我が家にこたつがやってきた。
俺も盧笙も名前も一人暮らしで、ひとりでは金銭的にもスペース的にもなかなか手が出ないこたつだが、三人で使うとなれば話は別で、お金を出し合い、誰かの家に置こうという話になって。一応一番広いうえに物も少ない俺の家に白羽の矢が立ったというわけだ。
多少スペースを取るのは難儀な話だが、ふたりがいないときにだって使ってもいいわけで、それにふたりを……というより、名前を呼ぶ口実になるのならば易いものだ。
というわけで、届いた翌日に早速「せっかくやから鍋パでもしよーや!」と提案してみたものの、名前は予定があるからと、結局盧笙だけが来ることになった。さすがに鍋は中止になったが、こたつは早く見たいらしい。今週からぐっと冷え込んだしな。なんだかんだで長居されそうだ。
盧笙が来る少し前に帰宅した俺は、先にシャワーを済ませておくことにした。おそらく今日の盧笙は夜中まで、下手したら朝まで居座りそうだし、それならこちらもお泊まりモードで迎えてやろう。夕飯の用意をする時間はなかったが、酒だけはしっかり買い込んできてある。
シャワーを浴びる前に時計を確認すると、約束のほんの十分前だった。
(ま、盧笙だけなら多少待たせても半裸で出迎えてもええか)
そんな失礼なことを考えながら、もそもそと服を脱ぎ始めた。
* * *
ピンポーン、とインターホンが家主を呼ぶ音が外にまで聞こえてくる。しかし返事はない。
(一応、盧笙はこの時間に約束してるって言うてたけどなぁ……)
急遽予定が変わり時間ができた私は、昨日こたつが届いたという簓の部屋を訪れていた。鍋パしよ、という誘いを断ったあと、簓がメッセージアプリに連投した悲しみを表すスタンプを思い出して。その後、簓は盧笙に「明日って急に言われても無理やろ」とたしなめられていて、それはまあ、その通りだとは思ったけれど、少し可哀想な気持ちがなかったわけではない。
予定変わったから行く、という連絡がギリギリになってしまったからか、簓からの返事は未だない。しかし盧笙に確認すると、ふたりとも直前まで別の予定が入っているからご飯のことは何も決めていないと言われたので、勝手に鍋の用意を買い込んできてしまった。三人分の食材と、せっかくのこたつを満喫するためいつもより多めに買い込んできたお酒たちは存外重いので早く出てきてほしいのだが。
数分待ったが返事はない。まだ帰っていないのだろうかと思いつつ、もう一度インターホンを押してみると、今度はドアの向こうでパタパタと足音がした。
「すまんすまん、盧笙!お待た……せ……」
ガチャガチャと、鍵を開けチェーンを外す音がしたあと、部屋の主が勢いよくドアを開けた。申し訳ないなんてまるで思っていなさそうな薄っぺらい謝罪の言葉とともに飛び出してきた簓は、何故かパンツ一枚で、その素肌にはところどころ水滴が残っていて、それから肩に下げたタオルが目に留まり、ああ、お風呂上がりか――なんて冷静に理解はしたものの、
「……あ、えっ」
「うわッ!?えっ、なんで名前!?いや、ごめんっ!」
再びバタンとドアが閉められて、その向こうでは何やらバタバタと駆け回るような音がする。私はというと、頭にこびりついた景色を処理しきれず、呆然とその場に立ち尽くすばかりだった。
簓はパーカーやトレーナーを好んで着ていることが多かったから、あんまり身体のラインが出るような服は見たことがなくて。だから、無駄な肉のない意外に引き締まった身体や直線的なそのラインに、ああ、男の人なんだなって、改めて意識させられてしまった。おかしい。私はこんな、む、むっつりじゃなかったはずなのに……!
そんなふうに悶々としていると、何者かに突然ひょいと両手の荷物を奪われて、思わず悲鳴を上げそうになる。しかし、そんなことをする人物は、ひとりしか思い当たらない。
「何や、簓の叫び声聞こえたけど、大丈夫か?」
「ろ、盧笙……」
約束の時間から十分ほど遅れて盧笙がやってきた。真っ赤に染まった私の顔に気付くと、改めて「……ホンマに大丈夫か?」と覗き込んでくるので、ようやく自由になった両手でぱたぱたと火照った顔を扇ぐ。訝しげな盧笙の視線には気付かないふりをしていると、再びドアノブを回す音がして、今度はちゃんと部屋着を身に着けた簓がおそるおそるというふうにゆっくり顔を覗かせる。
「ご、ごめん、まさか名前が来てると……あ、盧笙来たん」
「どうでもよさそやな……何かあったんか、おまえの叫び声下まで響いとったぞ」
「え、あ……、いや……」
私が何も言わなかったからか、盧笙は簓に詰め寄った。簓は冷や汗をたらたらと流しながら、必死で盧笙から視線を逸らしている。揃って様子のおかしい私たちに何を思ったのかは分からないが、盧笙は再び私のほうを見ると「こいつに何かされてないやろな」と、また答えにくい質問をする。盧笙の肩越しにすっかり青い顔をした簓の姿が見えたので、私はぱっと笑顔を作り「何もないよ!」と答えると、盧笙の背後に回り込み、その広い背中をぐいぐいと押した。
「ほら、いつまで外おるん!
早よこたつ入れてもらお!」
言いながら簓にちらりと目配せをすると、簓もまた「ホンマや、
早よ上がりー」と言ってドアを大きく開ける。盧笙は見るからに腑に落ちないという表情をしていたが、これ以上追及してもどうにもならないと判断したのか、渋々と靴を脱ぎ始めた。
買い物袋を持ってくれている盧笙を先に台所へ押し込むと、簓は玄関先の私を見下ろし、身を屈めて小声で言う。
「助かったわぁ、名前にあんな見苦しいとこ見せたて盧笙にバレたら殺されてまうわ」
「べ、別に見苦しくなんか……って言うのも変な話やな!?この話終わり!ご飯の用意しよ!」
簓があんまり申し訳なさそうな顔で言うものだから、思わず口を衝いて出たその言葉に、そのまま回れ右をして帰りたくなってしまった。本当に、とんだ変態女じゃないか。
* * *
完全に時が止まってしまった俺には、さっさと部屋の中へ歩みを進めてしまう名前を追う余裕なんてなかった。
――いや、あの、うん、ホンマに変な話やとは思うで、何やねん「見苦しくなんか……」って、俺も大概やけど名前もおかしなってもうてるやん。
しかし、慌てて服を着て戻ってから、名前はずっと顔を赤くして俺と目を合わせないようにしていて。普通なら、こんなに露骨に避けられたらショックで寝込んでしまうところだけれども、今回に限っては、それは名前が俺を意識していることの証左でしかなくて。
狭い玄関で俺の横をすりぬけるとき、ひとり分のスペースを作るために名前が俺の腕に触れようとして、しかしハッと息を呑むと慌てて手を引っ込めたのを見て、嘘みたいに心臓が高鳴ってしまった。
(……いや、アカンアカン、ド変態やん)
一歩間違えたら露出狂の思考回路じゃないか、なんて、自分で考えておいてかなり傷ついた。
(ぼちぼち、俺は盧笙とはちゃうんやって、男として意識してほしいとは思っとったけどなあ……)
事故とはいえ、こんな力技に出るつもりはなかったのに。はあぁ、と盛大な溜息を吐いてその場にしゃがみ込むと、その拍子にスマホがポケットからするりと抜け出して床に落ちた。不意に点いた画面には、数十分前に届いていたメッセージが表示されていて、「予定変わったから行く!」と名前、そしてその直後に「忘れ物したからちょっと
遅なる」と盧笙。
なるほどなあ、という俺のひとりごとは再び溜息に変わって空気へ溶けた。
背後からは冷蔵庫を開閉する音や、カチャカチャと食器のぶつかる音がして、ふたりが夕飯の用意を始めてくれているのは明らかなのに、俺はこのあとどんな顔で名前に話しかければいいものかと考えると、もうしばらく玄関先から動けそうになかった。