幼馴染とにわか雨

窓の向こう側には滝のように水が流れ、轟々と物騒な音がする。薄暗い空は時折ぴかりと光り、少し遅れてゴロゴロと低い音を響かせる。

「はぁ、助かったわ」

洗面所から持ってきたタオルを盧笙に手渡すと、そんなことを言われたので「あぁ」とか何か適当な返事をした気がする。もう一枚のタオルを手渡した相手はそのまま洗面所に残り、今ごろシャワーを浴びているはずだ。

* * *


それは、いつものように三人で遊びに行った日のことだった。日が暮れ始めて、そろそろ帰ろうかと思いはじめたころ、ぽつりと落ちてきた滴が名前の頬を流れて落ちた。それがどしゃぶりの雨に変わったのはほんの数秒後で、俺たちは大慌てで走り出した。そのとき、そこから一番近かったのが俺の家だった。

「名前、シャワー浴びてきたら?」

三人揃ってぜえぜえと息を切らせ、家に飛び込むなり、俺は名前に向かってそう言った。髪も服もびしょぬれの名前の姿を見れば当然のことなのだが、それは俺も盧笙も同じなので、名前は「いや、でもここ簓んちやし簓から」と躊躇うそぶりを見せる。

「女の子が身体冷やしたアカンやろ、俺らは後でええから」

盧笙もまた真面目な顔をして頷いた。
俺は名前から荷物を半ば無理やり奪い取り、そのまま洗面所へ押し込んだ。タオルを三枚取り出して、一枚を名前に押し付け、バスタオルはここ、シャンプーとか好きに使ってな、着替えは後で置いとくから、とか色々と早口で伝えて、名前の返事も待たずに洗面所を飛び出した。
後ろ手にドアを閉めると、唐突に冷静になる。え、名前、俺んちでシャワー浴びんの?数秒固まったあと、びしょぬれのまま放置している相方の存在を思い出して慌てて動き出した。

それから数分の記憶は少し朧で、盧笙と何かぽつぽつと話しながら髪や身体を拭いていたはずなのだが、何を話したのかまるで覚えちゃいない。

「簓、Tシャツか何か貸してくれへんか」

「あ!名前の着替え!」

盧笙の一言で再び立ち上がり、箪笥をあさる。できるだけ小さいTシャツと、下は紐付いてるジャージとかのほうがええかな。うんうん唸っていると、いつの間にかすぐ後ろに立っていた盧笙に「一番デカいの貸して」と言われた。嫌味なやつ、と一瞬思ったが、盧笙のほうがデカいのは紛れもない事実なので何も言い返せず、一番余裕のあるTシャツを渡した。

「盧笙、これ洗面所に置いてきたって」

なんとか名前のために選んだそれを手渡しながら言うと、盧笙はきょとんと不思議そうな顔をする。

「自分で行けや」

「いや……名前が脱いだ服そのへんに置いてたら思て」

「そんなん俺でも見られたら嫌やろ」

いや、名前が見られたら嫌やろなっていうのもあるけど、俺が見たくないというか、いや、見たくない言うたら話が変わるんやけど、なんというか……とにかく見てはいけない気がした。
盧笙はまだ少し何か言いたそうな顔をしながらも「……分かった」と言って洗面所へ向かって歩き出した。

* * *


「なんやおまえ、落ち着きないなあ」

名前が戻ってくるのを待つ間、濡れた服をとりあえずハンガーにかけてみたり、冷えた身体を温めるためお茶を淹れてみたりと動き回っていると、唐突に盧笙がそう言う。

「別に名前が来るの初めてやないやろ」

「来るんは初めてやないけどなぁ……」

シャワー浴びてるんなんか初めてやん、なんて言ったらたぶんゴミを見るような目で見られるのは容易に想像できたのでぐっと飲み込んだ。ああ、ということは、すっぴんを見るのも初めてか。楽しみなような怖いような。
ひとりで百面相をしていたせいで、結局冷ややかな視線を送られていることに気付き、苦笑した。

「いや、盧笙が一緒でよかったわ」

「……どういう意味や?」

「ドキドキしすぎて頭おかしなりそう」

「もう大概おかしいやろ」

「は?」

なんて、心底馬鹿にしたようなリアクションをしつつも「何がそんなドキドキすんねん」と声を掛けてくれるので盧笙は優しい。優しいが、それは今は訊いてくれるなとも思う。

「……名前が俺んちでシャワー浴びてる(おも)たら色々とヤバイ」

その緊張感をひとりで抱えるのに堪えかねてぽつりと呟く。何も言ってこない盧笙の顔をおそるおそる窺うと、案の定、絶対零度の視線をこちらへ送っていた。

「なん……、え……?おまえちょっと表出ろや」

「ちょお待って、考えてえな、好きな子が自分ちで風呂入ってんのヤバない?」

「そういうこと考えるんは百歩譲っていいとして、それをそいつの幼馴染に言うな」

「それは間違いないな」

しみじみと言うと盧笙の平手が俺の後頭部を襲った。いつものツッコミとは違うガチのやつだった。まあまあ痛い。

「あ、なあ盧笙、シャワー浴びてからでええから名前の着替え取ってきたってや」

「今の話聞いたあと、おまえと名前ふたりきりにすると思ったか?」

「……確かに」

「確かにちゃうわ」

そう言うと盧笙は元いた場所にどっと腰を下ろして、俺が淹れたお茶を勝手に啜りだした。

「なんならこのあとシャワー浴びる間すら不安やねんけど」

「何もせんて!するわけないやろ!?」

「いや、説得力皆無やねん」

ぐうの音も出ない。俺も立場が逆だったら全く同じことを考えると思う。信用ならんわ、ホンマ。俺のことやねんけど。

「でもどないする?うちに乾燥機なんて便利なもんはないで」

「……ドライヤーで頑張る?」

「何時間かかんねん」

俺も盧笙の向かいに腰を下ろし、同じようにお茶を啜った。盧笙が着替えを取りに行けないとなれば、別の手立てを考えなければ。「いっそ洗濯してもうてふたりとも泊まったら?」なんて言ったら熱々のマグカップがそのまま飛んできそうなので口をつぐんだ。

「しゃーない、タクシー呼んで俺が送るわ。それくらいは我慢してもらお」

「ええ、ここから名前んちまでなんぼかかるん!」

「そんなん言われても、あんなカッコで外歩かせられへんやろ!」

……あんな?と、言い方に引っ掛かって盧笙を見ると、俺の後ろにじいと視線を送っている。おもむろに振り返ると、シャワーを浴び終わったらしい名前がおそるおそるといったふうに洗面所から顔を覗かせているところだった。

「おまたせ、ごめんな、ふたりも()よ入り?」

はじめに俺が渡したタオルを首に掛け、バスタオルと元々着ていた服を抱え、名前がこちらへ向かって歩いてくる。髪はまだ湿ったままで、血色の良くなった頬は化粧を落としてなんていないみたいに鮮やかなピンク色をしていた。貸したTシャツとジャージはその布地の半分以上が無駄なのではと思うくらい有り余って、名前の身体をいっそう小さく見せた。

「……簓?」

名前を見上げ、口を開けたまま固まる俺を、目の前にしゃがみこんだ名前が不思議そうに覗き込む。そんなことをしたらガバガバのTシャツの首元が大変けしからんことに、と思えば思うほど視線を逸らせないのが男のサガで、しかし盧笙がわざとらしく大きな咳払いをしてくれたおかげで俺の面子は保たれた。バッと顔を背けると名前は「……何なん?」とどこか不満そうな声を上げたが、文句を言いたいのはこちらのほうだ。名前の頭が動くたび、揺れる髪からうちのシャンプーの匂いがする。いつもの女の子らしい花のような香りではなく、俺と同じ。

(勘弁して……)

助けを求めるように盧笙に視線を送るも、相変わらず冷たい目を向けられるばかりだった。

「なあ、濡れた服どないしよう」

「ああ、とりあえず干しとき、あとで考えよ」

名前が不安そうに言うと、家主の俺を差し置いて盧笙が答える。それから窓辺に俺たちの服が干されていることに気付き、空いたハンガーを手に取った。

「次どっちが入るん?簓?盧笙?」

てきぱきと服を干しながら、なんとはなしに名前が言う。すると盧笙は俺の意見を確認することもなく答えた。

「俺らふたりで入ってくるわ」

「……え?」

「は!?盧笙、何言うてるん!?」

「おまえ名前とふたりきりにできるか」

「いや、何もせえへんわ!」

いたって真面目な顔をした盧笙に、ぽかんとしたまま固まっている名前。そりゃそうなるわな。俺も自分のことじゃなかったらそうなるわ。

「ちょ、盧笙ホンマに勘弁して!俺が悪かった!盧笙おんのに何もするわけないやん!」

「俺がおらんかったらするんか」

「ちゃうちゃうちゃう、そういうことやなくて」

盧笙に首根っこを掴まれて洗面所に連行される俺を、名前がわけが分からないという顔でオロオロしながら見守っている。可哀想というか申し訳ない気持ちになるが、説明するわけにもいかず、サッと目を逸らした。

「名前、風邪引かんようにちゃんと(あった)かくしときや、そこのお茶飲んでええから」

「あ、うん」

「いや、それ俺の台詞……」

盧笙に引きずりこまれた洗面所のドアが閉まるそのギリギリまで、俺は湯上がりの名前の姿を目に焼き付けんと必死だった。

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