幼馴染と意地っ張り

帰ってくると、何故か名前がずいぶん不機嫌だった。体調が悪いというわけではなさそうだが、何かあったのかと訊くには時期尚早な気もする。もう少し落ち着いてから声を掛けようと、しばらく様子を見ていると、時折鼻をすするような音が聞こえてきて、さすがに居たたまれなくなった。

「名前、どないしたん?」

台所に立つ背中に声を掛けると、涙目の名前が振り返る。両腕を広げて見せれば、名前は珍しく素直に身を預けてきた。

「何かあったん?」

俯く頭を優しく撫でながら、いつにもまして小さく見える背中を擦ってやると、腕の中で名前がもぞもぞと動いて、頷いたのが分かる。

「盧笙が……」

突然出てきた、元相方の名前に少し驚いた。
人には散々、名前を泣かすなだの、仲良くしろだの言っているくせに、自分はこの体たらくか。

「盧笙に何か言われたん?」

そう尋ねると、名前は少し考えたあと、小さく首を横に振った。

「盧笙がな、こないだの特番のときの簓のネタ、オモんないって言うねん」

……なんか急にえらい流れ弾飛んできたんやけど。
しかし、名前が何の考えもなく俺にオモんないなんて、よりによってオモんないなんて言うはずがない。それに名前はその特番でのネタを一等気に入って何度も見ていたし、喧嘩になるということは、それほど名前にとっては面白かったということだ。否定されて怒ってしまうほどに。
しかし、名前が面白かったなら、まあええかな……とは思いつつも、元相方に否定されるのはいささか堪える。

「ま、盧笙のセンスは独特やからな」

自分に言い聞かせるように呟くと、名前は「独特……」と繰り返しながら苦い顔をした。

「でも、名前が泣くことないやん、そんな悔しかったん?」

それはそれで、正直少し嬉しかったりもするのだが、無情にも名前は首を横に振る。

「ちゃうねん……それで喧嘩したまま帰ってきて……なんかな、簓はみんな笑顔にしたくてお笑いやってんのに、それを知ってるはずの私と盧笙が喧嘩してるのが、申し訳なくて、情けなくて」

どんどん小さくなる声は、最後にはほとんど聞こえていなかったが、目の前で名前が瞳を濡らしているのは紛れもない事実で。その涙が溢れてしまわないように、じわじわと熱を持ち始めた顔をぎゅうと自分の胸に押し付けた。しばらくすると名前がバシバシと腕を叩くので、解放すると「死んでまうわ」と抗議の声が上がる。

「ええよ、ふたりともそんだけ本気で見てくれてるってことやろ」

「……でも」

「それに、あのネタはしゃーないねん」

「え?」

名前は知る由もないことだが、あれはまだ俺と盧笙がコンビだったころにふたりで考えていたネタで、結局世に出ることはなかったそれを、俺がひとりでできるようアレンジしたものだったから。盧笙はさぞかし複雑な思いをしたことだろう。
それを名前に伝えることは、盧笙は望まないのではないかと思って、口を噤んだ。

「名前と盧笙が喧嘩したままなんは俺が嫌やから、ちょっと(はなし)しに行こか」

「えっ、今から!?」

今から、が指しているのは時刻のことではなく、名前の心の準備のことだろう。叱られた直後の子供のような気まずい顔をする名前の頭を、それこそ子供にするみたいにぽんぽんと撫でた。

「俺もおるから大丈夫やって。あとそのおかず、タッパー入れて持っていったら盧笙も文句言わへんやろ」

「いや、それはたぶん関係ないわ……」

* * *


簓に手を引かれて盧笙の家を訪れる。まだ少し気まずくて、インターホンを押す簓の背中に隠れて、その手元を見守っていた。開いた扉から顔を覗かせた盧笙は簓の顔を見るなり、仏頂面で「何や急に」と言う。アポ取ってなかったんかい。

「もう飯食うた?」

「いや、まだやけど……何や、たかりに来たんか」

「人聞き悪いなあ、おかず持ってきたってん」

「おかず?」

手ぶらの簓を見て盧笙は怪訝そうな顔をする。いつまでも隠れているわけにもいかなくて、ゆっくり簓の背中から顔を出した。私に気付くなり、盧笙もまた気まずそうに苦い顔をする。

「……これ」

持ってきた袋を盧笙に差し出すと、小さく「ん」とかなんとか言う声が聞こえた。受け取ってくれたということは、上がってもいいのだろうか。様子を探る私のことなどお構いなしで、簓はずけずけと部屋へ入っていったので、慌てて後を追う。
勝手知ったる様子で三人分のお茶を淹れる簓を、盧笙がすっかり呆れた顔で見ている。それからちらりと私のほうを見て「飯まだなんか」と訊くので、小さく頷くと、持ってきたタッパーを開けてお皿に盛り付けはじめた。手伝うべきかと思ったが、まだ盧笙の隣に立つ勇気もないし、簓もいるから台所満員だし、と頭の中で言い訳を並べた。

盧笙とはずいぶんと長い付き合いで、喧嘩なんて何十回としているはずなのに、こういう空気には未だに慣れない。しかもその原因になった人間も当然のように一緒にいて、にこにこしながらお茶なんて淹れてるし。誰のせいでこうなってると思ってるんだ。
盧笙を台所に残して、器用にコップを三つ持ってリビングに戻ってきた簓は、私の顔を見るなりくすくすと笑い出す。

「……なに?」

「いや、ホンマに喧嘩したんやなって思って」

どこが笑うところか。思いっきり顔をしかめる私を見ると、簓は相変わらずのニヤケ面ながらも「ごめんごめん」と続けて、

「俺は大人になってからのふたりしか知らんけど、なんか、(ちい)ちゃいときからこんなんやったんやろなって」

「悪かったな、子供みたいな喧嘩してて」

「ごめんて、拗ねんとって」

そう言うと簓はちらりと盧笙のほうを一瞥し、再び私の顔を見て口を開く。わずかに眉を下げて、どこか困ったように微笑んだ。

「でもな、ふたりが俺のために喧嘩してんの、申し訳なさもあるけど、ちょっと嬉しい気持ちもあるわ」

「……他人事やと思って」

「思ってへんよ!」

簓が淹れてきたお茶を一口啜る。いや、作ったのはたぶん盧笙だけど。相変わらず、少し薄めの麦茶だ。

「俺もふたりと幼馴染やったら、何回もこんなふうに喧嘩仲裁してたんやろな」

「なんで私と盧笙だけ喧嘩する前提なん」

「ふたりとも意外と()ぁ強いからなあ」

否定できず押し黙る私を見て、簓はまた笑った。

「でも俺も名前と幼馴染やったら、今ごろ付き合ってなかったやろうし、まあええわ」

「……おまえなあ、この状況でようイチャコラできんな」

軽い口調で言いながら甘えるように私にすり寄る簓を適当にあしらっていると、盧笙がお盆を片手にこちらを見下ろしていた。
私が持ってきたおかずの他にも何品か、それからご飯とお味噌汁。たぶん冷凍とかインスタントとか、わざわざ出してくれたんだと思う。盧笙が運んできたそれを、食卓へ並べるのを手伝っていると、なんだか喧嘩なんてしていなかった気がしてしまう。だけど、ふいに目が合うと、盧笙が何とも言えない顔で視線を逸らしてしまうので、ああ、やっぱりまだ怒ってるんかな、なんて思った。

* * *


食卓に三人揃うなり、簓が「いただきます!」と元気よく声を上げたので、一応食事が始まった。とはいえ、私と盧笙は気まずさやら何やらでそれどころではないのだけど。
盧笙と目が合えば、慌てて逸らして。ちら、と助けを求めるように簓のほうを見る。

「ふたりとも、いつまでそんな感じなん?」

きょとんと心底不思議そうに簓が言うものだから、私と盧笙は思わず「ハァ!?」と声を合わせた。

「分かってて来たくせに……!」

「誰のせいやと思ってんねん」

「いや、俺のせいやと思って来たけど、なんか別に俺悪いことしてへんなって」

それは、まあ、そう。至極冷静に言われてしまっては私も盧笙も否定できず、何も言い返せない。

「盧笙には、何の相談もせんかったのは多少悪いとは思ってるけどな」

すまんかった、と簓がどこか悲しげに盧笙に言う。何の話をしているのかはよく分からなかったけど、そう言われた盧笙もまた切ない表情をしていて、たぶんふたりがコンビを組んでいたころの何かなのだということは、なんとなく理解した。

「……ちゃんとオモロかった」

「当ったり前やん」

盧笙が絞り出すように言うと、簓はにっと笑ってそれを受け止める。よく分からないけど、いい感じにまとまったみたいだ。

「……いや、やっぱオモロかったんやん」

ふたりがしんみりしているのを見ていると、次は私と盧笙の番だなと思って、なんで喧嘩したのか考えてハッとした。
オモロい、オモんないって、あんなに言い合って派手に喧嘩したくせに、結局オモロかったんかい。

「何なん!意味分からへんねんけど!」

「いや、あの、名前、これは色々あって」

「知らんし!私ふたりのその色々に巻き込まれたってこと!?」

「そう来る?そう言われたら割と否定できひん気ぃもするなあ」

「いや、ここは嘘でも否定してくれ」

「さらっと嘘つこうとすな!」

結局、ひとり怒る私を簓と盧笙が必死で宥めるはめになって、盧笙との喧嘩の件なんてどこかへ行ってしまった。

* * *


「……なんか疲れた……」

「たぶん全員そう思ってんで……」

簓は空っぽになったタッパーを片手に、そしてもう片手で私の手を握って帰路につく。まもなく日付も変わろうという時間、住宅街を歩いているのは私たちだけだ。

「まあ、でも、いつも通りに戻って良かったわ」

「……うん、ありがと」

それから、ごめんな、と付け足すと、握られた手にぎゅうと力が込められる。

「もう俺のことで喧嘩したり泣いたりしたら嫌やで」

「うん」

「よし」

両手が塞がっているからか、ちゅ、とおでこのあたりに口づけを降らせて、簓は満足そうに微笑んだ。繋いでいた手をそっと解いて、するりと腕を絡めると、簓もまたこちらへ身体を寄せてくる。

「ま、いくら盧笙でももう二度とオモんないなんて言わせたれへんけどな」

「ん、頑張ってな」

「おー、見ときや」

自信満々にそう言ってのける簓は、きっとどんなときよりも輝いていて、そして何より、その自信に伴うだけの実力がちゃんとあるのが、誰よりもカッコいいと思う。珍しくしゃんとしたその顔をじいと見ていると、ふと視線に気付いてこちらを見下ろし、へにゃと顔を綻ばせた。男前が台無し、なんて思いつつ、私はそんな簓のほうが好きだったりする。
簓が私や他の人たちを笑顔にしてくれるなら、私はせめて簓だけでも笑顔にしてあげたいなあ、なんておこがましいだろうか。

(……盧笙とも簓とも、あんま喧嘩してたらアカンな)

そんな私の思いなどつゆ知らず、簓は相変わらずにこにこと微笑んで、我が家へ向かって呑気に歩みを進めていた。

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