幼馴染とプチ家出

「うちのアホの子知りませんか」

珍しくインターホンを鳴らしての元相方の訪いに、少々驚きながらドアを開けると、俺の顔を見るなりそう言った。

「人の幼馴染に向かってアホとはいい度胸やな」

「あー、冗談やん冗談!閉めんとってぇ!」

どこのヤバい勧誘や、とばかりに簓は閉まりかけのドアに爪先を突っ込んできた。ドアノブを引っ掴み、その細い身体のどこにそんな力があるのか、ぐぐぐ、と再びドアを開けていく。

「……今度は何やらかしてん」

「俺は何もしてへんねんて、名前もたぶん怒ってるわけやなくて……せやから余計どないしたらええか分からんかったんやろな」

後半はほとんど独り言のように簓は言ったが、まるで話が見えてこない。とりあえず話は聞いてやろうと思い招き入れると、パァと顔を輝かせた。そんな顔をしている場合じゃないのだろうに。

「こないだバラエティ番組で共演したアイドルに、えらい気に入られてしもてなぁ」

飲み物くらい出すべきかとキッチンへ向かう俺を引き留め、簓はさっさと話し出してしまう。事情を聞いてほしい反面、早く名前を探したい気持ちもあるのだろう。

「俺はカノジョおるし、自分も駆け出しの大事な時期なんやから、そういうことしてたらアカンでって言うたんやけど……」

その真面目さが余計に刺さったみたいで、なんて他の男が言ったらたぶん苛立ちで手が出かねないのだが、簓がどれだけ名前にべた惚れしているかは俺が一番よく知っているので、大人しく相槌を打つ。

「毎日のようにメールしてくるし、たまに電話も掛かってきて、拒否するわけにもいかんから放ったらかしにしてたんやけど、俺より名前のほうがしんどかったみたいで」

「はぁ……」

「最初はな、相手もまだ高校生とかやし、可愛らしいなぁって言うてたんやけど」

そりゃあ、いくら簓のことを信じていても、相手が子供でも、それが何日も続けば気分のいいものではないだろう。それは簓も分かっているのか、反省の様子が窺えるので追及はしない。

「それでな、別の日の仕事終わりに偶然()うてもうてなぁ……出会い頭に思いっきりハグされたんやけど、それをちょうど待ち合わせしてた名前に見られてしもて……」

「最悪やな自分」

「分かってるからやめて……」

しかし、そのアイドルとやらもなかなか酷いな、とは思うので、あまり強くは言えなかった。

「その日から名前の様子おかしくて、めっちゃ謝ったし気ぃつけてたつもりやったんやけど、今日起きたらおらんようなってて、そのうちちゃんと帰るからってメッセージ来てて」

言いながら、簓は俺にスマホの画面を見せた。メッセージの末尾にある「ごめんな」の文字を見るに、確かに怒ってはいないのだろうが、

「名前は何も謝ることないのに」

「……せやな」

自分の感情を処理しきれなかったのであろう幼馴染の気持ちも、目の前で泣きそうな顔をしている元相方の気持ちも、痛いほどよく分かって、それ以上は何も言えなかった。

「でも、俺も何も聞いてないから、どこおるかは分からへんわ」

「……ん、分かった、ありがとうな」

「ちょっと待ち」

椅子を引き立ち上がる簓を引き留め、ポケットからスマホを取り出す。立ちっぱなしの簓に「座り」と声を掛けると、少し迷ったあと再び腰を下ろした。

「今回ばかりは、先に俺が話聞いたったほうがよさそうやからな。とりあえず俺から一回連絡してみる」

「盧笙……すまんな」

「……んな情けない顔すな」

いかにも無理をしています、という笑顔を見せる簓を見ていると、こちらまで胸が締め付けられるような感じがする。
大好きで大事な恋人を一番に支えられなくて、もどかしくて悔しくて、やりきれない思いがあるのだろうが。しかし、きっと今の簓と似たような顔をしているのであろう幼馴染のことを思うと、自分にできることがあるならば、やらずにはいられない。

とりあえずダメ元で電話を掛けてみる。すると意外にも、数コールで名前の声が聞こえてきた。

『……簓来たん』

話し出す前に名前にそう言い当てられ、一瞬言葉に詰まったが、素直に肯定しておく。簓はスピーカーホンに切り替えてほしいのか、じっと視線で訴えてくるが、今はまだダメだ。

「おまえ今どこにおんねん、あ、別に押しかけたりせえへんし、簓も聞いてへん」

『……実家』

「実家?」

俺がそう繰り返すと、簓はぎょっとして泣きそうな顔でこちらを見る。いや、嫁に実家帰られたリアクションすな。まだただの恋人やろ。

『別に、ちょっと落ち着きたかっただけやから、そのうち帰るって言うといて』

「あー、そのことやけどな……名前、それちゃんと吐き出したんか?」

『……え?』

「そんな話、家族に愚痴るわけにはいかんやろ」

名前の返事はない。図星だったんだろう。実家に帰って一旦は落ち着いても、簓の顔を見たらまた思い悩むんじゃないか。こんなことで、ふたりの間にわだかまりを残してほしくなかった。

「俺でよかったら話聞くで。解決にはならんかもしらんけど、多少はスッキリするやろ」

そう言うと、蚊の鳴くような声で『……うん』と返ってきて、少しほっとする。

『盧笙だけ来て、実家の近くのいつものファミレス、分かるやろ』

「分かった、すぐ行くわ」

電話を切るや否や、簓は俺に掴みかからん勢いで「なんて!?」と訊いてくる。

「俺が話聞いてくるから、自分は家で待っとき」

「そんなん無理や、気になりすぎて死んでまう」

「んなことで死ぬか、アホ」

簓は、上着を取りに行く俺の後ろを子供みたいに付いてくる。このまだと本当に最後まで付いてきそうなので、その頭頂部に思いっきり平手を落として止めた。

「いった!」

「チョロチョロすな!自分がおったら意味ないやろ!黙って待っとけ!」

そこまで言うと、ようやく簓も大人しくなる。
一緒に家を出て、しょぼくれた背中を見送った。大事な名前のことを、他の男に任せるしかない現状に打ちひしがれているのだろう。しかし、今は当人より第三者である俺のほうがその役に相応しいのだから仕方がない。どうせ最後には簓のところへ帰るのだから、どんと構えていればいいのだ。

* * *


俺と名前の実家から程近いファミレスは、夕飯時が近くなってきたこともあり、少々賑わいはじめている。笑顔で食事をする数組の家族のなか、ぽつんとドリンクバーのコーヒーを啜っている名前の周りだけが、ぼんやりと暗く見えてしまう。

「すまん、待たせたな」

「ううん、来てくれてありがとう」

俺が声を掛けると、名前は少し微笑んだ。そんな苦しそうに笑うなや、と思う。
名前に倣いドリンクバーを頼み、空になっていた名前のカップを持って飲み物を取りに行った。

「さ、ボロクソ言うてええで、大体聞いてきたからな」

席に戻るなり冗談交じりにそう言うと、名前はふっと息を吐いて「ボロクソは言わんわ」と笑った。

「それに、簓は悪くないし」

「名前がそう言うならそうなんかもしらんけど、悪い悪くないの問題やない。今はとにかく、弱音も愚痴も全部吐いてええねん」

で、笑って簓んとこ帰れ、なんてさすがにクサすぎて言えないが。
しばらくの沈黙のあと、コーヒーに砂糖を溶かしながら、名前はおもむろに口を開いた。

「……仕事で知り()うてる以上、あんま無碍にできひんのは分かるけど、もうちょっとビシッと断ってもええと思わん?」

むす、と唇を尖らせる名前はすっかりいつもの調子で、少しほっとした。

「せやな、アイツはちょっと優しすぎるわ」

「そんな、優しいとこが好きやねんけど」

そう言う名前の顔はもう綻びはじめていて、別に俺がしゃしゃり出てこなくてもよかったか、なんて考えていると、まるでそれを読み取ったかのように名前は、

「ふふ、なんか盧笙の顔見たらいつも通りになってしもた」

だからといって、これでめでたしめでたし、とはならない。確かに、別に問題を解決しにきたわけではないとはいえ、これっぽっちで名前の気が済むとも思っていない。ひとしきり笑ったあと、名前がわずかに何かを憂うような表情をするのに気付かないほど短い付き合いではないのだ。

「おーおー、いつも通り言うたったらええねん」

軽い口調で名前をけしかける。

「簓の収録終わりに待ち合わせしとったときにな、その子に不意打ちでハグされたときの簓、ちょっとデレデレしてた!」

(……それは気のせいやと思うけどな)

こんなに名前を溺愛しているあの男が、ちょっと若くて可愛い女の子にハグされたくらいで鼻の下を伸ばすわけがないのだ。しかし、そう思わせてしまうほど名前を不安にさせたのだと思うと、庇ってやる義理もない。そりゃ最低や、なんて合いの手を入れてやる。

「……でもなぁ」

また、名前の顔が曇る。ハァ、と大きな溜息まで飛び出してきて、聞いているこっちまで憂鬱な気分になってしまう。でも、それだ。きっと一番大きな心のしこり。とっとと吐き出してしまえばいい。

「その子が簓にそこまで夢中になる気持ちも、分かってまうねんな」

「……へえ?」

分かるような、分からないような。気の抜けた返事をする俺に、名前は「何それ」と呆れたように笑いながら、

「だって私も簓のこと好きなんやもん。私は簓のほうから好いてくれたけどさ、もし逆やって、俺カノジョおるからーとか言われても諦められへんかも」

かと言って毎日電話とかもようせんけど、と苦笑する。名前を前に飄々としている簓も、それを必死になって追う名前も、今となってはちっとも想像できないのだが、名前の愛情がそれほど大きなものだったとは、正直驚いた。

「だから余計に怒られへんねん」

そう言って名前は笑ってみせたが、その顔は今にも泣き出しそうで、胸がぎゅっと締め付けられるような心地がした。

「別に、怒らんでええんちゃう」

「……え?」

「そのアイドルの子より名前のほうが簓のこと好きなんも、簓が死ぬほど名前のこと好きなんも、ふたりとも分かってるし、俺も知ってる」

「……ふふ、自分、私らの何なん」

――ホンマにな。ただの相方と幼馴染のはずやのに、何言うてんねんやろな。

「それだけじゃアカンか?もちろん、簓にはもっときっぱり断るように言うとして」

それは本当に、俺に任せてほしい。先程の話を鑑みるに、どうせ名前は強くは言えないのだろうし、俺が言ったほうが簓には効くだろうから。
すると名前は、今度こそ心からの笑顔を見せた。

「ありがと、盧笙、だいぶスッキリした。とりあえず帰って簓に文句言いたい」

「そらよかったわ。俺も手伝おか」

「うん、手伝って」

言いながら名前は伝票に手を伸ばしているので、本当にもう帰るつもりらしい。先にそれを取ると、パッと引ったくられた。

「私が出す!聞いてくれたお礼!」

「ええよ、これくらい」

「じゃあ、今から簓に雷落としてもらわなアカンから、それも込みで」

「どんだけ怒鳴り散らさなアカンねん」

別に怒鳴り散らさんでもええわ、と笑いながら名前はレジへ向かっていった。その足取りは軽く、もうひとりだけ暗いオーラを纏ってもいない。
名前を待つ間に、今から帰ると簓にメッセージを送れば、即座に既読の印が付いた。

* * *


実家からふたりで電車に揺られ、帰ってきたのはすっかり夜遅くになってからだった。
名前がエントランスの鍵を開けるのを横目に簓に連絡を入れておけば、エレベーターで上がるころには、簓は廊下で待っている。

「名前、盧笙!」

おかえりぃ、と俺にまで声を掛けながら、簓は玄関のドアを押さえ、俺たちを招き入れる。名前は少し気まずそうにしたあと、小さな声でただいま、と返し、部屋へ入っていった。名前がリビングのドアの向こうへ消えていったのを確認すると、簓は俺のほうを向く。

「お疲れ、ありがとうな、盧笙」

「別に、思ったより元気やったわ」

「それは盧笙やからやで」

簓は悔しさやもどかしさなんて微塵も感じさせず、ニッと口角を上げる。名前との関係において、幼馴染の俺と恋人の簓ではそれぞれ担当が違うことを分かっているのだろう。

「盧笙も上がり、寒かったやろ」

「あぁ、場合によっては俺からも話あるからな」

「えっ」

そう告げたときの簓の顔は、素行のよくない生徒を職員室に呼び出したときのそれとそっくりで、つい笑ってしまう。まぁ、あとは名前次第だ。
リビングに入ると、名前は三人分のお茶を用意して腰を下ろしていた。俺も同席していいらしい。

「まずは、急に出て行ってごめんなさい。盧笙も手間掛けさせてごめんな、ありがとう」

「俺のほうこそ、名前の気持ち分かってなかった!すまん!」

言いながら、簓はもそもそとポケットからスマホを取り出す。一体何事かとそれを見つめる俺と名前の視線に気付くと、簓は画面の消えたままのスマホを掲げながら、

「さっき、あの子の事務所に相談したから、もう連絡も()おへんと思う」

簓の言葉に名前は目を丸くして「じ、事務所?」と呟いた。俺も、まさか黙って待ってはいまいとは思っていたが、そこまでしているとは。

「あんまりキツく言うたら可哀想やと思っとったけど、それで名前悲しませてたら意味ないわな」

そう言うと簓はスマホの画面をこちらに向けながら、そのアイドルらしい人物とのメッセージ履歴の削除ボタンを表示させる。名前が「そこまでせんでも」と止めようとするが、簓はそれを制してボタンを押してしまった。

「ちょ……一応また一緒にお仕事するかもしれへん人やのに」

「別に仕事の話なんかしてなかったし大丈夫やで」

さすがに連絡先まで消すわけやないし、と付け足して簓は苦笑した。名前は困ったような呆れたような複雑な顔をしたあと、はぁと息を吐く。溜息のようで、しかしどこか安堵したような、そんな柔らかさがあった。

「……盧笙の仕事なくなってもたな」

「まさかここまでしてるとは思わんかったわ」

「え、なに?俺もしかして盧笙に説教される予定やった!?」

俺と名前が同時に頷くと、簓はヒィと情けない声を上げた。それを聞いて、名前はクスクスと笑い出す。

「あんな気にしてたんアホみたいやわ」

名前が独り言のように呟くと、簓は苦笑しながらも申し訳なさそうに俯く。

「簓、人に優しくできるのはええことやけど、一番大事なもん間違えたらアカンで」

簓が一瞬息を詰まらせたあと、何か言おうと口を開いた瞬間に、名前が「出た、躑躅森先生」と茶化した口調で言うのでしんみりとした空気はどこかへ行ってしまった。その不出来な生徒の頭を引っ叩くと、ケラケラと笑い声が上がる。

「またこういうことあったら、今度はすぐに先生に言うな」

「はぁ?自分らで解決せぇ」

今日一日のことが嘘のように名前は楽しそうに笑っていた。それを見て、簓もようやくいつもの笑顔を覗かせる。
晩ごはんどないしよか、なんて言いながら、出前のチラシでも探しに行ったのか名前がリビングを出ていくと、簓はこちらを向いて口を開く。

「盧笙、今日はホンマにありがとうな、それと名前のこと悲しませてすまんかった」 

「いや、俺は名前の親父か何かか」

「名前のこと、あんな笑顔にできるの、俺以外には盧笙だけやん」

そう言う簓は至って真面目な顔をしていて、思わずフッと噴き出すように笑ってしまう。

「何様やねん自分」

「えぇ?」

しかしそれは自惚れでもなんでもなくて、俺も簓も名前の特別であることは、きっと紛れもない事実なのだ。

「でも、もうなるべく盧笙の手は借りんで済むように頑張るわ」

ニッと簓が口角を上げたところで、名前が数枚のチラシを片手に戻ってくる。

「あら?簓(たの)しそ、何の話?」

「今日の晩飯、盧笙が好きなもん食うてええって」

「は!?言うてへんわ!」

「ホンマに?やったー」

「なんでやねん!むしろ今日はおまえらが出すとこやろ!?」

宅配ピザやファミレスのチラシを除けて楽しそうに寿司屋のチラシを探しだすふたりを止めながら、俺も思わず笑ってしまった。

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