えらい女に惚れてもうたなぁ、と思ったことを今でも覚えている。
彼女と出会ったのは、盧笙とコンビを組んで割とすぐ。劇場に立ったこともまだ数えるほどしかない、むしろビラ配りが本職とでも言わんばかりの、本当にデビューしたてのひよっこだったころ。
公演終わりに盧笙が「ちょっと人と
会うてくるけど、簓どないする?」と言い出して、今日も今日とて盧笙の家に上がり込む気満々だった俺は、
「んー、近くで待っとく?何の知り合い?」
「幼馴染や、挨拶してくか?」
幼馴染ということは歳も近いだろうし、それに少しでも人脈を広げるのは悪くない。まぁ、相方の幼馴染と繋がったところで、広がったと言えるのかは微妙なところだが。
そのとき、盧笙があまりにも自然に俺に会わせるという選択をしたから、俺は勝手にその幼馴染は男だと思い込んでいたのだ。
「あっ、盧笙!お疲れ!」
劇場近くの喫茶店でマグカップを片手にスマホを眺めていたのは、確かに歳は俺たちと同じくらいの、しかし俺が考えていたのとは真逆の性を持った、つまり、年頃の可愛らしい女の子だった。
俯いてスマホの画面を見つめる、どこか憂いを孕んだ横顔も既に魅力的であったのに、盧笙の姿を見つけると、今度はまるで幼い子供のようにパァと顔を綻ばせる。その笑顔に、俺はまるで雷に打たれたような心地がした。いや、打たれたことないから知らんけど。
ひらりと手を上げ彼女に近付こうとする盧笙のシャツの裾にくいと指先を絡めて引き留める。
「お、女の子かい!聞いてへんやん!」
「言うてへんかったか?でもそんなん気にするようなタイプちゃうやろ」
「気……には、せえへんけど、気になる」
「……は?」
思わず漏れ出た本音の意味は、盧笙には伝わらなかったらしく、突然挙動不審になる俺に呆れるばかりだった。行くで、と、引き留める手をはねのけられる。
「待たせてすまんな」
「ええよ、面白かったもん……あ!」
さっさと歩き出してしまった盧笙の後ろにくっついて近付くと、彼女は俺の顔を見て声を上げる。ガタンと音を立てて腰を上げると、小さく頭を下げた。
「相方さんやん!はじめまして、盧笙の幼馴染の名字名前です」
「……あ、どうも、白膠木簓言います」
突然自分に向けられた笑顔と差し出された手に一瞬思考が停止してしまった。ハッと我に返り名乗ってから、その小さな手を取る。先程までマグカップを包み込んでいた掌はポカポカと温かかった。
「うわぁ、本物!」
「そんな有名人に
会うたみたいな反応しな」
残酷やわ、と盧笙は言う。確かに、未だ売れる予定のまるでない芸人である俺たちには少々酷なものかもしれない。しかし今の俺はそれどころではなかった。握った手は俺の半分ほどしかないんじゃないかと思うくらい小さくて、肌の色は嘘みたいに白い。俺を見上げニコニコと笑うその顔は、頭ひとつ低いところにあって、うわ、女の子やな、と思う。
「盧笙から話聞いてて、一回お話ししたいなぁ思てたんです!あ、盧笙、時間あるんやんな?」
「おー、あるある。コイツどうせ俺んち来てゴロゴロするだけやからな」
「ちょっ、盧笙!」
しれっと俺の怠惰な日常を晒す盧笙を思わず小突くと、とても嫌そうな顔をしたあと「あ?」と凄まれて縮み上がった。いや、でも、少しは察してくれよ。相方の様子がこんなにおかしいというのに。
しかし、盧笙の台詞を聞いた名前……さん、は、ケラケラと楽しそうに笑っていたので、まぁええか。
「じゃ、座ろ座ろ!簓さんも!」
簓さん……と初めて紡がれたその響きを噛み締める間もなく、握ったままだった手を引かれ、先程名前さんがいた席の向かいに座らされる。名前さんが対面に腰を下ろしたかと思うと、盧笙は俺の隣ではなく名前さんの隣に座った。なんでやねん。
「いや、盧笙どこ座ってんのん」
「え?」
(いや、ホンマにな?え?やないわ)
しかし、名前さんがそう言うのは、少なからず盧笙を男として意識しているからなのだろうか……ていうか、このふたり付き
合うてないよな?と俺がハラハラやらモヤモヤやらしていると、盧笙は名前さんにこう言われていた。
「ちゃんと相方と並んで座ってぇや!」
盧笙は大きな溜息を吐いてから俺の隣に移動してきた。名前さんは嬉しそうにニコニコと笑っている。なるほど、そういうことな、と俺も胸を撫で下ろす意でほっと息を吐いた。
それから俺たちは一時間ほど名前さんの尋問を受けた。片方が幼馴染ということもあってか、本当に遠慮がない。自分の知らない幼馴染の姿が気になるのか、俺ばかり名指しで質問をしてくるのは少し嬉しかったけれども、訊かれるのは他の男のことと思うとプラマイゼロか……?
しかし、初対面の俺がいる席でここまで喋るとは、さすが盧笙の幼馴染といったところか。盧笙のツッコミはこの子との会話で培われたのかもしれない。
「うわ、喋りすぎたな、もうこんな時間」
「ホンマにな、俺はともかく、簓にはちょっとは遠慮せんかい」
「う、ごめんなさい簓さん……」
「いや、ええよ!?俺も楽しかったし!」
そこで、今だ、と思って俺は続ける。
「その簓さんていうのやめてぇな、同い年やろ?」
「えっ、じゃあ何て……」
「簓でええよ、あ、あと連絡先交換しよ」
いかにも軽いノリで言ってみせたが、正直心臓はバクバクだった。それがバレないよう、努めてヘラヘラと笑う俺を、隣の盧笙はゴミを見るような目で見ている。なんでや。
「人の幼馴染、目の前でナンパすな」
「ナンパて!人聞き悪いこと言わんといて!」
しかしあながち間違っていないので少々気まずい思いをしながら横目で名前さんを窺うと、まるで意味が分かっていないかのようにきょとんとしていた。それから俺と目が合うと、ニコと口角を上げ、
「じゃあ私も名前でええよ」
言いながらスマホを取り出して、連絡先の交換に応じてくれた。
「えへ、未来の売れっ子芸人の連絡先ゲットしてもうた」
「幸せなやっちゃな」
……絶ッ対売れたろ、死ぬほど売れたろ、そんな相方の熱い思いなど露知らず、盧笙は名前の言葉に苦笑していた。
* * *
明日仕事やから、と言う名前と別れ盧笙の家へ向かう道すがら、盧笙はおもむろに口を開く。
「自分、意外と子供みたいなことするんやなぁ」
「……は?」
わざわざ沈黙を破って吐き出されたその言葉に呆気に取られていると、盧笙は肩を揺らし、クスクスと笑い声を漏らしはじめた。
「名前のこと好きなんやろ」
「えっ!?」
「いや、あれでようバレてへんと思ったな」
アイツも顔だけは
可愛ええからなぁ、と盧笙は続ける。それを聞いて俺が少し慌てると、盧笙はあぁと声を上げ、
「俺は今更そういう感情ないわ、家族みたいなもんやしな」
「そ、そうか」
「せやから簓、おまえがホンマに、本気で名前のこと好きなんやったら俺はいくらでも手ぇ貸したるけど、そうやないんやったら二度と名前には会わさへん」
いつになく真剣な顔をして、キッと目を吊り上げて言う盧笙は、たぶんどこまでも本気なんだろうが、俺は「オトンか?」とツッコみたい衝動を我慢できなかった。案の定、盧笙は「あ?」と凄んでくる。
「すまん、つい」
「……まぁ、言いたなるんは分かる」
自覚あるんかい。しかし、まぁ、盧笙の名前への気持ちはそういうものなのだ、ということは痛いほどよく分かった。
「一回
会うただけの男が何言うたところで説得力ゼロやろうけどなぁ、俺、たぶんホンマに好きやねん」
「たぶん?」
そう繰り返す盧笙の背後には般若が見えた。
「いや、俺かて分からへんねんて!ホンマにちょっと一緒におっただけで、どこが好きや言われても俺も分からへんけど、でもあの笑顔がいつまで経っても頭から離れへん」
自分の頬が熱くなっていくのが分かる。相方相手に顔赤らめて何言うとんねん、と早すぎる賢者タイムを迎えかけていたが、盧笙は盧笙で真剣な顔をして俺の話を聞いているので、尚更恥ずかしくなる。
「……ホンマに子供みたいなこと言うな。中学生の恋愛か」
「えっ」
「おまえの気持ちは分かった。とりあえず今は協力したる」
「ホ、ホンマに!?」
「ちょっとでもやましいことあったら、マジで縁切らすからな」
「……ハイ」
一瞬盧笙が覗かせた柔らかな微笑みを俺は見逃さなかった。「俺も名前にはずっと笑顔でおってほしいからな」と呟く盧笙の表情は、とても家族のようなものを自称する人間が見せるそれではなかったのだが、そんな感情を自覚されたら正直困るというか、俺はこの幼馴染に勝てる気がしなかったので、何も言えなかった。これは“やましいこと”に入るのだろうか、と早々に憂鬱になってしまう。
「ま、頑張りや」
そう言って微笑む名前の幼馴染の顔は男の俺から見てもあまりにも美しくて、名前がこれを見慣れているとしたら、それはもう……ヤバいな……というアホみたいな感想しか出てこなかった。