※モブ目線
オオサカひとり旅二日目。朝から通天閣に登り、道頓堀を散策し、新喜劇を見て一日中オオサカを満喫した日の夕方。さすがに歩き疲れて喫茶店で一休みしていたところだった。
これまた絶対に飲みたかったミックスジュースを注文して少ししたころ、隣のテーブルにカップルが案内された。俺の隣であるソファー側に彼女のほうが腰を下ろす。お土産で嵩張った荷物を慌てて自分のほうへ寄せると、彼女は「ありがとうございます」と言って微笑んだ。関西弁の訛りの混じったそれに少しドキドキしつつ会釈を返す。
対面に座る彼氏であろう男が「よっこいしょういち」と口にしながら腰を下ろす。そんなギャグが生きているなんてさすがオオサカ、と思ったら彼女のほうが「外ではやめって言うたやろ」と注意したので彼が特例のようだ。
(テレビでしか聞いたことないな……この間も……誰だっけ)
「簓、クリームソーダ?」
(そうそう、白膠木簓……え?)
思わず顔を上げそうになったのをぐっと堪え、時計を見るふりをしてちらりと視線をやると、キャップを深々と被ってはいたが、そこにいたのは確かに白膠木簓だった。
さすがオオサカ……とはいえデート中のようだし、話しかけるわけにはいかないか。
「えー、待って、今日はちょっと考える」
「それ言うて、いつも結局クリームソーダやんか」
……普通だ。テレビで見るときとはまるで違う、普通の青年。そりゃ、普段からあんな溌剌としていても驚くが。彼女に呆れたように言われてもどこか嬉しそうに笑う、いたって普通の青年、普通の仲良しカップル。結局、白膠木簓はクリームソーダを注文したようだった。キャラ付けとかじゃなくて本当に好きだったんだなあ。
あまり聞き耳を立てるのもよくないと思って、ホテルまでの道程を調べたり、明日の予定を確認したりしてみたものの、ひとりだとどうしても隣の会話は聞こえてしまうもので。
「名前さぁ、ちょっと愛想振りまきすぎやない?」
「……は?」
先ほどまでの和やかな空気から一転して、まるでピシ、と亀裂の入る音が聞こえるようだった。そんなこと知る由もない店員が、ふたりの注文したクリームソーダとカフェラテを運んでくると、ふたりは何事もなかったかのように笑みを浮かべ、
「おおきに!」
白膠木簓が快活にそう言うと、彼女のほうも小さく頭を下げる。店員も会釈を返して去っていき、とても気持ちいいやりとりに見えたのだが、店員がキッチンへ引っ込んだ途端、再びぴりりと空気が凍る。
「簓だって、今みたいなことするやん」
「お礼言うんは当たり前やろ」
「……こういうとこの可愛いお姉さんと、居酒屋とかのおっちゃんに言うとき全然テンション違う」
「んなことないわ」
彼女は可愛らしいイラストが描かれたカフェラテを一瞬眺めたあと容赦なくスプーンを突っ込み、ぐるぐるとかき混ぜはじめた。相当ご機嫌ななめらしい。
「名前かて、いつも後輩の若手芸人に挨拶するときと、さっき駅で偶然兄さんと会うたときと全然態度ちゃうやん」
「それは緊張してるって言うの!ちゃんとせな簓の評判に関わるやろ!」
……話だけ聞いていたら、どう考えても彼女さんの言い分のほうが理に適っていると思うけれども。白膠木簓の先輩って、要するにそこそこ売れている芸能人だし、そりゃ緊張もするだろう。
それらしくスマホの画面を眺めながら聞き耳を立て、そんなことを考えていると、白膠木簓が好物であるはずのクリームソーダに未だ手を付けていないことにふと気が付いた。ちらりと視線をやると、グラスの上のアイスクリームが溶けはじめて、じわじわと溢れている。俺のほうから見えるということは、本人の視界には入っていないのだろう。
「簓、アイス溶けてる」
喧嘩の真っ最中のはずだろうに、彼女は軽く腰を上げるとさっとロングスプーンを手に取り、グラスのふちをなぞるように掬い上げた白を、対面の白膠木簓の口元へと伸ばした。白膠木簓も当然のように、ぱくりとそれを口に含むと、そのままロングスプーンを受け取って、シャクシャクとアイスクリームを解しにかかる。
(喧嘩するほど仲がいい……)
このまま別れ話でも始まったらどうしようかと思ったが、その心配はなさそうだった。とはいえ、話が済んだというわけでもなく、
「とにかく、あんま他の男相手にニコニコしたら嫌や」
「別に媚びてるわけやないやん」
「名前にその気がなくてもな、名前みたいな可愛い子にニコニコされたらみんな調子乗んねんて!俺には分かる!俺もそうやったから!」
……何の自白だ。聞いてはいけないものを聞いてしまった気がした。彼女のほうも怪訝な顔で「はぁ?」と声を上げる。
「じゃあ、簓の知り合いとか店員さんとか相手にもずっとムスッとしてたらええの?」
ムスッ、とはまさにこういう表情なんだろうなと。そんな顔で彼女は白膠木簓に問いかけた。
「簓はそんな私が好きなん?」
「え、」
「私だって、簓が女の子相手にもヘラヘラしてるの嫌やけど、でも誰にでもニコニコしてる簓が好きやから、そんなこと言わんかったのに」
――これは勝負あっただろうか。
彼女がわざとらしいほど目に見えてしゅんとすれば、白膠木簓は絵に描いたように慌てだして、
「っお、俺もニコニコしてる名前のほうがええ……」
そんな情けない声も出るんだな、と少々失礼なことを考えつつ、ちらりと顔を上げてみると、それはもう今にも泣きだしそうな表情をしていて、思わず噴き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「もうこの話終わり?」
「……ん」
したり顔の彼女がそう言うと、白膠木簓は少々不服そうにしつつも小さく頷く。それを確認すると彼女はふっと微笑んで、もう怒っている様子ではなかったのだが、白膠木簓は「……ごめんな?」と言って彼女を見つめた。
「いいよ、簓は私のこと大好きやもんな」
「名前かて似たようなこと言うたやんか」
「私も簓のこと大好きやもん」
いたずらが成功した子供のようににいと口角を上げた彼女がそう言うと、白膠木簓は一瞬ぴたりと固まって、それから大きな溜息とともに両肘をついて頭を抱える。
「アカンて……」
そう嘆きたくなる白膠木簓の気持ちはよく分かった。ひとの彼女ながら、あまりの可愛らしさに変な声が出そうになってしまった。
(そりゃ、ヤキモチも妬くよな……)
まったく、急に喧嘩が始まったときは、まさか旅行先で一組のカップルの終わりを見届けさせられるのかとハラハラしたが、最終的にすっかりノロケられただけで……まあ、よかったのか……。安心感が芸能人に会えた感動を勝ってしまった。
ふたりが仲良く去っていったのを見届けたころには、せっかく頼んだミックスジュースはすっかりぬるくなっていた。
Fin.