから、そんな珍しい名前被るもんなんやなぁって思ったけど」

「うちは電話掛かってきた画面見てハァ!?って思ったわ」

「いや、言うてよ!」

声は落としつつも、彼女らはまだワーワーと言い合っていた。女三人寄ればなんとやらだ。そして名前はそれにまるで気付かず、隣に座る友人の膝枕ですやすやと寝息を立てている。

「名前が全然彼氏の(はなし)してくれへんかったん、こういうことやったんやね」

「そりゃ話されへんわなぁ」

すっかり蚊帳の外だったので先に名前を起こしてしまおうと手を伸ばしかけたところで、再び六つの目がこちらを見た。人の視線なんて、今更何も感じるはずがないと思っていたのだが、恋人の友人のそれとなると話は別だ。しかし、気まずい俺とは裏腹に、彼女らはニヤニヤとどこか楽しそうで。

「名前、いつもめっちゃ惚気るくせに、彼氏のこと全然教えてくれへんかったんですよ」

「ホンマにおるんかーとか、実はヤバい男やから言われへんのちゃうかーとか、色々心配やったんですけど、まさかこんな大物捕まえてるとは」

「別に週刊誌とかネットニュースに売り飛ばしたりせぇへんのになぁ」

そう言って三人はケラケラと笑った。その言葉がちっとも嫌味じゃないのは、名前が友人を疑っているからではなく、一応芸能人である俺のことを心配して言うに言えなかっただけなのを、彼女らも分かっているからだろう。

「えぇお友達に恵まれたみたいでよかったですわ!ホンマはもうちょっと話聞かせてもらいたいんやけど、この酔っ払い連れて帰らなあかんから、お先に失礼します」

名前の代わりに財布から万札を数枚取り出してテーブルに置くと「こんないりませんよ!?」と声が上がる。

「いつも名前と仲良うしてくれてるお礼と、えぇ話聞かせて(もろ)たお礼やから、気にせんとってください」

「えぇ話?」と不思議そうな彼女らを横目に、むにゃむにゃと呑気に寝顔を晒す名前を引っ張り起こす。片腕を肩に担ぎ立ち上がると、名前はようやくうっすらと目を開けてこちらを向いた。

「……ささらや」

「おー、簓サンが迎えに来たったよ」

「ありがとぉ……」

アルコールで火照った顔をへにゃと綻ばせて言うと、再び夢の世界へ旅立とうとするので、真っ赤な頬をぺちぺちと叩いて呼び戻す。
そんな名前の様子を見て、友人たちは「え、誰?」「グズグズやん」「えっ、ホンマに誰これ」とざわつく。せやなぁ、普段はシャンとしてるもんなぁ、でも俺はこんな名前見んの初めてやないで、と、女友達を相手に優越感に浸った。大人げない。

* * *


あー、さっきのタクシー待たせといたらよかったな、と思いながら商店街を歩く。まさか名前がここまで酔っているとは思っていなかったので、電車で帰るかと考えていたのだが、

「いや、おっもいわ自分!ちょっとは自力で歩いてくれへん!?」

いくら恋人でそのうえ酔っ払いとはいえ女性に向かって重いはダメだろうと、友人たちの前では自重したが、さすがにそろそろ肩と腕が限界だった。これは帰りもタクシーじゃないと、今度は俺が潰れる。

「ったく、手ぇも金も掛かるなぁ」

……まぁ、さっき飲み屋の金出したんは自分の意思やけど。
本当は彼氏なんていないんじゃないかとか、ヤバい男だから言えないんじゃないかとか、気の置けない友人ゆえのなかなか辛辣な心配の仕方をされてもなお俺のことを黙っていた、その健気さが愛おしくて可愛くて、この感情をどこにぶつければいいのか分からなくなって、気が付けば諭吉が数人、財布から飛び出していた。とりあえず情報源に感謝の意を示したかったのだと思う。

(しかも、そのくせ惚気るだけ惚気るって何やねん、そりゃ架空の彼氏や思われても文句言われへんわ)

惚気って具体的に、と訊きたい気持ちは山々だったのだが、さすがにこんな状態の名前をいつまでも放置するわけにもいかず、店を出てきてしまった。今度の飲み会は俺も連れてってくれへんかな、なんて。

「ん……」

ほぼ独り言と化していたそれに、随分遅れて返事が返ってきた。わずかに肩に掛かる体重が軽くなる。

「お、起きたか?すぐタクシー拾ったるから、それまで頑張ってや」

「うん……」

自分の足で歩きだしたのか、ようやく少し肩が楽になってほっとする。すると名前は俺が担いでいるのと反対の腕をゆるゆると持ち上げ、俺の服の脇腹のあたりをきゅっと掴んだ。
――普段からこれくらい甘えたやったら可愛げあんのになぁ。

タクシーに乗せるや否や、名前は俺の太腿を枕にして再び寝息を立て始めた。そんなカッタい枕でよう寝るなぁ、と思う。
急に手持ち無沙汰になったので、未だほかほかと熱い頬を指で突いてみたり、乱れた髪を整えるように撫でてみたりしていると、名前は嫌そうな顔でわずかに目を開け、しかし犯人が俺だと分かると再び目を閉じてしまった。

「名前、気分(わる)ないか?」

「ん、だいじょうぶ」

普段ここまで飲んでいるところはなかなか見ないので、名前のアルコールへの耐性がどれほどなのかよく分からない。とりあえず本人が大丈夫と言っているのを信じるしかないか。

「名前さぁ、なんで俺のこと友達に話してへんかったん?」

素面のときより今訊いたほうが素直な感情を吐露してくれるのではないかと思いつつ、いかんせん酔っ払いが相手なので返事はあまり期待していなかったが、意外にも名前は「うー……」だの何だの唸ったあと、いつもより舌っ足らずな声で答えた。

「あの子らのこと、信じてへんわけやないけど……簓の足引っ張る可能性は、少しでも減らしたいに決まってるやろ……」

そう言って俺の脚に顔を押し付けるのはただ眠いからなのか、耳まで赤いのはアルコールのせいだけなのか、長い付き合いで分からないわけがない。
うつ伏せになった頭をわしゃわしゃと撫でると、何すんの、と抗議の声が上がる。

「俺、めっちゃ愛されとるなぁ」

噛み締めるように言うと、名前はぴたりと固まったあと、今にも消え入りそうな声で「愛してるもん……」と答えたので、今度はこっちが固まる番だった。
――えらい……お口が(ゆる)なっとるなぁ。普段からこんくらい素直やったらえぇのに。

「……でもな、名前。俺、別にアイドルとかやないねんから、そこまでして隠さんでもえぇんやで」

「あかん……いつ何が叩かれるか分からへんし……私なんかが相手やったら簓のファンも納得せぇへん……」

「……何やそれ」

うつ伏せで口をもごもごさせていた名前の肩を掴み、無理やり身体を反転させると、眠気なんて吹き飛んだかのように目を大きくしてこちらを見た。

「な、なに」

「世間やファンに反対されたら、名前は俺から離れる気なんか?」

肩から離した手を両頬に添えて、名前の顔を覗き込む。俺の言葉に名前はひどく悲しそうな顔をして瞳を揺らした。

「いやや……」

「ん、俺も嫌やわ」

にっと笑ってみせると、名前も少しだけ口角を上げる。それを親指で撫ぜると、くすぐったそうに目を細めた。

「ま、何がどう叩かれるか分からへん時代やいうんは同意するけど、俺、ちゃんと責任取るやん」

「……責任?」

「真剣にお付き合いさせてもうてますって、世間にも名前の家族にも友達にも、いつでも胸張って言えるからな」

俺がそう宣言すると、名前は「……へッ」と気の抜けた声を上げた。

「なっ、そ、そんなん言うてもたら、もう別れられへんやん」

「はぁ?別れる気ぃも別れさせたる気ぃもないぞ」

ボッと音がしそうな勢いで赤くなった顔を慌てて覆う名前の両手を、自分のそれでこじ開ける。うっすらと涙まで浮かべて口をパクパクさせる様子を見るに、驚きと戸惑いと恥ずかしさでアルコールなんてとっくに吹き飛んでしまったのだろう。

「……わ、私、簓の恋人なんやって、言うてえぇの?」

「むしろ今まで仲良い友達にすら言うてなかったことのほうがショックやねんけど」

少し恨みがましく言ってやると名前は慌てて謝ったが、そのあと、今日迎えに行って最初に目を覚ましたときのように、へにゃと顔を綻ばせる。

「うれしい」

たった四文字、しかしその言葉に込められた名前の感情はあまりに大きくて、温かくて、その笑顔以上にきらきらと眩しく輝いていた。

(……こらプロポーズしたらどんなリアクションしてくるんか楽しみやなぁ)

そんな俺の心など露知らず、名前は子供のように無邪気に笑っていた。

Fin.

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