ポップスター

「フラれた!」

声高に宣言されたそれに、俺は思わず持っていたマグカップを落っことしそうになって、すんでのところで堪えた。
たまーに来るお気に入りの喫茶店、彼女は向かいの席で甘ったるそうなココアを啜っている。まあ、クリームソーダを好んで飲む俺に言われたくはないだろうが。この店のメニューにもクリームソーダはあるのだが、今日は寒いなかをしばらく歩いてきたばかりだったので温かいカフェラテを頼んだのだった。

「えーと……聞いてほしい話ってそれ?」

彼女は養成所時代の同期で、今は普通に会社勤めをしている。続けていればいつか売れるほどの実力はあっただろうが、経済的に限界が来てお笑いからは足を洗ったそうだ。いや、足を洗うって犯罪やないねんから。
彼女が進退に悩んでいたころ、俺は東都にいて、何の相談にも乗ってやれなかった。来月から会社員、なんて事後報告を受けて少なからずショックを受けたことは記憶に新しい。まるで、盧笙のときのようだった。
――だから、彼女から話を聞いてほしいと連絡があったとき、俺は一も二もなく承諾して、しばらく東都での仕事が続いていたにも関わらず合間を縫ってオオサカまで飛んできたのだ。もう後悔はしたくなかったから。

「何?マルチか宗教勧誘とでも思っとった?」

「いや、そういうわけやないけど」

……そんなことをしそうな人間に心当たりがあるばかりに何とも言えない気持ちになる。しかし、そんなこと知るはずもない彼女は特に気にする様子もなく続けた。

「芸人辞めて会社員なってから、昔の友達ってなんか会いにくくってさぁ……白膠木やったらええかって真っ先に思い浮かんでん、しかもそのときタイミングよくテレビ映って」

「そんな選び方ある?」

そこで気後れせず連絡してくるところが、なんとも彼女らしい。一応定期的に連絡は取り合っていたとはいえ、こうして顔を合わせるのは俺が東都に行って以来だから数年ぶりだ。自分で言うのもなんだが、すっかり有名人となった俺をこうも気軽に呼び出せるものか。
……まあ、正直ちょっと嬉しいんやけど。養成所時代、俺は少し、彼女に気があった。お互いそれどころではなかったので何のアプローチもしなかったが。

「躑躅森でも良かったけど、話題的にちょっと違うかなって」

盧笙とも連絡を取っているのに少し驚く。コミュ力おばけか、こいつは。盧笙は盧笙で真面目なので同期から連絡があれば律儀に返事はするのだろうが。

「話題って、その、フラれたーいうやつ?」

「うん」

それは確かに、盧笙の担当ではない気がする。かといって俺でもない気もするけど。とはいえ、他に相談する相手がいないなら聞いてやろうとは思う。

「今の会社入って、割とすぐ付き合いはじめてん。ニ、三年?このまんま結婚するんかなぁとか、なんとなく思っとった」

「……なんかホンマに普通すぎてびっくりしとる」

「どういう意味?」

思ったままのことを呟けば彼女は頬を引きつらせた。

「なんかもっと、波乱万丈的な人生送るもんやと思っとったわ」

「人を何やと思ってんの?」

養成所時代の彼女はまさに天真爛漫、自由奔放という感じで、心の赴くままに生きていた。その姿がどうにも魅力的で、何故か目で追ってしまって、こういうのを「華」って言うんやろな、と思った。だから、彼女が芸人を辞めたと知って俺はショックなのと同じくらい恨めしくも思ってしまった。それはきっと身に着けようと思って身に着くものではない彼女の才能だったからだ。

「……まあいいわ、それでこの間、ふたりでご飯食べに行ったときに、なーんかもじもじしてたからさぁ」

中身が半分ほどになったマグカップにスプーンを突っ込んでくるくるとかき混ぜる彼女の顔が不意に憂いを帯びる。そんな顔もするんやなぁ。俺の記憶の中の彼女はそんな顔ついぞしなかった。彼女にそんな顔をさせる男がいるのは、なんとなく面白くなかった。

「いよいよプロポーズかなぁ、ってちょっとワクワクしとってん。でもご飯食べ終わって、言うにこと欠いて『好きな人ができた』って」

彼女の手が止まる。それから聞いたことのない低い声で「しばき倒したろか」と呟いた。話を聞いてほしいと言うからまだ引きずっているものかと思っていたが、彼女はもう悲しみのほとんどを怒りに塗り替えてしまっているようだ。

「二股かけられとったん?」

「いや、二股ではないって。私と別れてからアタックするんやって……なにそんなとこだけ誠実さ見せとんねん」

ふは、と彼女は息を漏らすようにして笑った。笑うしかない、というほうが正しいのかもしれない。

「なんかもうそれで全部どうでもよくなってもうてさ、あっそ、言うて帰ったわ」

最後に会計は押し付けたった、とドヤ顔をする彼女の表情にわずかに翳りがあるのに気付かないほど俺は鈍感ではない。でも盧笙やったらどうやろ、あいつはどっちかというと彼女以上に怒り心頭で、そんな感情の機微に気付く余裕を失っていたかもしれない。そう思うと、やはり彼女の人選は適切だったようだ。
――というか、俺も多少は怒るそぶりなど見せるべきなのだろうか。彼女がそんな男から解放されてせいせいしている、なんなら少し嬉しい、というのが正直なところだ。

「でもそれで解決してへんから呼び出したんやろ?」

「解決っていうか、まあ、まだモヤモヤしてるって話やんなぁ」

そう言うと彼女は苦笑いをしてココアを一口啜った。

「一応結婚考える程度には好きやったわけやし、これでピンピンしてるほうがどうかしてるやろ」

「まあ、それはそうやんな」

彼女に倣い俺もカフェラテを啜る。……苦い。やっぱりクリームソーダにすればよかった。

「まあ、でも終わったこといつまでもぐちぐち言うててもしゃーないし!白膠木、なんかパーッと元気出るオモロいこと言うて」

「は!?無茶ぶりにも程があるやろ」

「こないだもなんか優勝しとったやん、これくらい余裕のよっちゃんやろ」

「いやいやいや……」

無茶苦茶言うなぁ。全員笑っかしたら100万円――なんてバラエティ番組で絶対笑わんやろってオッサン引き当てたときより無理な気しかせえへんわ。そういえば、結局そのオッサンは始まってすぐに笑っとって、トークの間はニコニコしてたネエちゃんが始まった途端スンと真顔になって100万取りそこねたんやったか。

「せやなぁ……」

やっぱり、そのバラエティ番組よりよほど難易度が高い気しかしなかった。いくら俺でも、ほんの数秒で彼女の数年分の悲しみを吹き飛ばすなんて土台無理な話だ。
やるなら相応の時間が欲しい――相応の?

「ほな、代わりに一個提案やねんけど」

「えぇ、何?」

ぱっと笑みを浮かべる俺に、彼女が訝しげな視線を向ける。手っ取り早く笑いたかったのに、という言葉に何やこいつと思いつつ、俺はぴっと人差し指を立てて言った。

「そいつの代わりに俺と付き()うたらええねん」

「……は?」

「や、さすがの俺もこんな一瞬で嫌なこと全部忘れさせられるほど笑かされへんからな、しばらく時間貰おー思て」

「え?」

……話が進まない。彼女は今日一番にぽかんとした顔で俺を見ては意味をなさない音をこぼすばかりだ。

「……いや、ちょ、ちょっと待って」

「いくらでも待つでー」

「自分いま何言うたか分かってる?」

「俺と付き合おー言うた」

ハァァ、と盛大な溜息とともに彼女は頭を抱えた。漫画みたいなリアクションだなと思った。

「……何?目の前に傷心の女がおるから、とりあえず行っとこーって話?そんな男やったん?」

「いやいや、そんなわけないやん、俺そんなふうに思われとったん?」

「思ってないから困ってんねん」

俯く彼女の表情は見えない。ということは、俺の顔も見えていないということで、俺は緩む口元をごまかすこともしなかった。そこまで最低のクズ男とは思われてないらしい。しかも「困る」ということは、問答無用でお断り、なんてことにはならない程度には脈があるということだ。

「俺やったら会うの苦やなくて、しかもどんな話でも聞いてくれると思ったんやろ?」

「……うん」

「で、簡単に笑っかしてくれると思ったんやろ?」

「そ、そう」

「めちゃくちゃええ彼氏になると思わん?」

「なんでそうなるん……」

ちらりとこちらを見た彼女の顔は、よく熟れた林檎のように赤い。見ているこちらもどっと体温が上がって、おかしくなりそうだった。

「……アカン、白膠木忙しいもん、遠距離とか無理」

……その忙しい男を平気で呼び出したのはどこのどいつやねん。

「ええ、俺大阪拠点やん」

「ほとんど東都におるんちゃうの」

「まあ半分くらいは向こうやけど……でも寂しい思いはさせへんで」

そう言うと、じとりと物言いたげな視線が向けられる。口だけならなんとでも言える、なんて思われているのだろうか。それは心外だ。

「……俺、今日このあとも東都で仕事やし、昨日も夜まで向こうで仕事やったんを朝イチで帰ってきてんけど」

「……へ?」

ずっと伏せられていた顔がぱっと上げられて、丸い目が大きく見開かれる。俯いてもじもじしているのも可愛らしかったけれど、やっぱりちゃんとこっちを見てくれているほうが嬉しい、なんて呑気に考えた。

「そ、そこまでして来てくれたん……?なんで……」

「自分が何も言わんと芸人辞めたんを後悔しとったから……と思っとってんけど、たぶん普通に会いたかったからやな」

「嘘くさ……」

ふ、と声を漏らしながら微笑む顔に、俺を疑う色はない。だから俺は何も言わず、彼女の言葉を待った。

「分かった、じゃあとりあえずデートからにしよ」

「よし!ほな今から行こ!」

「え?仕事は?」

「まだあと一時間くらいならイケる!」

カップに残っていたカフェラテを一気飲みして言うと、彼女はまた目を丸くしたあと、ぷっと噴き出した。

「別に時間取らんでもちゃんと笑かしてくれるやん」

「え、もう用済みなった?」

「ううん、行こ」

彼女もまたカップを空にして、伝票を手に取り立ち上がる。それをさっと引ったくると、空いた手がするりと俺の腕に絡められる。
――そういえば、盧笙ともまだ連絡取ってる言うてたな。今すぐ伝えるのと、正式に付き合ってから伝えるのと、どっちのほうがええリアクション見れるやろ……なんて考えてしまうのは、完全に職業病というやつである。

Fin.

prevnext

Main
Top