簓がわざわざ一日オフにしてくれるということは、私もまた休みを取らなければならないということである。
「暇な時期やったからよかったけど、早めに言うてよ」
「はい……」
私の誕生日まで一週間を切っていたが、なんとか有休は取ることができた。
刺々しい私の口調にしゅんとする簓に、
「……せっかく簓が頑張ってくれたのに、一緒におられへんかったら意味ないやん」
そう呟くと、簓はゆっくりと顔を上げた。一応反省の色を見せる気はあったのだろうが、ふるふると頬が緩んでいくのを堪えきれていない。何か言い返す前にばっと飛び上がって抱きついてくるその様は、さながらよく懐いた大型犬のようだった。
* * *
簓のおかげで休みを取ったので、明日は平日でありながら私は休日前夜。夜更ししたって平気だ。けれど、簓は相変わらず遅くまで仕事のようで、なかなか帰ってくる気配がない。本人もぼそっと言っていた気がするけれど、一日休みにするってそんなに大変?さすがに事務所とマネージャーに物申したい気持ちにもなってしまう。
簓と違って私はあんまり夜更しすると翌日に響くし、せっかく休みにしてくれたのに昼まで寝ることになってしまったら申し訳ないし、少し寂しいけれど先に寝てしまうことにした。
ふとマットレスの沈み込む感覚で目を覚ますと、いつの間にやら帰宅していた簓がベッドに潜り込んできたところだった。お風呂も済ませているらしく、嗅ぎ慣れたシャンプーの香りがふわりと漂う。私が目を覚ましたことに気が付くと、ぱぁと顔を輝かせて肩口に顔を擦り寄せてきた。
「……おかえり」
「ただいまぁ」
眠い目をこすりつつ声を掛けると、ひときわ嬉しそうな返事が返ってくる。
「名前、誕生日おめでとう」
「へ……?」
……あぁ、そうか、もう日付が変わっているんだ。寝ぼけた頭で少し考えて気が付いた。ありがと、と少し掠れた声で返すと、簓は身体を起こしてこちらを覗き込む。
「起きたらいっぱいお祝いしよな」
うん、と言うのもなんだか図々しく感じて言いにくかったのだが、簓は特に気にするそぶりもなく「おやすみ」と呟いて私の額に口づけると大人しく寝る体勢に入った。
(……久しぶりの休みやから、もっと甘えてくるかと思っとったんやけど)
なんて、なんだか少し残念がるような独白が脳裏を過ったことに自分で驚いてしまって、私は慌てて布団を頭まで被った。
* * *
翌朝、目を覚ますと、隣に簓の姿はなかった。枕元の時計を見てみると、時刻は十時。ちゃんとアラームをセットしたつもりだったのに、簓が止めてしまったのだろうか。
起こしてくれたらいいのに、なんて思いながら起き上がりリビングに向かうが、そこにも簓の気配すらない。玄関を覗けば靴が一足見当たらなかった。どこかへ出掛けてしまったようだ。まさか急な仕事――なんて考えてにわかに胸が痛んだが、いつもスーツと合わせている革靴は残っていて、ほっと息を吐く。
そのうち帰ってくるだろうと身支度を整えていると、三十分としないうちに玄関の鍵が開けられる音がした。
「名前起きてる、おはようさん」
「おはよ……どっか行ってたん?」
「これ」
そう言って簓が嬉しそうに掲げたのは、見覚えのあるパティスリーの紙袋。私が予約するはずだった、あの。
「こんな朝イチで取りに行ったん?」
「おばちゃんにも言われたわ」
朝っぱらから食うわけやないし、と呟きながら簓はいそいそと真っ白い箱を冷蔵庫にしまった。それから朝食を摂っていた私に合わせてか、コーヒーを淹れて戻ってくる。
「おばちゃんになぁ、ホンマ名前ちゃんのこと大好きやなぁって言われたから、せやでって言うたで」
マグカップをテーブルに置いて対面に腰掛けると、簓はニコニコしながらそう申告してきた。
「……それ私も言われてんけど」
「え!?名前もそんな俺の話してたん!?」
「ちゃうわ」
本気なのかボケなのか分からない大仰なリアクションをする簓に呆れつつ紅茶を一口啜る。
「どんな話してたらケーキ屋さんのおばちゃんにそんなこと言われんの?」
「どんなって、」
嬉々として話の内容を説明しようとする簓を慌てて制した。誰がホンマに内容訊いてんねん。
「それより、名前
早よ飯食おうや、ウメダ行こ、ウメダ」
「え……いいけど何しに行くん」
「プレゼント買いに行くに決まってるやろ!」
買ってなかったんや、なんて少し意外に思ってしまった私が甘かった。
よく行くファッションビルに着くなり、簓は私以上に楽しそうに目を輝かせて、上から下までフルコーデどころではない、数パターンの服を凄まじい勢いで購入していく。「そんなにいらん、」と声を掛けると「これは俺が名前に着せたい服を
買うてんの」と真顔で返された。それはもはや誰へのプレゼントなんだ。
* * *
帰宅して、百貨店の地下で買ってきた少し贅沢な晩ごはんを食べると、いよいよケーキの登場だ。私も簓も甘党なので、なんだかんだでこの瞬間が一番楽しみだったりする。四号のホールケーキはふたりで食べるには少し大きくて、ふと、この場にいない幼馴染のことを思い出した。
「やっぱふたりやとデカいなぁ」
簓も同じことを考えていたらしく、そんなことを呟く。
「すっかりふたりで過ごすんが当たり前になってもうたな」
「せやなあ……そない言われたらちょっと寂しいけど、でも今日だけは俺が名前のこと独り占めしたいわ」
どうせ週末にでも来るんやろ、と言われたら、それは全くその通りで。平日は学校があるから休めない盧笙に合わせて、それぞれの誕生日に近い週末、たこ焼きかお好み焼きでもして、それから盧笙が何かしら持ってくるスイーツを食べるのもまた恒例になっていた。
「ろうそく差すでー」
「それまだやるんや」
「ええやんか、一年に一回しかないんやから」
お互いとっくに成人して、なんならもうアラサーと呼ばれる年代なのだけど。簓は毎年、嬉しそうにろうそくを灯しては、定番のバースデーソングを歌ってくれる。あのMC Tragic Comedyの生歌で祝ってもらえるなんて、たぶんすごく贅沢なことだと思う。
今年もまた、簓の楽しそうな歌声を少し照れくさい気持ちで聴きながら、揺れるろうそくの炎を眺めた。
「ありがとう」
最後まで歌いきって満足げな簓に微笑みかけて、ろうそくの火を吹き消そうと小さく息を吸うと、簓は「ほな一緒に吹き消すで」と言って、驚く暇も与えず「せーの」とタイミングを合わせてきた。そう言われてしまっては、ほとんど反射的に身体が動いてしまって、いい歳した大人ふたりで「ふー」と息を吹く。両側から吹かれた炎は戸惑うようにゆらゆらと揺れて、それからふっと消えた。
「簓も吹くん?私の肺活量なんやと思ってるん?」
「いや、消されへんと思ってるわけないやん」
こっちのほうが楽しいやんか、と嬉しそうに言う簓は、どこまでもエンターテイナーなんだな、なんて思う。
「簓の誕生日は私が消したろ」
「横取りしたわけちゃうやん」
そう冗談ぽく言うと、簓もくすくすと笑った。
結局ケーキは半分以上残って、明日これ持って盧笙んち行こ、なんて話になる。去年も似たようなことをして散々文句を言われた気がするけれど、盧笙も私たちに負けず劣らず甘党だから、なんだかんだで嬉しそうなのだ。
* * *
後片付けを済ませたころにはすっかり夜も遅く、なんとなく、そろそろ寝ようかという空気になる。
少々名残惜しい気持ちはあるが、私も簓も明日は仕事だ。特に簓はまたしばらく忙しい日々が続くのだろう。渋々立ち上がろうとすると、不意に手首を掴まれて、ふたり並んで座っていたソファーへ逆戻りした。
「……寝てまうん?」
「明日仕事やろ」
甘えるようにそう言われたら、もうちょっとだけ、と心が揺らぐ。ぐっと堪えて突き放そうとするけれど、まるで本心でないのは簓にもバレているようで、手首を掴んでいた手はするすると腰に回され、そのままぎゅうと抱き締められた。
「あと五分だけ」
早く寝ないといけないという自覚はあるらしい。それに私より早起きしていたみたいだし、簓ももう眠いのだろう。背中に回された手はぽかぽかと温かかった。
けれど、五分だけと言われてしまったら。
「……五分だけ?」
「……なんでそんなこと言うん」
簓の肩越しに見える時計の一番細い針が、五周したら、五分。そう思うと、なんだかすごくあっという間な気がして。いつもの数倍のスピードで針が進んでいるような気すらした。
「このままベッド行って、寝るまでこうしとってもいいん?」
「いいよ」
そう返事をするや否や、簓は私を抱えたまますっくと立ち上がり、その細っこい身体のどこにそんな力があるのか、しっかりとした足取りで寝室へ向かい歩き出した。
「……名前、今日えらい優しい」
「私はいつも優しいやろ」
廊下の途中で不意にそんなことを言うので丸い後頭部をぺちんと叩いた。落とすで、なんて、そんなことできやしないくせに。
「今日はいっぱいお祝いしてもろたから、ちょっとくらい簓のワガママも聞いたらな」
私を優しくベッドへ降ろすと、簓は廊下の電気を消して戻ってくる。それから隣へもそもそと潜り込むと、再び私をぎゅうと抱き締めた。
「今日の主役やねんから当たり前やん、それより俺の誕生日にちゃんと倍返ししてほしいわぁ」
「なんで倍にしなアカンのよ」
……大体、簓の大きすぎる愛情を倍返しできる自信はない。半分だって返せるかどうか。
さするように背中を行き来していた手のひらの動きがだんだんゆっくりになって、ぴたりと止まる。
「眠いんやったら寝えや」
「……ん」
私の言葉に子供みたいな生返事をすると、それから数秒で簓は寝息を立てはじめた。
やっぱり相当無理をしていたんだろう。それなのに今日も早起きして、私以上にはしゃいで。
今年の簓の誕生日は、それはもう盛大に祝ってあげないとな、とは思いつつ、何をすれば喜んでもらえるのか皆目見当もつかず、しばらくは頭を抱えることになりそうだった。