二月。節分を過ぎると、街は待ってましたとばかりに赤とピンクに包まれる。百貨店の催事場はどこもチョコレート一択。言うまでもない、バレンタインデーである。
いくら甘いものが好きでも、男の俺には参加しづらいイベントである。まあ、お高いチョコレートを気兼ねなく買える経済状況でもないのだが。それに長らく、期待をする相手もいなかったので、完全に他人事だった。だが、今年はわけが違う。
「絶ッ対、名前からチョコ欲しい……」
庶民の味方な安いファミレスで、盧笙と夕食を摂っていると、嵌め殺しのガラス窓の向こうを可愛らしい紙袋を嬉しそうに抱えた高校生が数人歩いていって、思わずそんな声が漏れた。
「俺に言うな」
「おまえ以外に誰に言うねん……」
空になった皿をテーブルの端に寄せながら、盧笙は冷ややかに言う。こんなカッコ悪いこと、盧笙以外に言えるわけがないし、そもそも話が通じすらしないじゃないか。
すっかり炭酸の抜けてしまったドリンクバーのメロンソーダを啜っていると、盧笙は「まあ、」と切り出して、
「チョコは
貰えると思うけどな」
「えっ」
バッと顔を上げる。な、なに、幼馴染の盧笙から見ても脈ありなん……!?なんて淡い期待を抱いてみたものの、盧笙の表情を見るに、そういう話ではなさそうだった。
「俺、毎年
貰てるし、ついでに簓にもくれるんちゃう」
「そういうことちゃうやん」
――嬉しいけど。貰えるもんは貰うけど。ていうか盧笙、十数年ずっと貰ってるんか。羨ましいな。
「ちなみにやけど、それって手作り?」
「まさか。小っちゃいころは作っとったけど、今はもう買ったほうが美味い言うて、自分のと一緒に買うてくるわ」
所詮俺もついでや、と盧笙は苦笑したが、ついででも何でも名前から毎年チョコ
貰てるやつが何言うとんねん、としか思えなかった。
「まあ、でも貰えるだけ幸せかぁ……」
「絶対とは言わんけどな」
「ここまで来てそんなこと言う!?」
***
来るバレンタインデー当日。ライブのあった俺たちは、会場で名前からチョコを受け取れることになっていた。俺のぶんもある、と判明したときは文字通り飛び上がって喜んで盧笙にたいそうウザがられた。
「簓が受け取って
来いや」
お互い都合がつかず、名前は今日は本当にただ渡すだけで帰ってしまうらしい。しょぼくれる俺に、盧笙がそんな提案をした。
「え……ええの?」
「別にええよ、ふたりで行くほうが大袈裟やろ」
俺はあとで電話するし、って、これが毎年貰える男の余裕か。
しかしお言葉には甘えて、名前から連絡が入るなり俺はひとりで楽屋を飛び出した。
「名前、お待たせ!」
裏口を出て少し先に名前の姿があった。手袋をした手に提げられたふたつの小さな紙袋に、思わず目が行ってしまう。
「お疲れ、そんな走ってこんでいいのに」
肩で息をする俺を見て名前が苦笑する。もしかして、めっちゃチョコ欲しい人みたいになってもうてる?
「あっ、もしかしてあんま時間ない!?」
「全然!めっちゃある!」
慌てて紙袋を押し付けて帰ろうとする名前を食い気味に制すと、名前はまた笑った。
「じゃ、こっちのシール貼ってるほうが簓ので、こっちが盧笙の」
そう言いながら手渡された紙袋は同じ店のもので、俺のと言われたほうにだけ店で貰ったらしいシールが貼ってある。上からちらりと見えた包み紙も箱の大きさも、同じように見えるのだが。
「中身一緒やないの?」
「えっ、あ、うん、だから帰ってから開けてな」
なんとなく疑問に思って軽い気持ちで尋ねただけだったのだが、名前は不自然なほど狼狽して目を泳がせた。
「分かった、ありがとうな」
「お返し楽しみにしてるわ」
なんちゃって、と茶化して名前は帰っていった。言われんでも、絶対盧笙に負けへんお返ししたるわ。
名前から受け取った紙袋を片手に楽屋へ戻ると、盧笙は早速興味深そうに中身を覗き込んだ。
「一緒やな」
「やんな?でも名前が言うには中身ちゃうらしいから帰ってから開けてって……盧笙もう開けてるやん」
上着をハンガーに掛けて振り返ると、そこには既にガサガサと包み紙を剥いでチョコレートに手を付ける盧笙がいた。そしてひとつ欠けたチョコレートを俺に見せると、
「おまえのは家で開けたらええねん、これでおまえだけ、おんなじかどうか分かるやろ」
「な、なるほど……?」
どんだけ腹減ってんねん、と思ったが、一応盧笙なりに考えがあったららしい。とはいえ、今も美味そうにふたつめを口を含んでもぐもぐしているのを見ると、本音がどこにあるのかは分からないが。
* * *
ライブと打ち上げを終え帰宅するなり、俺はチョコレートの紙袋と正座で向き合った。正直もう気が気でなくて打ち上げどころではなかったのだが、俺みたいな若手芸人に参加しないなどという選択肢はない。
「盧笙のは六粒入ってた……別に多いからどうって話やないけど……」
ぼそぼそと独り言ちながら、丁寧に包み紙を開く。いつかは捨てるのだろうけど、今はまだ包み紙さえ大事にしたかった。
昼間、盧笙に見せてもらった箱がゆっくりと顔を覗かせる。やはり同じか。おそるおそる蓋を開けてみるも、やはり中身は見覚えのある六粒だった。
「名前、中身ちゃうって言うてたのにな……?」
買った本人が中身を把握していないとは思えないが、かと言ってスタッフが間違えても気付くだろうし。
不思議に思いながら再び紙袋を覗き込むと、底に一枚の封筒がくっついていた。手紙などではない、ショップのロゴが入った封筒だ。
「何やこれ」
これが盧笙との違いなのだろうか。糊付けなどされていない封筒を開けてみると、ギフトカードのようだった。それから、店頭で売っているらしい、チョコレートを使ったドリンクやソフトクリームのチラシ。
俺にだけこれを渡してきたとして、その意図は?それが分からないほど鈍感ではなかった。
「さ、誘ってええってことやんな……」
思わずスマホに手が伸びたが、時計を見上げればとっくに日付が変わった時刻。名前に電話をするのはギリギリ踏みとどまって、同じく帰りが遅かった相方へ電話を掛けた。ギフトカードなんか入ってたか、と訊いてしまったら名前の気遣いも台無しなんだろうが、盧笙はまあ、全部分かっているしいいだろう。
明日の朝イチで電話すんねん、という俺の報告に、電話越しに呆れた表情をする盧笙の姿が目に浮かんだ。