幼馴染と一週間(1/3)

『あー……その日からちょうど家おらんねんな……』

「そっかぁ……」

『別に部屋使(つこ)てくれてええけど』

「いやいや、さすがにそれは」

『いくら幼馴染や言うて男の部屋に転がりこもうとするやつが何を今更常識人ぶっとんねん』

「だって、盧笙はなんかもうそんなんちゃうやん」

『……というか、俺より先に声掛けるやつおるやろ』

「えっ、あ、いや、それは……」

『目の前におるから替わるわ』

「え!?なんで!?あっ、ちょっと待って盧笙!」

* * *


八月、連日続く猛暑のなか、部屋のクーラーが壊れた。大家さんとはすぐに連絡がついたものの、これは部品交換せんとアカンね、なんて言われて、修理業者が来ることになったのは一週間後。
じゃあしばらく我慢やな――なんて時代は終わったのだ。これは命に関わる非常事態だ。

(実家に避難……でも会社まで二時間かぁ……交通費も安くないし……)

友達のところに行くにしても、さすがに一週間はなぁ。誰か、あんまり気を遣わなくてもいい人……なんて失礼なことを考えて、真っ先に浮かんだのが人生の半分以上をともにしてきた幼馴染なわけだったのだが。

盧笙にフラれてしまった私は、ボストンバッグを片手にもうひとりの電話の相手の家に来ていた。はじめて来たわけじゃないのに、はじめて来たとき以上に緊張している。インターホンに指を伸ばしたまま、何分経っただろうか。
あぁ、もう、やっぱり帰ろうかな。一週間もあれば意外と暑さにも慣れるかもしれない。そんなわけないのに、そんな馬鹿なことを考えていると、アパートの廊下に突然着信音が鳴り響く。慌てて鞄をあさっているうちに、目の前のドアがガチャと音を立てて開いた。

「おるやん」

「さ、簓……」

靴を履いていないのか、無理な姿勢で顔だけ覗かせた簓がその手に持っていたスマホを操作すると、私のスマホもぴたりと静かになった。

「暑いやろ、()よ入り」

「あ、うん……お邪魔します」

ガチガチの私とは裏腹に、簓はいつも通りの軽い調子で言う。むしろ、普通に遊びに来たときのほうがよっぽどバタバタしている気がする。そんなものなんだろうか。
とりあえず上げてもらったものの、どうすればいいのか分からず部屋の隅で立ち尽くす私を見て簓がぷっと噴きだした。

「普通にしいや、一週間もおるんやから」

人様の家で普通も何もないのだが、これが一週間続くことには間違いない。簓は踵を返してこちらへ近付くと、私の手からバッグを取り上げ「ここ置いとき」と言って壁際の邪魔にならないところに置いた。

「盧笙のとこがよかったん?」

「え、」

台所に戻り、何やらお茶を淹れてくれるらしい簓の表情は見えない。しかし、その声音がいつもとは明らかに違うことに気付かないほど私も鈍感じゃなかった。

「そら俺より盧笙のほうが付き合い長いし遠慮も気兼ねもせえへんねやろけど」

たぷたぷとペットボトルのお茶が透明なグラスに移っていくのを見つめながら、ひとりごとのように呟く簓がどんな顔をしているのかなんて、想像に難くなかった。音もなく歩み寄り、背中のシャツの裾をきゅっと掴むと、大げさに肩を跳ねさせる。

「べ、別に盧笙のとこ行きたかったんやなくて……その……は、恥ずかしいやん……色々」

「そっ、そか、そうなん」

おそるおそる簓の後ろ姿を見上げると、髪の隙間から覗く耳が真っ赤になっていて、緊張しているのは自分だけじゃなかったのかな、なんて思った。私を迎えたときに妙に冷静だったのも、その胸の高鳴りをひた隠していたせいなのかもしれない。なんとなく柔らかくなった空気にほっと息をつくと――

「……あっ!?簓、お茶お茶!溢れてる!」

とっくにいっぱいになったグラスにお茶を注ぎ続けている簓に慌てて声を掛けると、ようやく気付いたのか、ぎょっとした様子で声を上げる。

「え?うわっ」

「うわっ、ちゃうやろ!?もー、布巾ある?」

「あ、冷蔵庫の横」

幸い流し台のすぐ近くだったこともあり、床までは濡れていないようだった。言われた通り冷蔵庫横の棚から取った布巾はシンクの上にほとんど叩きつけるように広げ、同時にタオル掛けから引っ張ってきたタオルでびちゃびちゃになっている簓の手を隣から拭いていると、簓はそれをじいと見ながらぽつりと呟いた。

「……いや、先シンクのほう拭かん?」

「え、あっ」

ペットボトルを持っているほうの簓の手が明らかに行き場を失っていることに気付き、はっとすると、簓はケラケラと笑い声を上げる。

「アホやなぁ」

「……お茶溢れさせてる人に言われたないし」

「それは自分が急にあんなことしだすからやろ」

むすっとしながらシンクを拭いてやると、簓はそこにペットボトルを置き、グラスの縁にぷっくりと張ったお茶を溢さないよう口元に運び、ずず、と音を立てて啜った。

「でも、やっぱまだ悔しいなあ」

もうひとつのグラスに今度は適量のお茶を注ぐと、それを持って簓はテーブルのほうへ歩き出す。

「……なにが?」

簓が置いたグラスの位置に合わせて腰を下ろすと、今度は簓がむすっとした顔で私を見た。

「俺は恥ずかしいのに盧笙はええんや」

「まだ言うん?」

「言うわ!盧笙に電話替わられたときの俺の気持ち分かってへんやろ!」

それは、申し訳ないというか、悪かったと思っているけど。

「だって、見られたないもん、風呂上がりとか寝起きとか」

「だから、なんで俺は嫌やのに盧笙はええの?」

「……良くも悪くもどうでもいい……?」

「ひど」

そう言いながらも簓は声を立てて笑った。
それからまた一口お茶を啜り、グラスを置くと、ふうと息を吐いてから再び口を開く。

「でもな、いくら幼馴染でもさすがに泊まりはどうかと思うわ、別に名前と盧笙はそんなつもりやないって分かってるけどな」

「う……」

「俺、たぶん名前が思ってるほど余裕ないから、もうちょっと独り占めさせてほしいわ」

「ご、ごめん……?」

申し訳ないやら恥ずかしいやらで真っ赤になって縮こまる私を見て、簓は満足そうに笑い、すす、と隣に移動してくると当然のように私を抱き締めた。正直だいぶパニック状態なのだが、先程の簓の言葉を思い返すとむやみに拒否することもできず固まっていると、それをよいことに首元にすりすりと頬を寄せる。

「名前には悪いけど、一週間もここにおるんめちゃくちゃ嬉しい」

「……他人事やと思って」

私はいつどんな醜態を晒すか気が気でないというのに、簓はどうしてこんなに余裕でいられるのだろうか。
だけど、耳元で笑う簓の声があんまり嬉しそうだから、まあいいかと思ってしまう。

いっこうに解放してくれる気配のないその背中に手を回し、ぽんぽんと撫でながら、

「ご飯とか洗濯とか掃除とかちゃんと手伝うから……あ、でも何かこだわりとかあるんやったら言うてな」

そう言うと、簓の動きがぴたりと止まる。返事もないのでおそるおそる名前を呼んでみると、突然私を抱く腕の力が強くなるものだから、思わず「うっ」とか変な声が出た。

「なんか新婚さんみたい……」

「なっ、何言うてんの!?」

人の肩に顔を押し付けて、くぐもった声でそんなことを言う。
ただでさえ緊張しているところに、そんなことを考え出したら絶対冷静じゃいられないと思って、考えないようにしていたのに!どうしてそういうことを言う!

「クーラー直ってもここおってええよ」

「よくない、帰る」

「いややぁ、一週間も一緒におったらもう帰されへん」

「まだ来て一時間も経ってないんやけど」

「分かった、じゃあ二人でもっと広い部屋探そ」

「いや、何も分からへんわ」

ぐずる子供みたいにぐりぐりと頭を押し付けて、簓はそんなわがままを繰り返す。
一週間後、私は本当に帰してもらえるのだろうか。なんだか既に心配になってきた。

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